第1話 地上への道
リーゼは、何もない暗がりを見つめていた。
崩れ落ちた岩と石材が行く手を塞ぎ、その向こうには灯りの届かない闇が沈んでいる。天井からはときおり細かな砂が落ち、どこか遠くで小石の転がる音がした。
足元には砕けた石片に混じって、誰かの荷物からこぼれたらしい革紐や金具が散らばっている。少し離れた瓦礫には血が付いていたが、それが誰のものなのかは分からなかった。
だが、彼女が見ているのはそこではなかった。
本来なら、目の前に現れるはずのものを見ていた。
「……見つからない」
右手を下ろす。
その声が妙に静かだった。
グレンは何も言わず、リーゼの前に広がる空間を見た。
光はない。
いつもなら、リーゼが行き先を定めれば、固有スキル《案内》がその場にいる誰の目にも分かる形で道を示す。暗い遺跡の中に光の筋が浮かび、曲がり角の向こうまで、進むべき方向をはっきりと描き出す。
それが、今はどこにもなかった。
「もう一度やる」
リーゼはそう言って、改めて正面を向いた。
いつものように見栄えのする仕草はしなかった。人前で《案内》を使うときの彼女なら、わざと一歩前へ出て手を差し伸べ、これから自分が道を示すのだと見せつけるように振る舞う。
今はただ、静かに手を差し出した。
何も起きなかった。
数秒経っても、足元にも、壁にも、背後の通路にも、一筋の光すら現れない。
「……駄目だ」
リーゼは手を下ろした。
「地上への道は、ない」
グレンも何も返さなかった。
二人とも、その言葉の意味は分かっていた。
崩落に巻き込まれてから、まだそれほど時間は経っていない。
意識を取り戻したあと、まず互いの怪我を確認した。リーゼはこめかみを切り、左肩と右脇腹にも傷がある。左足首も軽く捻っていた。グレンも右肩と脇腹を強く打っている。それでも二人とも立てる。歩ける。少なくとも、すぐに命を落とすような傷ではなかった。
どれほど下まで落ちたのかは分からない。
崩落の途中で何度も足場ごと落ち、岩や土煙に視界を奪われた。元いた階層が今どちらにあるのかさえ、感覚だけでは判然としなかった。
だから次に確かめたのが、帰る道だった。
そして《案内》は、何も示さなかった。
「近くは見ておこう」
グレンが言うと、リーゼは遅れて頷いた。
「……そうだね」
二人で周囲を確かめた。
右手の通路は途中から天井ごと潰れている。反対側も大量の瓦礫に塞がれ、人が抜けられる隙間はない。
途中には折れた槍が一本、石の間に挟まっていた。見覚えのあるものだったが、その持ち主の姿はどこにもなかった。
グレンは崩れた石材の一つに手をかけ、力を加えた。
上の方で、ぱらぱらと砂が落ちる。
すぐに手を離した。
無理に掘れば抜け道が見つかる、という崩れ方ではない。それどころか、下手に支えを崩せば、ようやく止まっている天井まで巻き込んで再び落ちてくる可能性があった。
そもそも、どちらへ掘れば地上へ近づくのかさえ分からない。
元の場所へ戻ると、リーゼは先ほどまで光を探していた先へ目をやった。
やはり、何もない。
「参ったね」
ごく薄く笑った。
普段のリーゼなら、もう少し上手く笑う。
グレンはそれには触れなかった。
「座ろう。持ってるものを確認する」
「うん」
リーゼも素直に腰を下ろした。
帰る道はなかった。
少なくとも、《案内》が示せる道は。
数時間前まで、その光は当たり前のように彼らの前を走っていた。
──
数時間前。
遺跡の中は、入口から想像するよりずっと広かった。
地下へ降りるにつれて脇道が増え、似たような石造りの通路が何度も枝分かれしている。探索隊は、そのうち三本に分かれた通路の前で足を止めていた。
今回の依頼には、グレンとリーゼを含めて四つのパーティが参加している。総勢十数人。
全員が遺跡へ入っているわけではない。
入口から少し離れた場所には野営地が設けられ、連絡や物資管理を担当する数人が待機している。残りが合同の探索隊として遺跡深部へ入っていた。
目的は、前回の調査隊が大広間で確認した魔物の討伐だ。
大広間がどこにあるのか、正確な位置までは分かっていない。だが、行き先として特定できていれば、それで十分だった。
「ここはボクの出番かな」
リーゼが一歩前へ出た。
肩口で揺れる銀髪に、すらりとした軽装の剣士姿。人の目を引く華やかさがあり、こうして皆の視線が集まる場面にもよく馴染んだ。
三本の通路を青紫の瞳で見渡し、芝居がかった仕草で右手を差し出す。
「では皆さん、ご案内しよう」
固有スキル《案内》。
目的地まで辿り着ける道があるなら、その経路を目に見える形で示す力だ。
リーゼの足元に光が浮かんだ。
そこから一本の道筋が石床の上を伸び、三本のうち中央の通路へ入っていく。淡い光の縁には細かな粒がきらめき、薄暗い遺跡の中では十分に目を引いた。
初めて見る者から、感心したような声が上がる。
リーゼは満更でもなさそうに口元を緩めた。
「今日はいつにも増して派手だな」
横からグレンが言った。
「士気を高めてるのさ。案内役が頼りなさそうにしていたら、皆も不安になるだろう?」
「なるほど」
グレンは周囲から集まっている視線を見る。
「なら、上手く行ってるよ。お前がやると様になる」
リーゼがグレンの方へ顔を向ける。
「……本当にそう思ってるのかい?」
「思ってるけど」
「そうか」
一拍置いて、リーゼは笑った。
「それなら、ありがたく受け取っておこう」
先頭の斥候が中央の通路へ入り、探索隊もそれに続いた。
グレンはその少し後ろにつく。近くにいる冒険者と比べても、彼の体格はひときわ大きかった。背が高いだけでなく肩も腕も厚く、大きな武器を扱う前衛だと一目で分かる。
だからといって先頭を歩くわけではない。こういう場所では、まず斥候に前を見てもらう方がいい。グレンは何かあればすぐ前へ出られる位置を取り、後続の動きにも気を配りながら進んだ。
リーゼも《案内》を維持したまま隊列へ戻る。
中央の通路を抜けた先で、光はまた新しい分岐へ向かって折れていた。
「次は左だね」
《案内》の光は、幅の狭い方の通路へ折れている。右手にはもう少し歩きやすそうな道が続いていたが、グレンはそちらを一瞥しただけで、リーゼの示した方へ進んだ。
後ろにいた冒険者の一人が、右の通路を覗き込む。
「そっちは違うのか?」
「大広間へ行くならこっちさ。右がどこへ続いているかまでは分からないけどね」
男もすぐに左へ向かった。
そこからいくつかの分岐を越え、石造りの階段をひとつ下る。深くなるにつれて通路は広くなったが、壁や床の傷みも目立つようになっていた。欠けた柱や崩れた装飾の間を、十数人分の足音が低く反響していく。
やがて先頭の斥候が片手を上げた。
隊列が止まる。
斥候はしゃがみ込み、灯りを床へ近づけた。薄く積もった埃の上に、大きなものを引きずったような跡が残っている。少し先には黒っぽい毛も落ちていた。
「新しいな」
一本つまみ上げ、指先で確かめる。
「報告にあった魔物のものだと思う。足跡もまだ崩れてない。近くにいると見てよさそうだ」
何人かが武器へ手を伸ばした。
グレンは斥候が示した先を見てから、リーゼへ目を向ける。
「この先は?」
「一度右へ曲がる。その先は広い場所に出るみたいだ」
「じゃあ、角を曲がる前に前衛を厚くしよう。術師は下げた方がいい」
隊をまとめていた男も頷いた。
後ろへ声が回り、それぞれが位置を入れ替える。グレンとリーゼも前へ寄り、リーゼは腰の剣を抜きやすい位置へ直した。
その間にも、《案内》の光は変わらず先へ伸びている。
準備が整うと、斥候が角まで進んで向こうを確認した。
「今のところ何もいない。先はかなり広い」
手招きされ、前衛から順に進む。
リーゼがグレンの隣で息を吐いた。
「こういうときは、やっぱり二人の方が楽だね。頼れる人が多いのはありがたいけど、何か決めるたびに全員へ伝えないといけない」
「必要なことだから仕方ない。でも、そうだな。お前となら話は早い」
「ふふ。キミもそう思ってくれてるなら、悪くないね」
機嫌を良くしたように笑って、リーゼは前を向いた。
角を曲がると、通路はその先で大きく開けていた。
斥候が先へ入り、グレンとリーゼも続く。後ろでは他の前衛が間隔を詰め、魔術師たちもそれぞれの位置についた。
リーゼの手は、すでに剣の柄にかかっていた。
広間へ踏み込んで間もなく、先頭の斥候が足を止めた。
「いる」
低く落とされた声に、後続の気配まで一斉に静まる。
広間の奥、灯りの届かない暗がりで何かが動いた。最初に姿を現したのは石床を踏む太い前脚で、やがて黒褐色の毛に覆われた巨体がゆっくりと光の中へ進み出てくる。
四足の獣型。
前回の調査隊が報告していた特徴とは一致していたが、その大きさだけは聞いていたものと明らかに違った。
「……報告より、でかいな」
誰かが呟いた。
グレンも同じことを考えていた。




