老人の歌28
「還ってこなかった?」
老人は小さく頷いた。
「何人で行こうが、全員が無傷で済むなどと言うことはない。鰐のいる川を渡る野牛の群れと何も変わらん。成功した者たちの影に隠れて、運がなかった者たちは消え去るだけの話じゃ。あやつはわしがそうであったように、ただドラゴンスレイヤーになりたかったのじゃ。そして胸を張ってこの場所に…… わしはいつかこの地で息子の敵を討つと心に決めたのじゃ」
僕たちは祠の方を振り返った。
「わしの心残りは自分のユニークスキルをどう処分するかということじゃった。冷静になる程、誰にも譲れなくなった。もし悪人に渡ってしまったらと思うと、死ぬに死に切れん! おかげできょうまで生き恥をさらして」
「だから息子さんがいた『銀花の紋章団』に依頼を?」
「いいや、それはジータが勝手にしたことじゃ。わしは知り合いにドラゴンと渡り合える者を紹介してもらうつもりでいただけじゃ。知らない者に継がれるより、少しでも気に入った者に譲りたいと思うてな。その知り合いが選んだ人物なら間違いないとな」
「気に入らなかったら?」
「無論、依頼を反故にするつもりでおった」
「ひどいな、こんな遠くまで呼び寄せておいて」
「そうじゃな…… ひどい話じゃ」
「枢機卿とはどこで?」
「枢機卿?」
「カミール・ビアンケッティ枢機卿です」
「奴が枢機卿じゃと!」
「ええ。そうですけど。ロザリアは彼の娘ですよ」
「なんじゃと! あの教会の娘さんがか?」
「ええ。カミールさんの娘さんです。カミールさんとはどこで?」
「ちょっとまて、それをくれ」
水差しから中身をコップに注いだら、ワインだった。
クラースはそれを一気に飲み干すと、大きく息を吐いた。
「回復役をよく頼んでおった。当時はあやつも幼くてな。小綺麗なくせに小遣いが少ないと言っては冒険者ギルドに顔を出して、職員によく追い払われておったわ」
「聖都に?」
「いいや、仲間に伝手があってな。聖騎士団のおこぼれを優先的にこなしていたせいで、よく立ち寄る機会があったんじゃ。パーティーの連中はわしより年寄りばかりじゃったから、あやつを子供のようにかわいがっての。腕がよかったせいもあるが、危ない依頼じゃない限り、よく誘ってやったもんじゃ。そうか…… 枢機卿になったか……」
知らずにジータに頼んだのか?
しばらく考えて、突然、クラースは僕を見た。
「お主何者じゃ?」
今更ですか?
「彼女と同じパーティーのただの冒険者ですが」
「あのエルフたちは?」
「一番背の高いエルフはうちのパーティーメンバーです。男の方は彼女の甥で我が家の居候です。彼も別のパーティーで冒険者をしています。小さい彼女は…… ふたりの知人で、今別件の依頼で協力して貰ってるんですよ」
「あの子供たちは? 小姓か?」
「船の乗組員です。まだ幼いけど船のことは大旨任せてますよ」
「余り感心せんの」
「あの子たちもドラゴンスレイヤーですよ」
「なんじゃと!」
「ドラゴン相手に一緒に戦ってきた仲間です」
「あの子たちがか?」
「ええ。なん度か船で戦うことがあって。ワイバーンぐらいなら子供たちだけでやれるんじゃないかな」
「なんとまあ、北方も随分と変わったものじゃ」
「一度遊びにいらしては? ここに根を張る理由はもうないでしょ?」
「ジータのあの船でコートルーまではどれくらい掛かるのかね?」
「風向きにもよりますが、片道で二日といったところですね」
「なんじゃと! 信じられん…… ベヒモスに襲われる以前は一月以上掛かっておったぞ。コートルーからはポータルがあるから、国境越えで数日掛かる程度じゃったが。難所と言われた死の砂漠をたった二日か……」
「砂丘を越えたり、稜線に沿って遠回りしたりしませんからね。魔石は消耗しますけど。快適な旅を保証しますよ。空に大物が現われなければですけど」
「それは地上も一緒じゃ。いや、むしろ地上の方が物騒じゃ」
「そうか…… 二日か」
「夜通しですけどね」
「それでも五日は掛からんのじゃろ? 時代が変わるの……」
翌日、僕たちは帰ることにした。肝心な報告が残っているし、子供たちの親も前回に引き続きだから心配していることだろう。
今後のことは教会やギルドに委ねよう。
クラースさんもきっと気に掛けてくれるに違いない。教会が迷宮を造ると決めれば、冒険者ギルドも乗り込んで来るだろう。そうなれば情報のやり取りも楽になる。
その後、事態は僕たちが望んだ通りになった。
一ヶ月も経たずに、教会の進出と共に、冒険者ギルドが動いた。
おかげで今こうしてジータからの手紙を読むことができているのだが。
あれから数日後、頭目のリーダーは吊るし首にはならず、所払いになったという。ただし、身ぐるみ剥がされ、わずかな水だけを与えられて砂漠のど真ん中に放り出されたらしい。かつて同じ目にあった罪人は靴すら与えられなかったという。死よりも重い罪なのだそうだ。
中型艇の寄付についても礼を言われた。
なんと、僕だけでなくロザリアとヴァレンティーナ様も中型艇を一隻ずつ送っていた。
僕はコートルーとの貿易が、さすがにジータの一隻だけでは立ち行かないと危惧したからだ。
ロザリアは教会の職員が他の町などに移動する祭、必要に迫られるだろうと考え、父を焚き付ける意味も込めて提供したようだ。なんとその船には祭壇が完備されているらしい。まさに移動教会という奴だ。
『ビアンコ商会』に教会から追加で十隻注文が来た。おかげで丸一日、コモド狩りをさせられてしまった。ついでに宝物庫漁りもするものだから、我が家の宝物庫は整頓前のお宝の山で埋もれた。
ヴァレンティーナ様は、コートルー側に、よしなにと言うことで進呈したようだ。交易路の発展を願ってと言うことだが、本音は「あそこは『銀花の紋章団』が唾を付けてるから、ふざけた真似はするなよ」と、早めに釘を刺したというところだろう。
そんなわけで交易路は他の商人たちも巻き込んで復活の兆しが見えてきたようだ。
南からの商人のキャラバンも増えてきて、彼女曰く、夢のような事態になっているそうだ。
他にもいろいろ書かれていた。
冒険者ギルドがやって来たときは、町が繁栄するお墨付きのようなものだからと、町を挙げての大騒ぎになったとか。
城塞の外壁修理が何百年かぶりに終わったとか、最初の稲の収穫が終わったけど、水車小屋の完成がまだで製粉できないとか。
砂漠に井戸を掘り始めたが水が出ないとか。
庭園のメリーナ嬢が結婚して、自分だけ行き遅れたとか。
取り留めのない内容が、一体いくら通信費が掛かったのか心配になる程、びっしり通信欄に書き込まれていた。
そして……
『アールセン自治共和国、遂に誕生しました。エルリンさん、皆さん、本当にありがとう。皆さんのお力添えのおかげです。立派な国になるよう誠心誠意、精進いたします。
追伸、飛空艇で使う魔石は自分が稼ぐと言ってクラースが家出しました。そちらで見掛けたらご一報ください』
「だから、エルリンじゃないって」
「合ってるのです」
「ナーナ」
「問題はそこじゃない、だって」




