閑話 西方戦線異状あり3
「姫様、こんなところで何してるんですか?」
姫様? 貴族の子か何かか? 突然現れた気がしたが。
「あれなのです。エルリンと一緒なのです。溜まりに溜まったミスリルを持ってきたのです。チョビが大きいので扉の開放を要求するのです」
「ミスリル!」
少女の指し示す正面玄関の監視ゲートを見ると巨大な蟹がいた。
「監視を無視して、簡単に乗り越えられそうだな」
跨げば簡単に侵入できそうなサイズだった。背中に大きな木箱を幾つも背負っていた。
大勢の子供たちが物珍しそうに周囲を取り囲んで騒いでいた。
「お前ら、あんまりチョビに近づくな。ミスリルが落っこちてきたら死ぬぞ」
少年が背中から下りてきた。
「そんなへましないって」
「しない、しない」
「しなくても駄目だ!」
「おはよう、弟君」
「お早うございます、マギーさん。棟梁います?」
「騒がしいと思ったら、やっぱり若様か。持ってきたのか?」
若様? 弟君?
「レジーナ様の弟さんよ」
「え?」
あれが? ヴィオネッティーの末っ子? まだ子供じゃないか……
「おいおい、また随分と拾ってきたな。全部ミスリルか?」
「後どれくらいいりようですかね?」
「しばらくは充分じゃ。設計の方が間に合わん」
「じゃあ、また溜めておきます。他に必要なものは?」
「そろそろアースドラゴンが欲しいな」
アースドラゴン?
「在庫は捌けたんですか?」
「ああ、なんとか売り切ったぞ」
「ミコーレの商会に卸した方がいいですかね?」
「アースドラゴンの扱いは向こうが専門だからな。丸ごと卸してくれて構わんよ。構わんよな、お嬢」
「よろしく」
なんなんだ? いきなりミスリルにドラゴンだと?
「ちょっと、マギー」
「何?」
少女が声を掛けてきた。
「これいくらで買うですか?」
足元の頭陀袋の口を開けた。
「なっ! なんですか? それ!」
金色の羊毛?
「どうなさったんです?」
「内緒なのです。これで金糸取れるですか?」
「本物ですか?」
「たぶん。ナガレが欲しがってたのです。代金は糸にしてくれると嬉しいのです」
「見せてくれ」
わたしは金色の羊毛を手に取った。
確かに羊毛だ。そして紛れもなく金だ。金箔を織り込んだ物ではなく、一体何なんだこれは?
「確約はできません。糸にするまでの工程は複雑ですから。その間に色が剥げてしまうかも知れません」
マギーと少女が見つめ合った。
「では、それはサンプルなのです。試して欲しいのです」
「すぐ手に入る物なのですか?」
「みんなの共有財産なのです。管理はナガレがしているのです」
「では試してみますね。でき上がったらご報告に上がります。因みに糸の太さは?」
「子供たちにマフラー作るのです。細くなくていいのです」
「分かりました」
小さな獣人の女の子が少年と合流する。
あんなに若い少年が、西方の戦局を左右しているというのか……
「待てよ……」
「どうかした?」
「彼はドラゴンを狩れるのか? さっきアースドラゴンとか言ってなかったか?」
「アースドラゴンは飛空艇の材料にはならないんですよ。残念ながら」
「そういうことじゃなくって!」
「『五種盛り合わせ』を出してるんだから、五匹は狩ってると思いますよ。最近もファイアードラゴンを二匹倒したと言ってましたし」
ファイアードラゴン!
「『五種盛り合わせ』というのは?」
「ドラゴンの『五種盛り合わせステーキセット』、この町の名物料理です。時価ですけど。ギルバートの財布なら食べられるんじゃないかしら? あの森の城にレストランがあって。割安だから騙されたと思って食べて帰るといいわ」
確かに森の奥に城らしき主塔を確認できた。
「ヴァレンティーナ様のお城か?」
「ヴァレンティーナ様の居城は北側の宮殿様式よ。あれはアシャン老様の城よ。今は義理の娘が住んでるわ」
「魔法の塔の筆頭の城?」
「弟君が武闘大会で優勝して取ってきたのよ」
「嗚呼ッ! 思い出した!」
エルネスト・ヴィオネッティー。最近どこかで聞いたと思ったら、今年の優勝者だ。
巨大な蟹と子供たちはいつの間にか消えていた。
その夜、大浴場というものを体験して、マギーの家の豪華なもてなしも受けて、西方の疲れを癒やした。
翌朝、日の出前に叩き起こされると、馬車に押し込められ、郊外の飛行船発着場に連れてこられた。
マギーが用意したのは貴賓室の一席だった。同席したのは、親父が以前から謁見を申し込みながら、袖にされ続けていたさる領主の親御さんたちであった。現領主は内気で知り合い以外との謁見を極端に嫌うから、外堀から埋める方がよいと教えられた。それと『マギーのお店』のシュークリームというものが好物だとも教えられた。
「またマギーか」と辟易したが、背に腹はかえられん。
地平線から顔を出す朝日を空の上から堪能すると、朝食に店に赴き、シュークリームという物を試食すべく注文した。
突然、店の前の街道に白馬の群れが現れたときには驚いた。それがユニコーンだと、それを目当てに来店していた観光客の口から聞かされたときは、なお驚いた。更に保護者だという大人のユニコーンの颯爽とした姿を見てもう開いた口が塞がらなかった。
この町は一体何なんだ?
マギーとの昼食の予定までにまだ大分時間があった。
『銀花の紋章団』の本部が目と鼻の先だったので、どんな品揃えをしているのか偵察も兼ねて覗きに向かった。
こんな時間に既に群衆ができていた。
聞けば、本日は会員限定のオークションのある日で、この日だけは外部の人間にも市が解放され、商品を売買する機会が与えられるのだそうだ。そのため、国の内外を問わず、各地の名うての商人たちが挙って集まってきていた。
「ギルバート!」
振り返ると見慣れた顔があった。
「ロッソ。君も来ていたのか?」
古い友人である。扱う物が違うが、故郷の商売仲間だった。
「北にべったりの君の所も遂にここを見つけたか。そういや、君は西に従軍していたんじゃなかったかね?」
「休暇を取って、マギーの所にね」
「ああ、彼女の家か。彼女の家は出世したな。ここの領主とつるんで今ではこの町の顔役だ」
「力の差を痛感してるよ」
「俺はここの宿泊施設を利用してる。ギルドにも加盟したんだ。さすがに商会持ちだから団員にはなれんがな。豪華スイート顔負けだぞ。取引すればほぼ宿泊費は無料だしな。もう何回も厄介になってるけど、毎回安く済んで助かっているよ。さすがに競争率高いんで再来月分まで既に予約を入れてるけどな。おかげで取引先が増えた」
「このギルドの売れ線はなんだい?」
「そうだな、ギルド会員なら何も言わずにオークションだろうが、部外者にはあれだな」
彼が指を差したのは宝石コーナーだった。
「信じられないほど安いぜ。特に布にくるんである奴はな。あれは部外者専用に放出している物のなかでも割安のサービス品になってる。お前、目利きだろ。見て来いよ。驚くぞ。俺はオークションに行かなきゃならんからな。気に入ったらお前も会員になるといい」
布にくるまった宝石……
開いた口が塞がらなかった。いくら卸値とはいえ、相場のほぼ半額で、それもどこで手に入れたのか粒揃いで、しかも傷一つない……
桁が違うんじゃないのか?
何度も値札を確認してしまう。
金…… 財布に手をやって思い出した。
しまった! 持ち合わせがない。
西部から直接乗り込んで来たものだから現金がない。こんな時に。会員でもないうちの小切手は通用するのか? 交渉窓口に駆け込んだ。
当然首は横に振られた。
「あ、マギーの所にいた人なのです」
金の羊毛の少女が一目見て高級品だと分かる反物をどっさり、お付きの花飾りの女の子と窓口に下ろしていた。
「マギー様のお知り合いで?」
「ええ、まあ」
「団員か会員で他にお知り合いの方はいらっしゃいますか?」
急に風当たりが緩くなった。
ロッソのことを口にした。
「少々お待ちください」
オークション会場にいるはずのロッソに使いが出された。
「あの、お嬢さんも商会のご息女か何かで?」
「リオナはここの冒険者なのです。布を売りに来たのです。足りないと言われたので、急いで持ってきたのです」
『銀団』の冒険者?
「ああ、リオナ様、こちらでお預かりいたします」
「リオナでいいのです。若輩なのです。みんなの方が目利きで凄いのです」
大量の生地が裏手に持っていかれた。冒険者がなんで高級生地を?
「うちの人気商品なんですよ」
窓口の店員が言った。
使いに出されたスタッフが戻ってきて、首を縦に振った。
「今回に限り、小切手で構いません。ロッソ様が保証して下さるそうです」
奴に借りを作ってしまったか。
わたしは売り切れる前に買い込めるだけ石を買い込んだ。
そして、親父に一筆したため、買い込んだ物を送り出した。この価値が分かるなら、乗り出さないわけがない。
それからしばらくして、マギーと連れだって城のレストランで『五種盛り合わせステーキセット』を堪能した。
食事中、このレストランにもレシピにも若様が絡んでいると聞かされた。その証拠として『若様印のハンバーグ&チーズサンド』を追加で頼んだ。
マギーはまるで我がことのように自慢げに彼の武勇伝を語って聞かせた。
「あああーっ、糞うッ!」
「どうしました?」
「いや、ちょっと、ストレス発散を」
殿下のおっしゃった意味がようやく分かった。前線に戻って来て、わずか数日でわたしの心は乱れに乱れていた。こんな辺境では逆立ちしたってあの味は手に入らない。
「嗚呼、あのレストランで食べたあの味が忘れられない」
それにあの陳列棚に並んだ見事な品揃え…… ユニコーンのいる町並み、飛行船、デザート、城のレストラン、何もかもが恋しくてたまらない。
なのに、ここには何一つない……
わたしは数日後、我慢しきれずに除隊届けを出していた。
なるほど殿下の言う通り、人の人生を斯くも容易く変えるとは、末っ子が一番恐ろしい。




