平安京のスコップ使い
夜の空にはぽっかりと月が浮かんでいた。
そのお陰で京の都の小路も、この時間でも割と明るい。
検非違使(平安時代の警察官のような立場)である三善公守は、一心不乱に円匙(シャベルのこと)で土の地面を掘っていた。
額には汗が浮かび頬を伝うが、それを拭う余裕もない。
急がなければ『奴』が迫ってくるのだ。
月が照らしているとは言っても、夜の闇は深く、昼と同じとはどうしても言えない。
闇の奥に息づく異形が近付いてきているのを、公守は確かに感じていた。
いつから現れたのか――おそらく、数年前、空から石が降ってきた時からなのだろうと公守は推測するが、その辺の判断はどちらかといえば陰陽寮の学者連中の仕事だろう。
公守達、検非違使の仕事は都の治安を守る事である。
夜な夜な跋扈する、詠裏庵と呼ばれるアヤカシ達を、とにかく鎮める必要があった。
「――という訳で、土の属性に弱い連中を葬るため、公守達は穴を掘るのであった」
「誰に説明している……」
小路をいっぱいに掘り尽くした公守は、息を切らせながら円匙を地面に突き立て、振り返った。
「さて、誰だろう。月にいるという兎だろうか」
などと戯言を言うのは、白い水干(男物の装束)を着た若い女だった。普段は長い黒髪を適当に後ろにまとめ、年の頃は十代半ばだろう。幼さの残る可憐な顔が、まっすぐに大柄な公守を見上げている。
名前を藤原楓子という。藤原家に連なる貴族の娘だ。
公守は楓子の顔を憮然とにらみつけた。
「そもそも、こんな夜中に貴族の女が出歩くな。危ないだろう」
すると、余裕を持って公守を見上げていた彼女の表情が綻ぶ。
「お、公守、心配してくれるのか。それは嬉しいな」
その顔だけで、貴族の男共を虜に出来るだろう。噂に聞くなよ竹のかぐや姫にも負けるとも劣らないと、公守は思わないでもない。
だが、それとこれとは別である。
三善公守は仕事の男なのだ。当分、女はいらぬ。
「京の都の平安を守る。それが仕事だ。お前もこの都の住人だからな。心配するのは当たり前だ。大体なんだその格好は。いつ白拍子(この時代における踊り子)になった?」
公守の問いに、楓子はその場で一回り舞って見せた。
「踊りも舞えるぞ。まあ、この格好は単に動きやすさを追求したいだけだ。い
つも着る服は重すぎる」
「……まあ、それは同意するが」
公守は昼間の庭越しに何度か見た事のある、廊下を常に裾が擦るほど長い楓子の装束を頭に浮かべた。
「あんな格好では、公守の仕事ぶりが見れない」
回想を打ち切り、公守は頭を振った。
「だから、それがおかしいと言っている。何故、お前が俺の仕事を見る必要がある」
「決まってるじゃないか。公守が夜這いに来ないからだ」
そう言って、楓子は少し唇を尖らせた。
一方公守は脱力しそうになる。
「いや、あのな……」
「何度文を送っても梨の礫だしな。お前が来てくれないから、妾は大変なんだぞ? 毎日毎日、他の男から送られてくる文に断りの返事は返さなきゃならないし、第一夜に部屋にいては、余所の貴族共が夜這いに来る。冗談じゃない。妾はお主以外と添い遂げるつもりはないのだ」
「物好きな……」
本気でそう思う。
だが、楓子的には喜ばしい事であったようだ。
「それは、競争相手がいないという事だ。妾にとっては好都合だな。あと、これを受け取ってくれ」
楓子は懐から白い手紙を取り出し、背を一生懸命伸ばしながら両手で公守に差しだした。
「……何だこれは」
受け取りながら、公守は問う。
「見ての通りの文だ。ああ、長文の恋文だから、今は開くな。仕事の邪魔をしたくない」
「お前がいる事が……」
迷惑だ、と言いかけて、公守は言葉を止めた。
穴掘りが終わってから声を掛けてきた辺り、一応楓子も公守に気を遣っているのだ。なら、この台詞は言うべきではない。
それを察した楓子は、更に顔を綻ばせながら、公守の袖を掴んだ。
「うん、お前のそういう所が好きだぞ、公守」
「やかましい。というか普通、遣いの人間が渡しに来るモノだろうに」
ふん、と楓子は鼻で笑った。
「そんな仕来りは知らぬ。妾は妾のやりたいようにやる。想いを伝えるのも託すのも直が一番だ。それを書くのに苦労したぞ。何と三日も掛かってしまったのだ」
「未来の歌人の期待の新作か」
懐に仕舞いながら、公守は言う。背後の闇から、禍々しい気配が伝わってくる。寒さと熱さを併せ持った不快な感覚、瘴気という気配だ。
「うん、間違いなく妾に惚れるぞ。渾身の一筆だ」
「そうか」
公守は楓子の頭を一度撫でると、振り返った。
足下には巨大な穴。正面の闇に目をこらしたまま、公守は円匙を手に取った。
「それより下がってろ。そろそろ来るぞ」
「ふむ、話に聞く、詠裏庵か」
「そうだ。俺の背中に隠れていろ」
「そうしよう。ん、妾も円匙を持ってくるべきだったな」
「……お前、本当に貴族か?」
裾を楓子が掴んでいるのか、引っ張られる感覚が伝わってくる。
……まあ、しがみつかれるよりはマシか、と公守は判断する。
「公守が望むなら、そんな身分あっさり捨てるぞ? まあ、雑談はここまでだな」
「その通り。奴がこの穴に落ちたら……」
「うん、埋めるんだな」
――敵が、迫ってきた。
そもそもスレの埋め作品だった為、こういうオチだったという。




