タロス戦役(お茶を啜って落ち着こう)25
思わず笑いが込み上げた。
逃げなかったんだな。チャンスだったのに…… 頭に血が上って冷静な判断ができなかったらしい。
「所詮でかい蜥蜴だったか」
こちらの挑発が功を奏したと思えば相手を卑下することもないか。
喉の奥で溶岩の熱気がくすぶっていた。
「『魔弾』装填……」
まったく、色々仕込んでおいたのに無駄になったな。
僕は『万能薬』の小瓶を飲み干した。
「『千変万化』……」
獲物をくわえていてはブレスは吐けまい?
一方的に攻撃を受けることになるぞ。吐き出したらどうだ?
「魔力増加……」
結界が大き過ぎて飲み込めないだろ?
「『一撃必殺』……」
ゲートも繋ぎなおしたからな転移もできまい。
ライフルを構えたら反応が返ってきた。
どこを狙っても結果は同じらしい。
「逃げを打たずに、はなから全力で来るか、さっさと逃げるかすればよかったのに。天敵のいない世界じゃ警戒心も薄れるということだな。慢心は滅びへの第一歩といったところか? じゃぁな」
断末魔の叫びを聞くことはなかった。
それは呆気ない終焉だった。
飴玉を吐き出すように僕を包んだ結界は口外に押し出された。
やったぞ、みんな。
僕は空を見上げた。
「ん?」
口のなかから抜け出したはずなのに…… 夜? 闇?
振り返るとそこには頭が吹き飛んだエンシェントドラゴンが横たわっていた。
骸は見えるのに…… それ以外の物が見えない?
この感じ…… どこかで……
「ああっ!」
初めて『お仕置き部屋』に放り込まれたときのあの感じだ!
「やられた……」
あいつ、僕をくわえたまま異空間に逃げ込みやがったんだ!
僕は呆然と立ち尽くした。
大丈夫、あのときと違って身体は動く。
でも感覚はあっても周囲には何もない。暗闇のなかを漂っているだけだ。
「ゲートは!」
転移を障害するために繋いだはずの転移ゲートの出口はどこにも繋がっていなかった。異空間に飲み込まれてから発動していたようだ。
「参ったな……」
所有者を失った異界というのは崩壊したらどうなるのだろう? そもそも崩壊するのか? このまま閉じ込められたまま…… 考えたくないな。
『楽園』は使えるのか、試しにやってみた。が、反応はなかった。
規模は兎も角『楽園』と同列の世界だと思うのだが……
爺ちゃんは『牢獄』と『楽園』の間を自由に行き来していたけど…… この空間と『楽園』は繋げられるのか?
違う! それは思い込みだ。
ここが『楽園』と同じ機能を持ったものなら、そもそもこの異界と『楽園』を違うものと認識したとき、違うものとして機能してしまう。
同じだ。『お仕置き部屋』と。この異空間を自分の物にしてしまえばいいんだ。
ここは『楽園』だ。
まずは世界を小さく区切ってそこから始めよう。
「邪魔だな」
エンシェントドラゴンの亡骸を廃棄しようと思った。捨てる場所がないのでいつもの癖で『楽園』に放り込んだら、できた。
「……」
無意識の勝利だ。『楽園』は存在する!
こちらからアクセスできる! 強い確信が生まれた瞬間、僕の目の前に見慣れた景色が飛び込んできた。
壁一面を占める本棚。煌々と燃える暖炉の前に置かれたソファー。
泣きたくなるくらいほっとした。
テーブルには気を落ち着けるためにお茶と菓子が置かれていた。
「至れり尽くせり…… いつも通りだ」
ソファーの上には転移関係の書類が散らばっていた。今更な内容ばかりだったが、それが答えなのだろう。
いつも通り振り返った先の玄関扉を開ければ元の世界が待っている。
お茶を啜ると胸の奥が熱くなった。
「余り待たせると心配させてしまうな」
そんなとき玄関の呼び鈴が鳴った。
「はあ?」
来客?
「どなたですか?」
「わしじゃ」
「爺ちゃん?」
扉を開けるとそこには爺ちゃん、アシャン老がいた。
「本物?」
「それはこっちの台詞じゃ。戦闘は終わったのか? なんでこんな所にいる?」
「爺ちゃん!」
僕は年甲斐もなく爺ちゃんに抱きついた。
結構端折ったつもりだったが、長話になってしまった。
もう会えないかもと思っていた爺ちゃんに会えたおかげで、口が軽くなったせいか、こんな所にいる理由から現在、置かれている戦況まで、洗いざらい話して聞かせた。
「慢心はお前の方にもあったわけじゃな?」と飲込まれる下りで突っ込まれたときには恥ずかしくて顔が赤くなった。
「そうか、タロスを制圧できたか。皆にいい土産話ができたわい」
「そういや、そっちはどうなの? ミズガルズはどんなところ?」
「出た先でほとんど動いておらんからの。詳しくは分からんが、何もないところじゃ。どこまでも砂漠が続いておる。が、空気が存在するところを見るとそれだけではなかろう。必ず植物が棲息しておるはずじゃ。であるなら水もあるはず。さすれば雲も海も…… 冒険のし甲斐があるの」
「うん。世界が繋がったら向こうの地図を作ってもいいかな」
「ハハハハッ。では、王に言伝を頼もう。『こちらの準備は予定通り、今日中に終わる。明日装置を稼働されたし』とな」
僕が帰るのを見守ってくれるというので、僕は先に扉の向こうに行くことにした。
「気を付けてな」
「爺ちゃんもね」
僕はいつも通り『楽園』の扉を潜った。
「あああああっ!」
しまった……
見慣れた景色がそこにあった。
光の魔石が魔力を吸って映しだした景色は、天井まで本がびっしり詰まった本棚。
一つの棚の三分の一を占める『異世界召喚物語』
真新しい装丁に包まれた全三十巻のうちの二十九巻。一巻だけが相変わらず抜けている。
「書庫だ…… 我が家の……」
大変だぁ!
僕は内鍵の掛かった扉を開けて飛び出した。
エミリーが二階の廊下の掃除をしていた。
「きゃあ、侵入―― え? 若様っ!」
「ごめん、エミリー。訳は後で話すから」
僕は階段を駆け下りた。
「なんだいエミリー、どうしたい? ちょっと、あんた!」
「理由は後で!」
アンジェラさんの前を横切って転移部屋に飛び込んだ!
「ええと…… どこだ? どこが最前線に一番近いんだ? 駄目だ分からん!」
僕は再び居間に戻ってアンジェラさんに尋ねようと思ったが、そもそも最寄りの都市の名を覚えていなかった。
「ち、地図! 王国の!」
アンジェラさんは壁を指差した。
「何があったか知らないけど、もう少し落ち着いたらどうだい?」
「それはそうなんですけど」
僕がいなくなったことでみんなが意気消沈していたらどうしようかと思った。指揮官を失うことで士気が落ちることは多々あることだ。戦況に影響が出ているかも知れない。エテルノ様もアイシャさんもヴァレンティーナ様もいるから、そうそうそのような事態にはならないだろうけれど。
「ナバッツ! ここだ! 第三軍が最終防衛ラインを敷いている都市だ!」
ナバッツの名を繰り返し唱えながら、僕は転移小屋に飛び込んだ。