閑話 人生リタイヤするには面白すぎる・その二
小人ちゃんの余りの小ささに口をつぐんでしまったけれど、周りの店員さんもお客さんも驚いてはいなかったわね。
この町は一体どうなっているのかしら?
強面の獣人たちまで人族と当たり前のように仲良くしてるし、ドワーフは闊歩しているし、おまけにこんな小人まで。
強面の獣人を見ていたら、今じゃ狼だか熊だか分からないマーローの顔を思い出しちゃったわ。マーローがひねた原因は強面なせいで人族から偏見を受けて育ったからなのよね。
よしましょう、彼のことを思い出すのは。
「ちょうどいいタイミングだったな、お客さん。若様の所にならあるかもな」
「ナー?」
小人はこの町の名士の家の使用人であるらしかった。ヘモジという名のその子はわたしのためにユニコーンが育てたポポラの実を分けてくれると言う。
使用人が確約できることではないと思うのだけど? いいわ、所在さえ分かれば交渉はわたしがしましょう。
ヘモジちゃんは公園に入り、遊歩道を進み、更に深い森に入っていったの。
「ちょっと、あなたのご主人はこんな森のなかに住んでいるの?」
「ナ? ナーナ」
近道? そうなの? 鬱蒼とした森にしか見えないけど……
森に入るとすぐに声が聞こえてきた。
生活の音。匂い。
せせらぎも聞こえてくる。川が流れているのね。洗濯しているのかしら? 女たちの楽しそうな笑い声が聞こえるわ。
「ナーナ」
森から出るとそこには獣人たちの村があった。
獣人特有の家々が幾つもの集落を形成して森のなかに点在していた。
「ちょっと、ここは何なの! 町のなかなのよね?」
「ナーナ」
とっくにご主人の家の敷地のなかですって?
「ナーナーナ」
公園からあっちの城壁まで?
そんな、まさかあなたのご主人てヴァレンティーナ様なの? 青果店の店主は「若様」て言ってたわよね?
「こんにちは、ヘモジちゃん。お客さんかい?」
「ナーナ」
「今日の肉祭り楽しみにしてるからね。うちの息子、お昼抜いて張り切ってるんだから」
獣人の奥さんがヘモジちゃんに声を掛けてきた。
肉祭り?
わたしが講演を頼まれた? 内輪のお祭りのことかしら?
しばらく村のなかを進んでいくと滝の音が聞こえてきた。町の外の瀑布とは別の音だった。まさか町のなかにもあったなんて。
そしてその滝口の崖の上には見たこともない大きなガラス張りの巨大建造物がそびえていた。
「まさかあそこがお屋敷なの?」
「ナーナ、ナナーナ、ナナナナナ」
福利厚生施設? お風呂と売店があるの? 珍しいお土産がたくさん? いい匂い?
坂を登った先に大きな広場があって、そこで大勢の人たちが会場作りの準備をしていた。開会は夕方からだと言っていたから、まだ始まったばかりね。
大きなグランドで子供たちが見慣れない遊びをしていた。丸くて柔らかい球を蹴飛ばしたり、空に向けて何やら飛ばしたり。
獣人族だけでなく、人族も一緒になって楽しそうに笑顔を振り撒いている。
一体ヘモジちゃんのご主人というのはどういう人物なのかしら? これ全部がその人の物なの?
「ナーナーナ」
「畑? ヘモジちゃんの畑があるの?」
「ナーナ」
更に進んだところに壁に囲まれた畑があった。開け放たれてはいたがガラスの屋根まで付いていた。
「これは?」
「ナーナナ」
温室?
「こんな大きな物が?」
貴族の屋敷でたまに見かけることはあるけれど、これはそのなかでも最大級ね。
「これをヘモジちゃんが一人で切り盛りしてるの?」
「ナーナ」
「いろんな作物が植わっているわね」
でも、どれも植えたばかりね。食べてみたかったから、ちょっと残念。
「ナーナ」
こっちの畑は土作りの段階ね。まあ、こんなに土の魔石を使って。随分贅沢な畑ね。
「ナーナーナ」
自分で魔石を拾ってくるの? どうやって?
大きなお屋敷が見えてきた。わたしたちは壁に沿って玄関に向かっているらしい。
一体いつになったら着くのかしら?
「ナーナナナー、ナーナナナー」
ヘモジちゃんは楽しそうに鼻歌を歌い始めた。
そしてようやくお屋敷の玄関ポーチに到着した。
「ナーナナー」
勝手に開けて入っていった。
ちょっと! 使用人が正面玄関からだなんて、叱られるわよ!
「お客さん?」
出てきたのはエルフの少年だった。
一瞬心臓が止まったわよ。この町にはドワーフだけでなくエルフまでいるの?
「ナーナ」
ヘモジちゃんはわたしを居間に招き入れると家の方々に紹介してくれた。
「あの…… ヘモジちゃんは使用人では?」
「召喚獣よ。まあ、使役されてることには違いないけど。でもこの家で一番奔放に生きてるわね」
ええ! ヘモジちゃんが召喚獣? 腰にトンカチをぶら下げてはいるけれど……
戦闘力あるの?
きれいな髪飾りをした女の子が教えてくれた。この家のお嬢さんかしら?
わたしはヘモジちゃんをまじまじと見てしまったの。だって、本当に小さいのよ?
「使役されてるのはこっちの方なのです」
「あんたはわたしがいないとサボるでしょ!」
獣人の女の子が凹まされた。どういうことかしら? 獣人の子の方がお嬢さんの主人だと言っているように聞こえたけれど? 名前はナガレちゃんとリオナちゃんね。
「ナーナーナ」
ヘモジちゃんが黒猫に話し掛けていた。
まあ、きれいな猫ちゃんね。
あら? 尻尾が二本? まあ、奇形なのね。とてもきれいな猫なのに可哀相に。
ペコリと挨拶された。
「ナーナ」
「オクタヴィアちゃんね、よろしく」
肉球と握手しちゃったわ。かわいいわねー、うちでも猫飼えないかしら?
奥からようやく大人が現われた。
それはもうひとりのエルフだった。飛び切りという奴ね。ただでさえ美しいエルフの更に上を行く美しさだわ。まるでエルフの王女様のよう。彼女がこの家の奥方なのかしら?
アイシャ様と言うらしい。
「ただいまー」
玄関からもうひとり女の子が現われた。
今度は教会付属の学校の制服に似た衣装を着た、見るからに貴族風のお嬢さんだった。教会関係者のご息女かしら?
「ナーナーナ」
「ええ? 教皇のお孫様のロザリア・ビアンケッティ様?」
奥様には晩餐の席で何度もお目にかかったことがあるわ。最近は身重だったはず? そのご息女がなぜここに?
食堂から人族の赤ちゃんを抱き抱えた獣人の少年が現われた。
赤ちゃんを預けたエプロン姿の少女がバックヤードに姿を消した。これから昼食の準備をするのに邪魔だったのね。
「アンジェラさんがいないんだから誰か手伝えって」
獣人の子がわたしに軽く会釈すると赤ん坊を床に放した。
黒猫が即行で食堂に逃げていったわ。
少年はテトちゃん、赤ちゃんは聞くの忘れたわね。
「リオナが手伝うのです」
「どうせ『若様印』でしょ?」
「あれ美味しいですよね」
「あれただのミンチじゃないからね」
え? 今「若様印」て言った?
リオナちゃんとナガレちゃん、エルフの少年が入れ替わるように食堂に入った。
もうひとり食堂から少年が現われた。ヘモジちゃんが走り寄って足元に張り付いた。
この家のご子息かしら? 見るからに素直そうな子ね。
「初めまして。この家の主をしております、エルネスト・ヴィオネッティと申します――」
ヴィオネッティですって! 災害認定者を何人も出しているという、あの辺境伯? の息子?
目眩がした。
「ナーナ」
「ん? ポポラの実?」
「ナーナーナ」
「ああ、ユニコーンの。食料保管庫に残ってるんじゃないか?」
「ナーナ」
「構わないけど。そうだ、アップルパイ残ってなかったか? 御茶請にお出ししたら?」
「ナーナ!」
目の前に『ユニコーンが育てたポポラの実で作ったアップルパイ』と『若様印のハンバーグ&チーズサンド』の皿が並んでいた。
「すいません。うちの料理人が祭りの準備で出払っていて、出来合いの物しかなくて」
「お詫びに一足早くコモドドラゴンのローストビーフならぬ、ローストドラゴンなのです」
わたしが欲しかった変化って、別にここまで急じゃなくていいのに。




