夏休みは忙しい(パスカル君と夏休み・別荘で)27
「別荘、どうなってるの? 今度は空気一杯ある?」
チコが言った。
「うん、空気もあるし、結構凄いことになってるぞ」
「飛空艇で来られたらよかったのに」
テトが残念そうだ。
「そうだな。空からここに来る景色は一見の価値があるよな。パスカル君たちにも見せたかったよな」
切り立った峰が延々と続く断崖。高い空。草を食むアースドラゴンの群れ。
死に損ないのベヒモスめ、つくづく忌々しい。
ん?
なんだかいい匂い……
僕が匂いに気付いたのをチッタが察して、自分の荷物から何かを取り出した。
「香木?」
「ふふん。お小遣い奮発して買ったんですよ」
チッタが嬉しそうに言った。
「いい匂い」
チコが香木の入った手編みの袋に鼻を突っ込んだ。
「黴びてる……」
「え?」
チッタの顔色が変わった。
「買ったばかりなのに!」
自分の鼻を香木に近づけた。
「こないだ雨降ったから?」
声が震えていた。
男連中の心配そうな視線を集めた。
「もしかして倉庫、湿気てたのかな?」
テトがピオトに言った。香木はそれ自体に抗菌性があるので黴びにくいものだが…… 保存状態が心配だ。
「大変だ! 長老に知らせなきゃ!」
ピオトも慌てた。
「高い香木は保管庫に入ってるから大丈夫だ」
僕はピオトを安心させるために言ったのだが「これだって高かったもん!」とチッタに怒られた。
僕はナイフを取り出した。ナイフを受け取るとチッタは思い切り目を近づけながら、香木を削り始めた。
半泣き状態だった。
「いくらしたんだ?」
チコに小声で聞いたら「金貨一枚」と答えが返ってきた。あのサイズで金貨一枚は確かに安物ではない。
僕は削ぎ落とした一片を小皿に置いて火を付けた。
甘い花の匂いが広がった。よく黴びたものは湿気た匂いがすると言うが……
「どうだ?」
チコに尋ねた。
「いい匂い。でも黴びてる」
それは分かってる。黴びた匂いがするかと聞いたんだが。
浄化したら匂いが変わるんだろうか? 僕は燃やしていない一片に魔法を掛けた。
「あーっ」
チコがカビを取り除いた一片に鼻を近づけた。
「黴び消えた!」
チコの声にチッタの手が止まった。
「どうだ? 何か変わったか?」
クンクンと匂いを嗅いだ。既に同じ匂いが車内に充満しているなかで、チコは嗅ぎ分けられるのか?
「むー」
駄目だったようだ。
僕は削り落とした物をかき集めて、とりあえず浄化すると薬の空き瓶に放り込んで栓をした。
「後で試してみるんだな」
チッタは三割程小さくなった香木と、小瓶を見比べて、がっくりうなだれた。
「喉渇いた。水筒飲んでいい?」
甘い匂いに当てられたのか、ピオトがしばらくして喉の渇きを訴えた。
「いいぞ。向こうにも水源はあるからな。遠慮するな」
そうか、池があるってことは、姉さん、水路も引いたんだな。今頃になって気が付いた。
ピオトはうまそうに水筒の水を口に含んだ。
「若様、勉強教えてー」
チコが教科書を出してきて言った。単語を覚える宿題のようだった。
「そうだな。今のうちに宿題やっちゃおうぜ」
ピノも参戦した。
「一時間もあるもんね」
ピオトも参戦だ。
一時間、勉強を見ることになった。どれもこれも僕がチコの歳ぐらいに覚えた内容ばかりだったので、恥を掻かずに済みそうである。
「僕はもうやっちゃったから」
テトだけは、飛行船の資料を開いていた。
あ、それ、業界紙だ。『実録、飛行船のなかはこうなっている!』、『特集、飛行船を十倍楽しむ方法』
面白そうだな。後で読ませて貰おう。
「若様、アダマンタイトって亀なの?」
おかしな方向から質問が飛んできた。なんでチコの歳の単語の勉強でアダマンタイトが出てくるんだ。しかも亀って……
チコが真顔だった。
「どした?」
「若様の剣はアダマンタイト。亀なの?」
「違うよ。これは鉄や胴なんかと同じ金属だ。ドワーフが掘り当てた貴重な物からできてるんだ」
「お姉ちゃんがね。隣で演習の獲物の話してるの」
「はあ?」
お姉ちゃん? 意気消沈してるチッタと目が合ったが、すぐにうちの姉のことだと分かった。
隣りの車両の声が?
そりゃ、そうだな、チコたちの耳なら聞こえてもおかしくないか……
「いや、車両には消音結界してあるはずだ」
「聞こえないぞ」
ピノが唯一ある小窓から外を見ながら言った。
「これ」
チコが取り出したのは……
「糸電話だ!」
オクタヴィアの缶かんの蓋のような容器に糸が付いているものが壁から吊り下がっていた。
こんな物までいつの間に……
糸を張り、耳をそばだてると微かに向こうの声が聞こえる。
これなら獣人の耳なら聞こえるか。
「もしもしー」
こちらから子供たちが声を掛けたが、気付いて貰えなかった。
なんのために付けたんだよ、姉さん。
「アダマンタイトね」
僕はリュックのなかから『魔獣図鑑』を取り出した。驚いたことに同名の魔物がいた。
「うわ、堅そうだな……」
大きさは人の二倍程度で、巨大陸亀のような大きさはなかった。ただ、甲羅の堅さはあれに匹敵するようだった。軽くて丈夫であることから前衛の盾持ちに重宝されているようだった。
なるほど、これは剣では倒せまい。演習の格好の相手だ。
ただ噛まれると簡単に腕を持って行かれるらしい。
いつの間にか子供たちも『魔獣図鑑』にかじり付いていた。
「これなんて読むの?」
チコが姉に尋ねた。
「こうら」
「これは?」
「あご」
「兄ちゃん、この本、俺も欲しい」
「金貨百枚ぐらいじゃなかったかな? ギルドで購入できるぞ」
「…… 我慢する」
「うちに付録の簡易カードがあるから、それを持って行くといい。この本と同じぐらい重いけどな。なくすなよ」
これを切っ掛けに、学校で『魔獣図鑑』のカード遊びが流行り出すのである。
学校側が学習意欲の向上を謳い、一クラスに二セットずつ配布したことで、カードバトルとか神経衰弱のようなゲームが自然発生することになった。
魔物の知識も学べて、安全対策にもなり、一石二鳥であった。
販売元のギルドもこれを機に、内容を簡略化した子供向けの学習教材として、付録ではなく、本腰を入れて販売することになった。これまで高価で手に入らなかった物を冒険者たちが逆購入する珍現象が起きた。
但し、プロが必要とする狩り場情報や細かい記述はやはり大判『魔獣図鑑』を見るしかないのであるが。
一時間ほどして目的地に着いた僕たちは手分けして荷物の搬入をした。ほとんど僕が『楽園』に放り込んで取って出ししただけだが。
「すげー……」
「凄い。兄ちゃんちより天井が高い……」
最下層にあるゲートから出た子供たちは上階を見上げた。
吹き抜け構造だからな、と思ったら、前回来たときよりフロア数が増えていた。
池があったフロアは、格納庫を別にして、上から数えて三階層部分だったはずだが、いつの間にか四階になっていた。上には伸ばせないのだから、掘り下げたことになる。
何が増えたんだ? と思ったら三階層部分に部屋が増設されていた。
吹き抜けを中心に一周する廊下が設けられていて、その壁の両サイドに扉が向き合うように割振られていた。
「ホテル業でも始める気か?」
部屋数が一気に二十部屋増えていた。ラウンジが三階層部分にもできていて、二階よりあえてグレードを落としてあった。これなら防具を着たままでも遠慮なく座れるだろう。
池と倉庫ぐらいしかなかった最下層には厨房と食堂ができていた。大所帯での来訪を見越して完備したようだった。
特に部屋割りはされず、全員、思い思いの部屋に泊まることができた。




