春を探して(お城訪問)14
中庭に出ると石積みの城館が周囲を取り囲んでいた。何もない更地に若い樹木が数本、申し訳程度に生えていた。
入って左手に一階部分が凹んだアーケードがあり、埃を被った農機具や椅子、かがり籠が無造作に置かれていた。
爺ちゃん、使用人も置いておかなかったのかな?
正面は恐らく礼拝堂への入り口だろう。窓の形状や屋根の形がいかにもという外観だった。
右手に目を向けるとのっぽな主塔と背の低い棟が目に入る。手前の背の低い建物はたぶん台所だ。木製の勝手口がこちらを向いている。二階は使用人部屋だろう。主塔の扉がすぐ隣りに並んでいる。なんとも無骨な石壁で覆われていた。
僕は台所だと思われる扉に鍵を差し込んだ。
何個か目の鍵でカチリと開いた。
僕は明かりを灯し、なかに入った。
庭を散策していたリオナとヘモジが慌てて追い駆けてきた。
調理器具が所狭しと並んでいた。かまどや囲炉裏は古く、魔石ではなく薪を使っているようだった。井戸や小さな流し台もある。井戸には格子の蓋が駆けられ、覗くと水は涸れていた。
「使った形跡がないのです」
埃こそ被ってはいたが、調理器具はどれもきれいに掃除してあって、もう何年も使われていないようだった。かまどや囲炉裏にも薪を使った形跡はなかった。
「なんだか悲しいのです」
リオナが寂しそうに調理器具に被った埃を指で払う。
まるで買い手の付かない空き家のようだった。
こんな場所にひとりで、と思うとリオナでなくても悲しい気持ちになってしまう。
奥の通路を進むと主塔の一階に出た。石造りの螺旋階段は二階を飛び越し、三階に繋がっていた。
「上行くか?」
少し考えてふたりは首を横に振った。
内側から主塔の扉を開けて中庭に戻ると右手の礼拝堂への入り口を目指した。
生憎、渡された鍵ではここの扉は開かなかった。特に神に祈る用事もないので別の入り口を探すことにした。
納戸のあるアーケードの奥に黒い扉があった。ここからなかに入ることにする。と言うか、もう入り口はここしかない。
鍵を開け、扉を開くとこれまた、真っ白に埃を被った玄関が現れた。
その先には蜘蛛の巣が張った階段とすっかりワックスの剥げた吹き抜けの廊下があった。
廊下の突き当たりには騎士の間があり、錆びた鎧が並べてあった。ボロボロに腐った重厚なタンスが壁の一面を占拠していた。棚が落ちて載っていた金属の花瓶が転がっている。枯れた花が床に放置されている。
「鼠の糞なのです」
白い床に鼠の足跡が。
色褪せてボロボロになったタペストリーが壁にぶら下がっていた。
窓は曇り、ヒビが入っている。鼠にかじられたのか窓枠もボロボロだ。
カーテンはほつれて、一方が床の上にだらけていた。
いくら何でもおかしいだろ! こんな状態をあのアシャン老が放置しているはずがない!
これは幻覚だ!
幻覚はどうやって抜け出せばいいんだっけ? 確か微量な魔力を辿っていって…… 大本を。
バキッ!
木がもげる音がした。振り返るとヘモジが床を陥没させていた。
「ナナ。ナーナ!」
魔法陣が仕掛けてあった? やっぱりか!
急に部屋の様相が変わった。
部屋はどこもかしこも磨かれ、朝日を浴びてぴかぴかに光っていた。今にも警備の兵士が戻ってきて、不平の一つも吐き出しそうな、そんな人の暮らしている景色だった。錆びていた古そうな鎧たちも現役で着れそうな程磨き上げられていた。重厚な家具たちも日々磨かれているかのように飴色に輝いていた。
窓ガラスは曇りなく、部屋にまんべんなく光を注ぎ込み、カーテンも真新しく、床にくっきり影を落とした。
明るい日差しが真っ青なタペストリーを照らした。
磨かれて、塵一つない板の間の上にワイン色の鮮やかな絨毯が敷かれていた。
「ヘモジ、あんまり壊すなよ」
入り口の色の違うフローリングの床が若干弓なりに陥没していた。
「ナナ、ナナナ」
怪しい感じがした?
「リオナも嫌な感じがしたです」
幻覚を起こす魔法陣を本能で破壊するとは…… やるなヘモジ。
でも助かった。
「泥棒対策でもしてるのかな? それにしては大袈裟な」
「そこで何をしている?」
振り返ると金ぴかの鎧が立っていた。人入ってんのか?
「見学だ。君こそ何者だ?」
鎧は側にあった修理用のトンカチを構えた。
「出て行け! 許可なき者の侵入は許さんぞ!」
「ナナ、ナーナ!」
ヘモジがミョルニルを構えた。
「お前こそ何者なのか言うのです!」
リオナも臨戦態勢だ。
「ちょっとうるさいわよ。カーター!」
僕たちが来た廊下の方から元気な女性の声がした。
「あ!」
短く声を上げてメイド服を着た少女が立ち止まった。逃げようかどうか迷っているようだ。
「すまない! アシャン老の知り合いだ!」
僕は鍵の束が見えるように掲げて振った。
「まあ、お客様でしたか! これは失礼を致しました」
少女は僕たちを素通りして、鎧の前に立ちはだかった。
「ちょっと、カーター! こんな所で何してるの! 庭の手入れは終ったの?」
「ま、まだだ…… いや、今はそういう事態では……」
「早く行きなさい!」
「わ、わかった」
ガシャガシャ音を立てて外に出ようとするので、僕たちは道を譲った。
「鎧は脱いで行きなさい! ご主人様に怒られるわよ!」
「ロッタ。朝から何を騒いでいるの?」
玄関の方からまた別の艶のある女性の声がした。
僕たちは廊下に顔を出すと、そこには見目麗しいお姫様がいた。
「爺ちゃんの愛人?」
マリアベーラ様に匹敵する凄い美人がそこにいた。細身ですらっと背が高い。
「失礼な! あの方は旧アシャール公国皇女ドナテッラ様であらせされるぞ」
鎧が言った。
「こらッ! カーター! 姫さまの素性を軽々しくばらしてどうすんのよ!」
僕たちは道を空けるために場所を移動する。
カーターとやらが鎧を脱ぎ始めた。ガチャガチャうるさい。中から出てきたのは麻のシャツとサスペンダーで吊ったズボンを履いた小僧だった。この町でその格好は寒いだろ?
メイド少女も眉をひそめてた。
「これはこれは、お客様でしたか。おもてなしもしませんで申し訳ございません」
少女は、主人らしい女性の声にはっとなって、急いで部屋を出て行った。
向かう先は台所のようだ。
「いえ、お気遣いなく。勝手に入り込んでしまい失礼いたしました。てっきり無人だと思っていたものですから。僕はエルネスト。こちらは――」
いきなり抱きつかれた。
「ああっ!」
リオナとカーターが声を上げた。ヘモジはその声に驚いてこっちを見上げた。
「ナ?」
「あなたがエルネストちゃんなのね? まあまあまあまあ、いつか会えるとは思っていたけれど、こんなに早く会えるなんて、お姉さん嬉しいわ」
ちゃん?
「ちょ、ちょっと、姫様?」
カーターが動揺している。
「レジーナちゃんの弟よ」
レジーナちゃん? あの姉さんをちゃん付け? うちの母さんレベルの強者か?
「レジーナ様の? では、お噂のドラゴンスレイヤー?」
そんなものになった覚えはありませんが。
「天才発明家にして天才魔法使いよ」
そんなものにもなった覚えはありません。
「これはお見それいたしました。ではそちらがリオナ様。こちらは…… なんでございましょう?」
カーターとヘモジが目を見合わせ、互いに首を捻った。
「ナーナ」
「おおっ、エルネスト様の召喚獣様で」
「ナナナナ」
「ほうほう、ヘモジ様とおっしゃる」
「こんな所で立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」
どうなってるんだこれは、一体?
さっきまで埃まみれだったはずの回廊も塵一つなくなっていた。壁には絵画や花瓶が飾られ、上品な生活感が感じられた。
案内されて上る階段には蜘蛛の巣一つなく、明るい日差しと、漆喰の白い壁、鮮やかな花の色と甘い香り、磨かれて光る木の手摺りがあった。




