閑話 パスカル君の災難2
「ナーナ」
「やあ、ヘモジ。元気だった?」
階段上の手摺りの隙間から挨拶された。
「ナナ?」
「うん、僕も元気だったよ」
「うわっ、なんだこりゃ。小人?」
「この子も可愛い……」
「後がつかえてるのです。さっさと空いてる席に座るです」
また獣人の子だ。
「うわっ、何これ。可愛い子ばっかりじゃん」
階段を上がって二階フロアーに首を出した途端、ファイアーマンが言った。
「開いてる所に座るです」
「おい、パスカル。獣人の子供ってみんなこんなに可愛いのか?」
「僕に聞かれても知らないよ」
「ベルトする」
さっきの黒猫が言った。
「これ、ほんとに乗り物なの?」
ビアンカが感心していた。内装の美しさにうっとりしていた。
若干狭いけど充分豪勢なサロンに見える。
「あっ……」
エルフだ! エルフがいるッ!
サロンの一番奥の一番いい席に陣取って本を読んでいた。
ふたりも固まっていた。
普段なら「エルフだーっ! すっげー」とか騒ぎだすに違いないファイアーマンですら、木彫りの熊のように棒立ちしている。
「想像を絶する美しさ。あるんだな…… こう言うの」
ポツリと呟いた。
「獣人とかエルフって耳いいから。全部聞こえてるよ」
「あうっ」
ファイアーマンは真っ赤になって猿のように口を塞いだ。
光が差し込んできた。
『格納庫扉の解放確認!』
船尾の少年が叫んだ。
『発進します』
窓の景色がゆっくり動き出した。そして機体がきしみ始めた。
進行方向にも窓があって、僕はそちらの席に座った。
操縦席が見えた。操縦桿を握っているのも子供だった。隣にエルネストさんがいた。
その先のフロントガラスの向こうに外が見えた。
「え?」
僕は慄然とした。
この乗り物の進む先には何もなかったのだ。
「が、崖っぷちだ」
ファイアーマンも僕の隣に座って、目を丸くしている。
ビアンカは既に後ろの座席で荷物を抱えてうずくまっていた。
「大丈夫なのです」
「ナーナ」
獣人の女の子とヘモジが僕たちのベルトの最終確認をしている。
ゴン、反響音がしたかと思うと音が消えた。
女の子とヘモジは僕の隣に座った。
「浮いたです」
浮いた?
『これより、本船は南の国境、空中庭園に補給物資の搬送に向かう』
ガタガタと大きく船体が揺れた。
背筋が凍る。もう先の地面には何もない!
『風だ。問題ない』
船首の操縦室が格納庫を出た。
うわぁあああ。お、落ちるーッ!
船首が傾いて、真っ逆さまに落ちる絵を想像した。
「もう飛んでるのです」
そう言うと女の子は席を立った。
「もうベルトはいいのです」
獣人の子が僕たちのベルトを外していく。
「自由にしていいぜ。兄ちゃんたち。俺たちがいればこの船は落ちないからさ」
「ピノは、上の階のチェック。ピオトは格納…… はもう行ったのです」
下の階段からエルネストさんが現れた。
「いきなり、悪かったね。でも、どうせみんなには乗って貰おうと思ってたから」
そういうと側面の窓の外を指差した。
僕は全身に鳥肌が立つのを感じた。
「ほんとに飛んでる?」
「うおーっ。すっげー」
ファイアーマンが窓にかじり付いた。
「ほんとに?」
ビアンカも泣きそうな顔をしてガラスに貼り付いていた。
僕たちは三者三様、この異常事態に驚いていた。僕たちは紛れもなく地面のない場所に浮かんでいたのだった。
「あれが、スプレコーン。リオナたちの町なのです」
大きい。それは想像を絶する大きさだった。
「もう第二防壁まである……」
ファイアーマンも呆れた。
僕も小さいながらも領主の倅だからよく分かる。領民を増やすのは並大抵のことではないのだ。
もう呆れることもないだろうと思った次の瞬間、絶句した。
船の高度が城壁の上に出たせいで町中の様子が見渡せた。直角に交差する街道によってきれいに区画整理された町並みがあった。どんな町でも地形によって多少の歪みはあるものだが。この町は完璧だった。歪みがないということはこの町の基礎工事が完璧だということだ。
「リオナ、みんなに船内を案内してくれ」
「分かったのです」
「ナーナ」
「ヘモジもオクタヴィアも頼んだぞ」
「分かった。頑張る。ホタテのために」
ホタテ?
「どっちから行くですか?」
指を上と下に向ける。
「じゃあ――」
「上から。いいよな?」
僕が答えようとしたら、ファイアーマンが答えた。
僕たちは螺旋階段を上っていった。
「乗り物のなかに螺旋階段だなんて……」
ビアンカも驚き疲れたのか、言葉を吐き捨てる。
「ここが、クルーの寝室なのです」
「ナーナ」
それは二段と三段のベッドが並んだ部屋だった。
ベッドはそれぞれカーテンで遮られている。
壁のなかにある照明がやけに明るかった。
「光の結晶を使ってるです。寝るときは外すです」
螺旋階段を更に上ると狭い最上階の部屋に出る。
最上階からは船の上部が見渡せた。船尾に魚の尾びれのような翼が生えていた。下の方は船体が邪魔してよく見えないが、船の大きさは見て取れた。
「では降りるです」
そう言ってサロンに戻ると後部ハッチから外に出られた。
「ここで、お肉焼くのです」
へ?
野外甲板があった。ちょっとした空間だが周囲が見渡せた。
「ほんとに飛んでるのね」
両手を胸の前に組んで、ビアンカが感動していた。
長い廊下が船の周りを一周していた。
僕たちは特別に立ち入り禁止エリアに入れて貰った。
「整備用の通路なのです。駆けっこはしちゃいけないのです」
惚れ惚れする景色だった。空には遮るものはなく、大地には森の絨毯が広がっている。
足元に見えるのは街道か?
どこまでもまっすぐ伸びている。
「凄いな」
「お姉ちゃんがやったです」
「お姉ちゃん?」
「レジーナ姉ちゃんなのです」
レジーナさん?
一周すると僕たちは船内に戻った。
サロンから更に階段を降りると格納庫があった。
「うわっ、結構広い」
「無闇に触らないで欲しいのです。荷物は固定してあるのです」
「これが補給物資……」
でかいコンテナだった。
僕たちがサロンに戻るとみんなが一方向の窓に釘付けになっていた。
「どうしたんですか?」
「ユニコーンの群れが何かに通せんぼされてる」
「誰か『生命探知君』持ってないか?」
『生命探知君』?
エルネストさんが言った。
「俺持ってる」
ピノとかいう少年が、さっきの寝室に上がっていって、僕たちがいつも内職で作っていたあの『生命探知君』を持って戻って来た。
「兄ちゃん、ごめん、魔石切れてた」
「かしてみな」
エルネストさんがポケットのなかから魔石を取り出して交換した。
「下を見てみろ」
ユニコーンの群れが円陣を組んで周囲を警戒していた。
「でけー、あれがユニコーンなのか?」
ファイアーマンが言った。
「この船襲われたりしないわよね?」
「お友達なのです。だから助けるのです」
「いた! 何か光ってる!」
少年が叫んだ。
「千年大蛇だ」
エルネストさんが言った。
千年大蛇? えええっ? あの森の暗殺者?
僕たちも『生命探知君』で下を覗いた。確かに肉眼では捕らえられなかった点が二つあった。
「確か、レベル三十ぐらいだぜ……」
「リオナがやるのです。テトは高度を下げるのです」
「ユニコーンの落雷攻撃に注意しろよ。なるべく敵の上空は回避だ」
『了解!』
「風下に二匹だよ。気を付けてね、リオナ姉ちゃん」
一番幼い子が言った。
「分かってるのです」
え? もう一匹いるってこと?
点は二つだけだったのに。
「この距離だと、重なっている敵は捕らえきれませんものね」
人族の女性がふたり現れた。
「新設の武器庫のチェック完了したわよ。穴掘り用のスコップから野営用のセットまで積んであったわよ。とりあえず銃の点検だけしておいたわ」
「あれじゃ、武器庫じゃなくてただの倉庫ね」
簡単に自己紹介された。僧侶風の格好をしているのが、ロザリアさんで、頭に花飾りを付けているのがナガレさんだ。
武器庫が寝室の隣に新設されたとかで、ふたりはその点検をしていたらしい。




