青嵐到来9
そこはかつて宿酒場があった場所の裏手に面した小屋だった。周囲には宿酒場で使ったものだろう、酒樽が散乱していた。
ヘモジが邪魔な樽を蹴飛ばしたら、樽の壁が劣化していて足がすっぽり嵌まってしまった。
「ナナ!」
暴れたら樽は容易く壊れた。
樽から逃れてほっとしたヘモジがベランダ兼アーケードの天井を支える柱に手をやると、ボキッと音を立てて周囲を驚かせた。
「気を付けて」
ナガレが言った。ヘモジを見ていればみんな言われなくても警戒するから。
封印結界に近いおかげで、劣化は限りなく緩やかに進んだ。だがそれでも長い年月は建物の基礎の土を押し流し、歪め、傾いた床と柱を腐らせた。
部屋の傍らにはひとりの浅黒い少年が立っていた。少年は両手で顔を拭いながら泣きじゃくっていた。まだ幼い姿が尚更哀れを誘った。
「見つかったのか?」
「竜は成長が遅いから」
ロメオ君は悲愴感を隠すために冗談めかして言った。その手にはスコップが握られていた。
床板を強引に剥がしたようだった。剥がされた床板のつなぎ目はまだ真新しかった。
穴の下にはわずかな隙間があった。
暗いので懐中電灯をかざした。
床に空いた穴の下には臭いを隠すための消臭結界の札の切れ端と、原形のある白骨が横たわっていた。
「アンデットじゃないだろうな?」
「大丈夫。この辺りは結界が近いせいで土に瘴気の影響が出なかったんだ。却って清浄なくらいだよ」
僕は土に触れてみたが、確かに嫌な感じはしない。
近くに投げ捨てられていたボロボロの鞄の隠しポケットに目的の物はあった。
取り出したカードには彼の名前があった。
「ネーロと言うのか?」
少年は何百年かぶりに名前を呼ばれて振り向いた。すると見る見るまた目から涙が溢れてきて、側にいたナガレが少年の頭を抱きしめた。
「何が原因だったのかな?」
今となっては刺し傷の確認もできやしない。骨に傷が残っていればまだしも、肉を貫かれただけなら証拠はない。ただ普通の死ではないことは明らかだった。普通の死だったら床下に隠されたりはしないから。
ネーロ少年曰く、英雄だったと言うが、金目の物は何一つ残っていなかった。当然あって然るべき剣や鎧や路銀や薬、何もかもがだ。
「物取りか……」
ちょっとした用事だったのだろう。日用品を揃えるとか、食料を買いあさるとか、アイテムを換金するとか、旅支度をするために。少年を長く待たせる気などなかったはずだ。
「こんな、近くにいた……」
「分からなくなるものなのか?」
僕はナガレに尋ねた。
「死んでしまったら繋がりも何もかもなくなるもの。分かるのはカードの在処だけ」
「この鞄、中身を知られないように探知系のスキルを遮断する仕掛けが施してあります」
エンリエッタさんは身分を証明する物はないか鞄のなかを探っていた。
「『認識』阻害用のネックレスみたいなものですか?」
彼女は頷いた。
「それでも気付きそうだが……」
ヘモジを見ているとそう思う。
「あの子はたぶん、魔力を得るためにゾンビと共生していたのよ。召喚獣は魔力を補充されている限り消えることはないから。ゾンビもまたこの世界に残るためにあの子の執着を利用したんだわ。お互い竜にドラゴン、長い時の流れも苦にはならなかったはずよ」
墓の前で、花を供えている少年を見ながら、ナガレは僕たちの疑問に答えていた。
「要は老練なドラゴンゾンビに小童が都合よく丸め込まれたということか」
やりきれない思いで、姉さんが軽口を叩く。
「案外、そのドラゴンを倒したのが彼の主だったのかもね」
「自分が生き残るためにそのドラゴンをゾンビにしたのでしょうか? あの子、暗黒竜ですし」
「どういう理屈よ」
「純真って怖いわね」
姉さんたちは思い思いに憶測を交わした。
「これから、あの子どうなるんでしょう? カードの魔力ももう残ってないし。魔力が途切れたら、次に召喚されるときは……」
ロザリアが心配そうに少年を見つめる。
「新たな主人に仕える気はないようじゃがな……」
アイシャさんもどこか寂しそうだ。
「そんなの駄目よ! 後追い自殺なんて絶対に駄目!」
叫んだのはファビオラだった。
少年の元に駆け寄って彼女は言った。
「うちの子になりなさい! うちはここから近いからお墓参りだって、あなたの翼なら毎日できるわよ。うちは母と馬鹿な弟がいるだけだし。今回の件でどうなっちゃうか分かんないけど…… 使役するとかしないとかそんなこと関係なしにうちにいなさいよ! いつかあんたにふさわしいご主人様が見つかるかも知れないから。そのときまでうちに間借りしなさいな。記憶を残したまま次の主に仕えるなら、魔力が残っている今のうちに継承を済ませないと。ね、そうしよ」
少年の一切の反論を封じ込めて捲し立てた。
「おかしな奴じゃが、いい奴じゃな」
アイシャさんがロザリアの肩に触れる。
「自慢できないのが玉に瑕なんですけど」
ロザリアはそう言って笑った。
少年は頑なだった。でもそこはナガレとヘモジが加勢してなんとか押さえ付けた。
暗黒竜こと、ネーロ少年は、よりにもよって光の魔法使いに引き取られることになった。
「大丈夫かよ?」
「お互い足りないところを補い合えるんだから、いいんじゃない」
ナガレは嬉しそうだった。
「だが、あの強さは問題だ」
姉さんたちは喜んでいいのか半信半疑だ。
「あれは元の主が凄かったからよ。新しい主人とはゼロからやり直しよ。彼より、馬鹿弟の監視をした方が世のためになると思うけど」
ごもっともな意見である。
「で、馬鹿弟はどうなるわけ?」
「そうね。あの姉に免じて、ドラゴンゾンビに操られていたことにして、情状酌量するよう掛け合ってみるわ。ここの守備隊、気に入らなかったし」
ヴァレンティーナ様の冗談に僕たちは笑った。
「この村を放置し続けたのは教会だし。損害の補填ぐらいはしてくれるでしょ。根源も潰えたことだし、よしとしましょう」
「ミッションコンプリートなのです」
「死臭が香水代わりなんて洒落にもならん。サッサと帰って風呂に入るぞ」
騒動は終り、ヴァレンティーナ様の予告通り、少年の罪は減じられた。ただ、無罪というわけにもいかず、奉仕活動一年が言い渡された。世間の一般常識を身に付けて貰うためにもと、ホロスの墓守の仕事の手伝いをすることになった。教会から給金も出るので、名ばかりの奉仕活動である。
家の方はドラゴンゾンビ討伐に貢献したとしてお咎めは免れた。
召喚獣のネーロ少年はファビオラの召喚獣となった。我が家のように野放しにするために、ナガレの指導の下、屋敷の池の一角に祠が建てられた。屋敷にいる限りネーロ少年は自由になった。冒険用の魔力装備やらにも結構投資した。供給元はロザリアなので、僕が絡んでいるかは推して知るべしである。少年が一緒にいれば、あのパーティーも安泰だろう。弟もいないことだし。
姉たちは帰ってから浮かれ通しだった。早速三人で、フェイクドラゴンの巣に向かった。
ドラゴンの部位がだぶついているというのに。いい気なものである。
サリーさんは面白くないから、僕に言う。
「今度アースドラゴン狩りに行くときは連れていきなさいよ」
そう言うと……
「リオナも行くです」
「そんなに有用なスキルなら妾も手に入れようかの」
「僕も頑張ってみようかな」てなもんで、うちのチームも粗方参戦の意思表明をした。
スキルを手に入れて楽に狩れるようになったと思ったのに、苦労は尽きないということか。
「いっそドラゴンの養殖でもすりゃいいんだ」
青嵐が通り過ぎ、入道雲が本格的な夏の到来を予見させた。




