暗い土の中で
「まっくらだな、公守!」
凜とした声がよく通る。
京の外れにあるとある洞窟。
検非違使(平安時代の警察官のような立場)である三善公守は、とある事情により下着一丁になった少女・藤原楓子を背負って歩いていた。
歩くたびに、楓子の後ろで一括りに束ねた長い黒髪が、尻尾のように揺れている。
武器である円匙(シャベルのこと)も持たず、代わりに片手には松明を持っている。
「洞窟なのだから、当たり前だ。こら、首が絞まる。もう少し、腕の力を緩めろ」
松明を持っているのとは逆の手は、楓子の尻を支えているため、公守は首を振って抵抗した。
「うん、クラヤミが怖くて仕方がない。だからしがみつくのは仕方がないのだ。諦めてくれ」
「そうか。ところでお前声が妙に弾んでいないか」
いつものように涼やかな声色だが、それなりの付き合いになる公守には分かる。
暗い土の穴を歩んでいるというのに、背中の少女は怖がるどころかむしろ楽しんでいる風情であるのは間違いない。
「当然だ。公守とこうしてミッチャクしていられるのだからな。これが浮かれないでいられるか」
「顔を押しつけるな」
「舐めてよいか」
「絶対やめろ」
「では、臭いを吸うだけでがまんしよう」
「……足を挫いてなければ、置いて捨ててやるところだ」
公守が楓子を背負っているのは、つまりそういう事なのであった。
「うん、公守がそんな非情なマネをしないのは、ちゃんと知っているぞ。何も心配していない」
「少しは緊張しろ。敵に追われているんだぞ」
公守は背後の気配を探る。
幸い、敵である詠裏庵と呼ばれるアヤカシ達の気配は、まだない。しかし、確実に迫ってきているのは戦い慣れた公守には分かっていた。
「ふむ、まさか敵が弱点である土中まで追ってくるとは驚きだな、公守」
以前は、土に埋めさえすればそれで極端に弱った詠裏庵であったが、その弱点を克服しつつあるのか、時を経るごとに手強くなってきていた。
それよりも、公守には分からないことがあった。
「そもそも、何故お前がさらわれなければならなかったんだか……」
藤原家の官女の話によると、昨晩突然屋敷に現れ、楓子をさらっていったのだという。
公守が方角から当たりを付け、わずかな時間で楓子を発見できたのは僥倖であった。ちなみに楓子が下着姿なのは、逃げる先で次から次へと着物を脱いでいったからである。だからこそ、公守も楓子を捕まえることが出来たのであるが……。
やはり、楓子が狙われる理由がよく分からない。
「それは、この京で一番手強い男の弱点だからではないか?」
「ほう、誰のことかサッパリ心当たりがないな」
「お前のことだ、三善公守」
首が絞まった。
「俺はそんなに偉くなった憶えはないし、お前を弱点にした憶えもない。あと、首を緩めろ」
「私も弱点になったつもりはない。がんばったぞ」
えへんと、楓子は公守の背中で胸を張った。
「まあ、自力で途中まで逃げ出した点は評価する。ここに逃げたのは上出来だ」
敵の本拠地は京の外れの森の中にあった。
さながら油虫の巣といった風情で、蜘蛛の糸のような粘糸の中、無数の卵が産み付けられていた。そちらは後発の検非違使が火を放つなりなんなりしてくれているはずである。
「ほうびなら、妾をだっこすることでよいぞ」
「無理言うな。この状況で出来るか」
手の松明を振りかざしながら、公守は訴えた。
「まあ、帰る時でよい。さて、お札が出来た。これで式が打てる」
にょきっと公守の前に、白い手が突き出される。
そこには、楓子が書いた符が数枚扇状に広げられていた。聞くと、興味本位で時々陰陽寮に出入りしていたのだという。
そして、ちょうど公守の足も止まった。
目の前には土の壁。
行き止まりであった。円匙があれば掘り進めることも出来るだろうが、楓子の拐かしを聞いてすぐに動いてしまったため、それも望めない。
「ここが限界か。では、反撃といこうか」
楓子を地面におろし、符の準備を開始する。
式神と呼ばれる使い魔を召喚し、迫る詠裏庵を迎え撃つのだ。
「うん、我ら夫婦の力を見せてやろう」
公守の裾を掴んだまま、楓子が言う。
「俺はまだ、独り身だ」
「うん、祝言は帰ってからだ」
「……どう誤魔化すか、頭が痛いな」
「大丈夫。父様も母様も充分乗り気だ」
「すごい不安になってきた……!」
公守の悲痛な叫びであった。
生きて帰っても、それはそれできついかもしれない。
「まあ、それもここを生き残ってからの話。だが、それにしてもわざわざこんな土の中まで追ってくるとは――」
楓子の呆れたような口調に、公守も頷いた。
「ああ、アヤカシのくせに生意気だ」




