神様熟睡中10
「三、二、一……」
僕はゲートを開いた。
距離はあったが、感覚が研ぎ澄まされているせいか、山の稜線をしっかり捕らえることができた。老女に発見されても、直撃を受けない岩場の陰にゲートを築くことに成功した。
リオナとロザリアが外套で顔を隠しながらゲートに飛び込んでいく。
大きな魔法は詠唱タイミングからいって即応はない。小さな魔法ではふたりの装備は貫けない。リオナの銃の方が断然優位だろう。仮に防がれてもアムールとベンガルが挟撃する。その頃には僕もゲートを放棄して、結界を張れるだろう。
雪のなかでふたりがどこまで動けるかが鍵だ。
アイシャさんにはその隙に雪の壁を壊して貰う。
ふたりの後を追った。
僕がゲートから飛び出すと、既に数歩先をリオナが走っていた。
僕の感覚は研ぎ澄まされたままだ。いつもは目で追えないリオナの動きが見えている。
ロザリアが召喚の詠唱を始めている。
老女らしきフード姿の人物はロザリアを捕らえ、呪文を放った。
リオナではなくロザリアを狙った。見えていないのか?
僕は結界を展開して呪文を防いだ。衝撃からして風系の魔法だった。
老女は方針を変え、手元にある転移結晶の原石に力を注ごうとした。
次の瞬間、銃弾が老女を襲う。対物理結界か付与のせいで銃弾が弾かれた。
リオナを無視したわけだ。
双剣使いの獣人と見てとって遠距離攻撃はないと瞬時に判断したのだろう。
だが次の一撃は防げなかった。
『ソニックショット』である。
老女の腕が吹き飛んだ。
次の瞬間石もなくなっていた。アムールが反対側の斜面に突き飛ばしたのである。
老女は恐怖の表情を浮かべながらリオナに向かって、今度こそ反撃する。だがそこには残像しかなかった。ベンガルの動きに一瞬、惑わされる。
リオナの拳が老女の鳩尾に突き刺さった。
吹き飛んだ腕と共に物理結界を付与していた指輪の効果も消えていたようだ。
老女は雪のなかに崩れ去った。
ドオオン!
衝撃と共に渓谷側の雪の斜面が深い谷間に飲み込まれていった。アイシャさんもうまくやったようだ。
雪の軋む音がして、足元の雪に亀裂が入る。
「急ごう」
ゲートを再び開けて、僕は老婆を担いで町に降りた。
出た先は湖に掛けられた橋の上のポータルである。
今まさに雪崩が轟音を奏でて山肌を滑り落ちる瞬間であった。
「おおっ!」
教皇宮殿の外壁すれすれをかするように雪の塊が落ちていく。
余所見をしているポータルの警備担当らしき男の眼前に立ち、ロザリアが発言する。
「ロザリア・ビアンケッティです。教皇暗殺未遂容疑でピア・カルーゾを拘束しました。逮捕してください」
そう言って僕が肩から降ろした老女を指差す。
周囲にいた警備担当者たちは指名手配犯の名を聞いて、慌てて押し寄せる。
リオナが薬を使って、老女の片腕を止血する。
片腕はきれいさっぱり吹き飛んでしまったので再生はできない。
そこへアイシャさんも現れる。僕たちはハイタッチする。
渓谷で爆発が起きた。原石が衝撃で吹き飛んだらしい。
「父さんに連絡して、今すぐ面通しをしてもらってください。それと彼女は魔法使いですから魔法拘束を早く」
遠くからカミールさんが重そうな枢機卿の衣装を着て、数人の舎弟を連れてやって来た。
すぐさま検分されて、ピア・カルーゾ本人と確認される。
僕たちは夕方のおやつがてら、大聖堂の控えの間に通されることになった。
そこで洗いざらい話をして、カミールさんがいなくなってからの慇懃無礼な教会の態度を発端とした一日のあらましを話して聞かせた。
コンチェッタさんが宮殿に戻ってきていると聞かされたときの驚き様は、彼が今回の件に一切関係していなかったことを物語っていた。
おやつも食べ終わったので僕たちは帰り支度を始める。
オクタヴィアがおやつに出されたマフィンの残りを缶のなかにしまった。そして嬉しそうに目を細めた。
あのなかは今一体何味になっているのだろうかと不安がよぎる。
ロザリアのゆかりの場所を数件梯子してから、僕たちは湖のポータルを潜った。
「コンチェッタさんに会わなくていいのか?」と尋ねたら、「宮殿の出入りは面倒だから今度にする」と返された。
真っ先に家に戻ると、留守番をしてくれていた人たちに吉報を告げた。
「ようやく新年を迎えられた気分です」
アンジェラさんがほっとして本心を吐露した。
「やりましたね」
「やったのです」
エミリーとリオナも手を取り合ってはしゃいでいる。
アイシャさんからは爺さんに酒の土産が渡された。
「あそこは禁酒じゃなかったのかね?」
「きれいな水のおかげで醸造所がたくさんあるらしいぞ」
「教区以外は自由ですよ」
ロザリアも喉の骨が抜けたように元気になった。
「サエキさんは?」
「アンドレア様から大きな荷物が届いたとかで、駅に取りに行っています」
忘れてた。北の一件の報酬だ。
「姉さんたちは?」
「特に何も。式典は滞りなく終ったようだけどね」
取りあえず新年の挨拶だけでもしてくるか。
「エルネスト」
アイシャさんに手招きされた。
「薬は抜けたかの?」
「よく分からない」
探知スキルを使ってもまだ劣化していないから続いてるかも。でも聴覚と嗅覚は戻っている。
「よこせ」
長い指のきれいな手のひらが差し出された。
僕は黙って小瓶をその手のひらの上に載せた。
「一滴だけ舐めてみよ」
「え? でも……」
「いいから」
僕は恐る恐る垂らした一滴を舐めた。
「あれ?」
吐きたくなるほどの不味さに身構えたが、味がしなかった。
「味がしない……」
「よかったの、その薬はもうお役御免じゃ」
「え、そうなの?」
「次に飲んでもこの薬はお前に何も与えぬ。味がせぬのはそのせいじゃ。もし他にも保管しているようなら捨ててしまうことじゃ。使う機会はもう一生ないからの。元々ハイエルフの里から盗まれたレシピじゃ。悪いが、管理は任せて貰うぞ。余り広まって欲しい薬ではないのでな」
「そうなの?」
「ハイエルフの戦士が成人の儀式にこれを一滴飲まされるんじゃ。山の老人の時代には不純物が多くてな、別の用途で、麻薬代わりにもなっていたからの。この小瓶は取りあえずリオナが大人になるまで封印じゃ」
僕は了解して、保管庫の大瓶の中身を捨てた。
おかしなことに僕の探知スキルは高性能を維持したままだった。あとで『認識計』で確認した方がいいだろう。
サエキさんが木箱を台車に乗せて戻って来た。
「若様、お荷物です」
「ありがとう。居間に運んでくれ」
「お手紙も預かっています」
兄さんからだった。
『母さんを長く引き止めてくれて助かった。仕分けは完了した。送った物は盗品確認を済ませたものだ。安心して使うといい』
木箱が開けられた。なかから出てきたのは豪華な装飾品の数々だった。さすがに金塊は怪しまれるので送ってこなかったようだ。
「凄い……」
蓋を開けたサエキさんが息を飲んだ。
なかから置物の彫像、金銀の宝飾、絵画、銀食器、高価な壺のなかにまで何かしら小物が納められていた。そして例の対『魔法探知』付与が施された装備一式だ。
ぼくはそれらの整理をアンジェラさんに任せた。この家のどこに何を置くかはこの家の管理をしている彼女に丸投げするに限る。
いい加減、僕の部屋も内装を整えないといけないし、この際業者に発注を掛けることにするかな。




