ピア・カルーゾの信仰2
石が次々粉々になっていった。が、彼女が期待するような誘爆は起きなかった。
否、正確には起きていた。瞬時に放出された魔力はこれまた瞬時に吸収されていたのだ。
僕はあのときと同様、拡散する魔素を魔力に変換しながら魔法陣を想像する。
普通に発動しても今の僕の魔力は枯渇しない。従って周囲の魔力も補充したりしないので、事前に魔力を消費しておく必要があった。
僕が現場に到着したとき、僕の魔力は恐らく二割を切っていた。結構な飢餓感に襲われていた。
そこに『楽園』を発動したせいで、全身から魔力を全て搾り取られることになった。だが、次の瞬間、膨大な量の魔素が僕に魔力を与えた。魔力が僕の身体に染み込んでは消えていく。
そして『楽園』に僕はいた。
数時間前に魔力を浪費するために何度も出入りしていた僕は、そこに使い慣れた自分のライフルを置いてきたのだった。
テーブルの上に置かれた銃を掴んで僕は老女の前に再び戻った。
スターダストのように原石の欠片がまだ宙に舞っていた。ほんの一秒にも満たない刹那だったらしい。
老女の顔が恐怖に歪んでいた。それもそうだろう、彼女はここを爆破したついでに、溢れた魔力を吸収して一時的に魔力過多の状態を作り出し、ここから逃げおおせる予定だったのだ。
辺り一帯を吹き飛ばした後、彼女はどこに消える予定だったのか?
「スプレコーンには行かせませんよ」
しおらしい姿を演出しても、騙されたりしない。彼女の本質はチッチと同じだ。否、この場合、チッチが育ての親に似たのか。目的のためなら手段を厭わない非情さ。病的なまでの用心深さ。
「なるほど、あの子が負けたのも無理はなかったわけね。こんな離れ業があったなんて。あの子以上の化け物がいたなんて……」
彼女は懐から小瓶を取り出した。『バジリスクの猛毒』!
残念ながら今の僕には魔力はない。
僕は鉛の弾を放った。
小瓶の蓋を開けようとした彼女が沈み込んだ。
そして雪のなかに倒れ込んだ。
時間が止まった。
なぜ?
僕は雪を掻き分けて必至に彼女に近づいた。
なんで結界を張っていなかったんだ!
彼女の真の目的は…… 始めからこれを望んでいたというのか!
「これはただの水だよ。安心おし」
「なんで結界を! 今助けるから、じっとしてて!」
僕は薬を取ろうとポケットに手をやると彼女はその手を制止した。
「よしとくれよ。ようやくこの胡散臭い世界からおさらばできるんだよ。邪魔しないでおくれよ。それにこれが一番したかったのさ。お前さんみたいな善人にはよく効く手なんだよ。復讐だよ」
彼女の瞳が願うことと言葉は裏腹だった。
助けるべきだということは分かっていた。分かっている…… でも、僕は彼女の細い腕を振り払うことができなかった。
「やっと、終れるんだね…… 長かったね…… 今度は優しい神様がいる世界がいいね…… そしたらパパとママと…… あの子と一緒に」
天前月十三日、アルガスの南、『蟹の道』近傍において、ピア・カルーゾはその数奇な生涯の幕を閉じた。享年六十一歳だった。
僕は、動けなかった。
逃げおおせられたなら「まだ死ぬときではない」と、啓示であるかのように考えたのかも知れない。でも年貢の納め時が来たとき、彼女は自分の欲求に忠実だった。そこにはもはや悪意はなかった。
「死んだ息子に、家族に会いたい」
雪が真っ赤に染まり切っても、僕の涙は止まらなかった。
アルガス経由で帰宅した。
リオナは長老たちに、アイシャさんは僕の代わりに領主館に報告に向かった。
僕は万能薬を飲んで、魔力を回復し、自室に籠もった。
気分は少しよくなったが、心は晴れなかった。
「まるで呪われた気分だ」
僕は『認識』を発動させた。
駄目だ…… 安定しない。心が動揺する分だけ浮かんだ文字列が揺れてよく見えない。
情けないかな思い切り動揺してる。
取りあえず、みんなに心配かけるのはよくないな。
そういや、もう昼じゃなかったか?
部屋の扉を開け、匂いを嗅ごうとしたら、オクタヴィアがいた。
じっと僕の顔を見つめている。
「平気?」
猫にまで心配かけるとは…… 家長失格だ。
「魔力使いすぎて、鬱になってたよ。もう大丈夫だ。飯は?」
「今できたところ。呼びに来た」
そう言うと僕の肩に乗ってきた。
「みんな帰ってきたか?」
「ご主人はまだ」
僕が報告に行かなきゃいけないのに、悪いことをしてしまった。
食堂に入ると、みんな僕の顔を見て、あからさまにほっとした顔をした。
「ただいまなのです!」
「お邪魔しまーす」
リオナと一緒に子供たちがドヤドヤと入ってきた。
「なんだ若様、元気じゃん」
ピノの一言にげんこつが飛んできた。チッタが小声でデリカシーがないと叱責する。
「だって、リオナ姉ちゃん、死にそうだったじゃん」
二発目を食らっていた。テトとチコにも一撃を食らっていた。
「テトは後で殺すのです」
「なんでだよ!」
僕は笑った。
みんな心配して来てくれたようだ。
「ただいま、今帰った」
アイシャさんと一緒に姉さんが来た。
「落ち込んでると聞いて遊びに来てやったぞ。弟よ」
そう言って僕を抱きしめた。
「出遅れてしまいましたかな?」
長老たちが酒を持ってやって来た。
千客万来。
皆思い思いの場所に座る。
「若様、新しいソリのコースできたよ。前より凄いよ。後で遊ぼ」
テトが呟いた。
できれば遠慮したい……
「フライングボードの方が先だろ」
ピノがテトに突っ込む。それをピオトが「まあまあ」となだめる。この三人は本当に仲がいい。
「これどうぞ」
チコが光る緑色の小石を僕にくれた。
「元気が出る石だよ。お姉ちゃんがくれたの。若様に貸してあげる」
それはきれいに磨かれた緑黄石だった。
「うん、ありがとう。チコちゃん」
「若様、それ……」
チッタが「ただの石を磨いただけだ」と言って赤くなる。
「ちょっと、あんたたち、しゃべってないで手伝いな。お肉食わせないよ」
アンジェラさんが食事の用意を子供たちに手伝わせる。
「長老はいいのかよ」
ピノが反抗する。
「長老はいいの。長老なんだから」
来客がまたひとりやって来た。
「ちょっとみんな、外が凄いことになってるよ」
着替えに家に戻っていたロメオ君が飛び込んできた。
僕たちは窓から外を覗いた。するとそこには大勢の子供たちが思い思いの姿で佇んでいた。
「静かだと思ったら」
「みんな、心配して来たようじゃな」
ドン、玄関の扉に頭突きするユニコーンが一匹。
『草風』まで……
「こりゃ、落ち落ち沈んでもいられないな」
僕はアンジェラさんをすまなそうな顔で見つめた。
「仕方ないわね」
アンジェラさんの号令で昼は急きょ、焼き肉パーティーになった。
全員で材料と道具をガラスの棟の正面広場に運んで、あっという間に騒がしい食事会になった。大人たちも思い思いのものを持ち寄って集まってくる。獣人たちと親交のある人族の家族も。
「今年最初の焼き肉パーティーなのです。いっぱい食べて寒い冬を乗り切るのです!」
リオナが格好いいことを言って、焼き肉パーティーが始まった。
差し入れの肉やら、お総菜やらがたくさん集まって、新年の祝いより騒がしい、お祭りになってしまった。
「これは角兎の肉!」
「正解!」
「こっちは?」
「ドラゴンの肉!」
「大正解ッ!」
利き酒ならぬ、利き肉を楽しむ者たち。
「お、おい、お前ら、そんな肉、安い肉と一緒に出すな!」
「野菜も食えよ、リオナ」
「うまうまなのです」
ナガレとリオナが調理担当をすっぽかして、食っていた。
「おいしいね。お兄ちゃん」
人族の幼い娘が僕に声を掛けてきた。そして僕の返事を聞かずに走り去ると、獣人の友達といっしょに人混みのなかに消えた。
『母さん、もう行こう。みんなが待ってる』
僕は慌てて振り返った。
人混みのなかに一瞬、幼いピア・カルーゾがチッチに手を引かれて、家族の元に向かう姿を見た気がした。