春祭り(若様印大混乱)2
家に戻ると明かりは消え、静けさが戻っていた。
「みんな休んだようだな」
時計を見ると既に深夜を回っていた。僕はリオナとナガレと別れ、ヘモジとオクタヴィアをチビコタツに押し込んで自分の部屋に向かった。
「そろそろチビコタツも下げないといけないな」
ヘモジは野外に住むのかな? オクタヴィアの寝床はどうすれば。暖かくなればなくていいのか?
部屋の前に人影があった。
見覚えのある人だった。
人影は僕に一礼した。
僕は黙って部屋の扉を開けた。なかに入ると消音結界を張った。
「こんばんは。お急ぎでしたら会いに来てくださってもよかったのに」
「なるべく表立つのは控えたいので」
充分表立ってますけどね。
「で、何の御用ですか、名無しさん」
「この家はとんでもない家だな。教皇付きの同僚が見破られたと嘆いてたが、わたしもすぐに見つかってしまったよ。ハイエルフ殿と新しくいらしたお城の女主人殿にね」
へー、ドナテッラ様も名無しさんを見つけたんだ。凄いな。
ドアがノックされた。
「大丈夫だ。知り合いだから」
ナガレだった。
「分かった。じゃあ、先に寝る」
「お休み」
名無しさんがお手上げのポーズをして笑った。
「こう見えても、教会では十指に入るアサシンなんですけどね」
「ロザリアも結構やりますよ」
「そのようですね。お嬢様付きの護衛連中がやりにくいと最近よくこぼしますから」
「それで、名無しさん直々に何の御用ですか?」
「実は薬を用立てて頂きたいのです」
「薬ですか? それでしたら枢機卿に一瓶」
「既に使い果たしました」
「はぁあ? 千人分ですよ?」
「北部の西部遠征がすっかり泥沼化しているのですよ」
「本当ですか? 南部諸領はうまくいってるってこないだ手紙が来たけど」
「北部は駄目です。相当危ない状況ですね。春になって敵が増えました。現状を維持するのがやっとのようで」
「敵が増えたというのは?」
「寒さを避けるために南下していた魔物の一部が北部に戻って来たようです」
「もしかして火竜?」
頷かれた。
たぶんテトと見たあの巣の奴らだ。南じゃなく北に行ったのか? 確かに北の方が餌になる魔物がいるはずだからな。
「空への備えを怠っていた?」
「怠るとか言う以前の問題です。惨憺たる有様で。いよいよ、こちらにもお鉢が回ってきたという訳なのですが、正直間に合いません。既に後方支援も疲弊しきっています」
南部はもう最終段階なのに。後は火竜の谷をいくつか落とせばとりあえず完了の手はずだったのに。南部には金になりそうな獲物もいないし、早々に終らせて正解だ。そもそも北方貴族が西北部の魔物からの回収資源ほしさに始めたことだ。
「前線は下げられない?」
「南部はうまくいってますからね。面子を潰されて怒ってる方々も多そうですから、撤退の二文字はありませんよ。手柄を取られると言って、聖騎士団の投入にも難色を示すぐらいですから、救いようがありません」
「重傷者に薬を使えば、前線の救護担当は楽になりますかね?」
「皆、あなたと違って、魔力が無尽蔵にあるわけではありませんからね。大抵一人の重症患者を救えば、その日は満足に動けなくなります。軽症患者の治療だけなら相当楽になります」
「でも代金は教会の持ち出しになるのでは?」
「上は北方貴族に付ける気でいますよ。『人命はただではないと分からせてやる』と、うちの上層部も相当怒ってますからね」
「面子と命を天秤に掛けられちゃね」
「無理言って申し訳ないのですが。代金は必ず」
「霊水持っていきますか?」
「は?」
「眠ってるんですよね、うちの保管庫に」
僕はその大体の量を両手で示した。
名無しさんは目を丸くした。
「宿り木は教皇様が持っていますしね。他の材料は揃いますよね?」
「後は入れ物ぐらいですよ……」
「商業ルートにだけは乗せないでください」
「助かる。上の許可が出たら念書を書かせよう」
名無しさんは何も教えていないのに、三階のベランダから出て行った。
「あの火竜の巣を落とすことはおいそれとはできないよ」
辿り着くだけでも大仕事だ。大遠征でも行なわない限り不可能だ。でもそんなことをすれば国は疲弊して立ち行かなくなる。城壁と砦を築きながら少しずつかすめ取るしかないのだ。
「祭りの日だというのに、大変だなぁ」
僕は、眠りに就いた。
翌朝は早くから叩き起こされた。朝食に『若様印のハンバーグ&チーズサンド』が出てきて唖然とした。みんなおかしな顔をしたが、既にアンジェラさんたちはいなかった。エミリーが「すいません、すいません」と頭を下げた。
そんなエミリーもチームの集まりですぐに消えた。
「ナガレは?」
「リオナと行った」とリュックを背負ったオクタヴィアが言った。
「ほい、お小遣い。ホタテばかり食うなよ」
ヘモジが受け取ってオクタヴィアのリュックに金貨一枚しまった。
「分かった」
ヘモジのリュックには僕が金貨を入れてやった。
「楽しんでおいで」
「ナーナ」
ふたりは仲良くリュックを揺らして出て行った。
僕は時計を見た。出店の開店までまだ二時間あるな。そう思っていたらカーターが飛び込んできた。
「おはよう、カーター」
「おはようございます。あの、保管庫から食材を運んでもよろしいでしょうか?」
「もう?」
「はい、それが凄い列ができあがってしまって。開店まで待てないとかで。執行部も式典ができないから列をどうにかしろと言い出して、早めに開店することにしたんです」
出店の開店時間は、店任せで特に何時からという決まりはない。ただ、アンジェラさんたちの店は式典後の時間を予定していたのだ。
僕とカーターはできたて状態で保管されている商品を保管箱ごと大急ぎで運び出した。馬車では道が混むので、ふたりで背負子を背負った。
「うわっ、軽い」
「『浮遊魔法陣』を貼ったからな。魔石はなくしても魔法陣はなくさないでくれよ」
「分かりました」
僕たちは先を急いだ。
確かにまだ式典開催一時間前だというのにもう、中央広場や公園には人だかりができていた。
アンジェラさんたちの店は中央公園入り口の角地の一番いい場所に陣取っている。地主の特権という奴だが、恐ろしいかな、長い列が公園のなかを蛇のようにのたうっていた。
「全然足りないよ」
僕たちが運んできたのは精々、二百食程度だ。前もって運び込まれていた五百食程度は既に完売して、当日の分の調理も始まっていた。
「これ運んできた荷車は?」
僕が尋ねると困っている人がいたので貸したと言われた。
「なんで?」
「だって、こんなに早く開店する予定じゃなかったのよ」
「兎に角、なんとかして頂戴」
「しょうがないな」
接客係がいないのでカーターを残して、僕は急いで近所の商店を回ったが、荷車はどこも売り切れ状態だった。
駄目だ。こうなったら自作するしか……
僕はカーターから『浮遊魔法陣』を回収して帰宅した。
「車輪はなし。駆動系が面倒臭い。迷宮でやってるあの手で行こう」
魔法で箱を作って底に『浮遊魔法陣』を貼るだけの簡易荷車だ。
「千食ぐらい一気に運べる大きさがいいだろう」
僕は保管庫に戻り、『楽園』に保管箱ごと放り込んだ。勝手口から外に出ると誰も見ていない所で中身を出して、荷車に積み上げていった。さすがに大勢の客の前で虚空から取り出すわけにもいかないので、二度手間だが仕方ない。それでも結構な重労働になった。
もう運んだ分もなくなるだろう。
僕は箱にハンドルの代わりになる木の棒を二本取り付けた。最後に魔力の供給源に魔石を埋め込んだ。
箱は浮かび上がった。
『浮遊魔法陣』を知らない観光客たちに奇異な目で見られながら、僕は車輪のない荷車を引いた。
それが却って宣伝効果を生んでしまって、行列に並ぶ人が更に増えた。
既に料理人は汗だくだ。
客は獣人ばかりだと思っていたのに意外なことに人族も三分の一程いた。
僕は腹のなかに隠したもう千食分の食材を荷車から出す振りをして、次々取り出した。
千食分しか入らない箱から二千食出てきたからって、客たちは気にしない。自分の分があればいいのだ。
僕は残り少なくなると魔法陣と魔石だけを持ってすぐに折り返した。そして同じ事の繰り返しだ。
開会の式典が催されるまでの一時間に千食、式典中にもう千食の予約分の引き替えが終った。
それプラス本日調理した分だ。
僕が三度目の荷物運びをしている間に、売り子がふたり増えて、販売の速度が一気に上がった。獣人の知り合いのおばちゃんが見かねて手を貸してくれたのだ。
おかげで予約分の七千食は完売したが、行列が途切れる様子はなかった。
そうこうしている間に昼の食事時になり、更に行列ができた。とうとう本日分の材料がなくなり、明日の分も投入する羽目になった。
間の悪いことに笑顔のリオナたちが帰ってきた。
「やったのです! 予選通過なのです!」
エミリーもロッタも子供たちも満面の笑みを浮かべていた。
「助かった。下準備してこないともう材料がなくなるところだったのよ」
アンジェラさんたちの笑顔とは裏腹に、エミリーたちの顔色がどんどん青ざめていった。
長い行列を見ながら、固まった。
「まだ、あんなにいるの? なんで?」
エミリーとロッタが絶句した。
七千引く七千はゼロではなかった。プラスもう七千ぐらいだった。
子供たちは全員手を取り合った。誰ひとりその場から逃がすまいと拘束し合った結果だった。
「これから楽しい屋台巡りなのです!」
リオナの叫びが空しく響いた。




