春の嵐(寄り道)13
「戻って来たみたいね」
朝出た船がこんな時間になって戻って来たらしい。
「おかげさまで、いい漁場を教えて貰ったからね。あれ以来、泊まり掛けで沖合まで出るようになったのよ」
「おかげさま?」
「ナガレちゃんよ。配達に行く度に、こっそり『今の時期はどこがいい』とか、『あれが取れる』とか、いろいろ教えてくれてね。おかげでこの島の水揚げも増えて、収益が三倍になったんだよ。高級魚は内地のお得意様への受けもよくてね。配達業、様々だよ」
「ホタテ、ホタテ」
オクタヴィアが尻尾を振ってお出迎えである。
「…… さすがにあの船にホタテはないと思うがね……」
奥さんが気の毒そうに猫を見る。
オクタヴィアは背中を丸めて打ち拉がれる。
「相変わらず面白いね、この子は。ホタテが高価なのはそうそう捕れないからなんだよ。いい加減お気づきよ」
そう言って猫の頭を撫でた。
「乾物でいいなら持って行きな。高級品だから値は張るけどね」
そう言って僕の方を振り返る。
そいつのご主人は僕じゃないんで。
猛烈な勢いで、正規のご主人に「買って、買って」とアピールし始める。尻尾もフル回転である。
あっ、拳食らった……
あえなく撃沈した。
「リオナが買ってあげるのです。その代わりみんなで食べるのです」
オクタヴィアが生き返った。
諦めずに頑張った甲斐があったようだな。
僕は、女将さんに頷いて、購入する旨を伝えた。
「ナーナ」
ヘモジが僕のズボンの裾を引っ張った。
「チョビを出せ?」
「ナーナ」
ヘモジは頷いた。
「大きさは?」
「ナーナ」
「荷下ろしの手伝いするのか?」
「ナーナ」
うーん、じゃあ、籠を運べる程度の大きさで。
僕はいつぞやギルドの事務所を破壊したときぐらいの大きさでチョビを召喚した。
「このくらいでいいか?」
「ナーナ」
チョビの背中に乗ってヘモジが岸辺に向かった。
「そっちじゃないぞ。あっちの桟橋だ」
遠巻きに様子を見ていた『海猫亭』の旦那が教えてくれた。
「リオナも行ってくるのです」
「ならわたしも」
ふたりがチョビの背中を追った。
チョビは怪力を示して、漁師たちを驚かせた。一度に籠を三つ、四つ、縦に担いで工場に運んでも、まだまだ体力に余裕があった。
「そういや、昔、蟹の召喚獣が貰えるっていうイベントがあったよな」
『海猫亭』の旦那が言った。
「確かこの島のずっと北の島だったわね」
女将さんが乾物を持ってきた。値段を聞いてびっくりした。
じゅ、十倍……
売り物にならないような欠けた物もおまけして貰ったが、それでもまだ高く感じた。
なるほど、これじゃ、アイシャさんの拳が飛んでくるわけだ。
まあ、たまにはいっか。ここ数日殺伐としていたしな。これでアンジェラさんにチャウダーでも作って貰えたら最高だ。
「この辺りが繁盛したのもあの頃だけだったな。今じゃ、迷宮もなくなっちまってすっかり閑古鳥だ」
「なくなった? 迷宮が?」
「若い迷宮だったからな。交通の便が悪くて、潰すか残すかいつも議論になってたな。結局、スポンサーが降りちまって、管理できなきゃ危険だって、教会に潰されたんだ」
「どうやって潰したんだろ?」
「さあね。教会のすることは分からん。階層も浅かったし、やると決まってからは早かったな。あっという間だった」
迷宮には核がある。そういう噂を聞いたことがある。
教会が操るのはその核だとまことしやかに囁かれた。迷宮の最深部にそれはあるとか、究極のボスが持っているだとか、噂は枚挙にいとまがない。
真実は教会だけが知っている。
お駄賃は、盛大なものになった。
欲しい魚をほとんどただ同然の値段で手に入れてきた。それもこれもチョビの働きによるものである。
「スルメ残ってます?」
「あるよ、持ってくかい?」
僕は姉にスルメの土産を買って帰還しようとした。するとどこからか小さな蟹が数匹出てきた。
「あれは?」
「島のイベントで随分昔に手に入れた召喚獣よ。この村にも何人かイベントに参加した者がいてね。でも、私たちは魔法使いじゃないからね。あの大きさで手一杯なのさ」
ギルドの椅子を押し潰すどころか、上に乗るのもやっとの大きさだ。
「あんたたちの蟹ぐらい大きくなってくれたらよかったんだけどね」
これでも加減してるんですけどね。
というわけで、持て余している土蟹の召喚獣を一匹貰った。
名前は、イチゴである。適当に付けた名前だというが、異世界では野菜の名前である。こちらの世界でいうところのフラーゴラのことだ。あれって、果物じゃないらしい。ヘモジが講釈を垂れていたのを聞いたことがある。
連れ合いのいないロメオ君の所有にすることにした。
他人にカードを渡すと、またレベルゼロからの修行になるので、明日はヘモジとナガレ先生にお願いして特訓である。
迷宮攻略はまたお休みである。
僕も、秘密基地の空気不足対策をしなければいけないのでちょうどいい機会である。
すっかり忘れていたが、姉さんにアースドラゴンの調査を依頼する件も残っていた。
肉を調達するためにも、早めの解体が望まれる。
お土産をどっさり抱えて家に戻ると、姉さんやヴァレンティーナ様、子供たちがまだ家にいて、暢気な僕たちに罵声を浴びせた。
「なんで、寄り道なんかしてるんだい! みんな心配してたんだよ」
アンジェラさんもお冠だ。
僕たちは平謝り。
おまけにどこに仕舞うんだと言わんばかりの大量の魚を差し出して、更に火に油を注いだ。
子供たちにはイチゴが珍しかったらしく、ヘモジとチョビと一緒に、我が家の廊下を周遊する遊びが始まった。
僕は早速スルメを姉に進呈してご機嫌を窺いながら、アースドラゴンの調査の依頼と秘密基地の空気不足対策への助言を貰った。
空気不足対策の方法は意外にも簡単に見つかった。
ドワーフの知恵である。地下深く潜るドワーフは空気対策に余念がなかったのだ。姉さんは彼らの使用する手法を教えてくれた。清浄な空気がある場所に管を通して、魔法陣で空気の流れを生み出す方法だ。
「植物が生えている層まで管を降ろせば大丈夫だ」と言うが、「そんなのあの環境では無理だ」と言ったら、ドワーフは遙か地底でそれをやっているのだから泣き言を言うなと言われた。
万年雪が覆う山並みのなかでどうやって植生のある場所まで管を引けというのか?
しょうがないから今度行ったら、近場で植物が自生してる場所を探すことにする。
「姉さんが振り子列車の坑道を敷くのとは訳が違うんだからな!」
「その手があったか!」
しまった! 余計なことを言ってしまった。
秘密基地のはずが…… また違法な境界越えが、今度は国境だし…… あ、でも未開の地だからいいのか。
斯くして、忙しい身であるはずの姉さんは嬉々として、振り子列車の新たなる停車駅建造を開始するのである。




