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Chain -鏡の道化師-【前編】  作者: 関 凛星
Ⅰ. 乾いた花瓶
1/28

ロスト

 「目」を、開けた。


 ザーザーという激しい「音」が、「身体」に打ちつける「冷たさ」とともに聞こえていた。




 寒い。


 痛い。




 これは、「雨」だ。




 身体(からだ)が凍え、むせかえる「土」の「におい」に耐え切れず、思わず起き上がった。「僕」はずぶ濡れになっていて、土で汚れた「服」が身体に貼りついて少し気持ち悪い。「僕」は「手」で、同じように「顔」に貼り付いていた短い「髪の毛」をかき上げた。




 あたりは薄暗かったが、目が慣れると、だんだんはっきりと見えるようになった。


 たくさんの大きな四角の「石」が並んでいる。中には十字の形のものもある。 




 ここは……「墓場」だ。




 立ち上がり、「足」で土を踏む。何歩か歩くと、硬い感じがした。「僕」は、他よりも柔らかい土の上に倒れていたようだ。


 周りを見渡すと、自分の倒れていたところだけ、「草」が生えていなかった。




 では、ここには「僕」の――




 いや、そんなことはない。「目」も「耳」も「鼻」も働いている。「手」も「足」も自由に動く。


 「僕」の「身体」は、生きている。




 そもそも、そもそもだ。どうして「僕」はこんな場所にいるのだろうか。


 「何」があったのか。


 いつ、どのようにして、ここに来たのか。


 それとも、「誰か」が「僕」をここに連れてきたのか。




 改めて、周囲を見回してみる。雨は依然として強いままである。




 誰のものか分からない墓には、「名前」と二つの「数字」が刻まれていた。


 すぐに思い出した。これらの「数字」は「生まれた日」――すなわち「誕生日」と「死んだ年」――「命日」だ。


 ああ、自分にも「生まれた日」があったはずだ、と勘づいた矢先、足元の地面に何か書いてあるのを見つけた。「数字」だった。




 6.6.1583




 子供が書いたような字だった。「僕」の字ではなかったが、これが「僕」の「誕生日」であろうと理解した。根拠など気にしなかった。なぜ「僕」の字ではないのが分かるのかとか、どうして自分の誕生日を覚えていないかなどという理屈も……




 あれ?




 墓標に刻まれた「名前」を見て、自分の「名前」を地面で探してみる。しかし、どこにも見当たらない。


 どこだろう。「僕」の「名前」は……




 「僕」は、「誰」?




 はっと、我に返った。自分の誕生日はおろか、名前すら自分自身で覚えていないなど、そんなことがあるだろうか。ないだろう。




 どうして?




 状況を整理して、冷静に考え直そう。「僕」は「墓場」に倒れていた。「雨」の「音」と「冷たさ」、「土」の「におい」で目を覚ました。そして、「僕」は――




 両手で顔に触れると、口の周りが膨らんでいた。


 これは「唇」である。


 鼻の左右に柔らかい感触があった。


 これは「(ほお)」である。


 目の少し上に毛が生えていた。


 これは「眉」である。


 これら以外にも、身体には場所によって名前がついている。


 しかし、そういうことではない。「僕」というひとまとまりで一つ「名前」があるはずである。そこで引っかかってしまう。




 とりあえず、ざっくり分けて二つ、気付いたことがある。一つは、「僕」はこの状況がおかしいということが分かること。自分のものと他人のものの区別もつくから、きっと全くの無知ではないのだろう。




 そして、もう一つ。




 「僕」は「僕」自身について、何もかもを覚えていないのだ。




 このままでは、凍え死んでしまいそうだ。どこか雨をしのげる所へ行かなければならない。


 早く、探さなければ。そう思った時、地面に書かれた「僕」の誕生日のすぐ横に、矢印が(いく)つも描かれているのが目に付いた。


「これは……?」





***





 夜が明けつつある中、少年は雨宿りの場所を求めて彷徨う。時折(ときおり)吹く冷たい風が、容赦なく身体の熱を奪っていく。


 ここは少年にとっては覚えていない――知らない場所だ。どこに何があるかなどもってのほかである。雨に濡れない場所であれば、どこでもいい。雨は(いま)だ止まない。寒い。


 とりあえず、墓場で見た矢印の通りに道を辿ることにした。誰にも会うことはなかった。危ないところかもしれないが、そこを目指して進むしかなかった。


 道は墓場を出てから舗装(ほそう)されており、直線的で分かりやすく、少年の足は軽かった。


 雨の降り方が少し緩やかになってきたころ、目の前に大きな館が見えてきた。重厚な門の前には、柄の悪そうな門番が立っていた。武装していて顔はよく見えないが、無精(ぶしょう)ひげを生やしていて、若くはなかった。


だるそうだ。そのうえ何かぶつぶつと呟いているのが、遠目から口の開閉で分かった。


嫌な予感もしたが、墓場の矢印は確かこの場所で終わっていた。仕方がない。何か怖いことをされそうになったらすぐに逃げよう。そう気を引き締めて、少年は門番のもとに近づいた。


「…ったく、ご主人は人使いが荒いぜ、オレだって人間だっつーの……」


 愚痴をこぼす門番はお疲れのようだ。


「なんだぁ、このガキ……ん?」


「あの――」


 門番は息を呑んだ。




「ここに、泊めていただけませんか?」




 艶のある美しいブロンドの髪を短く切り揃え、二重で切れ長のまぶたを覆うまつげは長い。


 ぱっちりと開かれた鮮やかな(あお)い瞳、


 凛々しい眉、


 高い鼻、


 薄い唇、


 細い首。


 シャツから透けて見える白い肌。


 肉の薄い身体。


 少年は、雨に濡れた身体を小刻みに震わせながら、そう(たず)ねた。


「…………―――」


 もう夜明けではあるが、少年にとっては、こう言うしかなかった。門番は困惑して、何も言えなかった。まだ薄暗かったが、先程よりも日が昇っていた。

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