27.突撃! 2
ひみつ。
そう言われると、何だか余計に気になってしまう。
もっとも、クロエのことだから、こちらが気にしているのを面白がっているだけなのだろう。
「で、クロエ。何を知ってるの?」
「ん~? まだ聞くの?」
「そりゃ聞くよ。今まさに、その土地の話をしてるんだから」
「ふふ。あるじさまってば、知りたがり~」
クロエは俺の腕に身体を寄せたまま、机の上に広げられた地図を覗き込んだ。
「ここね、昔はこっちにも道があったの」
小さな指が地図の上を滑る。街道から外れ、森の中を通って川へと続く。
「今は使われていない道、ですか?」
ウィルが尋ねる。
「さあ? 今は知らな~い」
クロエは地図から目を離さない。
「川を渡れる場所があるのか?」
今度はハロルドが身を乗り出した。しかし、クロエは答えず、俺の方を見上げた。
「あるじさま。こっちから行った方が早いと思うよ?」
「へえ。川は渡れるの?」
「ん~。雨が降ってなければね」
なるほど。ハロルドが横から地図を覗き込み、何かを書き込んでいる。
案外、役に立つ情報らしい。
「随分詳しいな」
「そりゃあね~」
クロエが薄く笑った。
ウィルが少し考え込む。
「失礼ですが、以前、あの土地に住んでいらしたのですか?」
「ん~。住んでた、っていうのかなあ」
クロエが地図を指先でなぞる。
「ここから、こっちの山まで。ぜーんぶ、わたしのだったの」
「……それは、どういう?」
「そのまんまの意味だよ?」
クロエが楽しそうに目を細めた。
「お城も、森も、村も。わたしのもの」
ウィルの表情が変わった。
俺も、ようやく話が見えてきた。
「……クロエ。もしかして、前の領主って」
「ふふ。ようやく分かった?」
クロエが俺に身体を寄せる。
「そ。昔はわたしが、あそこの領主さまだったの」
……なんと。
思わずウィルたちの顔を見る。
ウィルは言葉を失っている。ゲッツは眉間に皺を寄せ、エーリカは何やら考え込んでいた。
ハロルドに至っては、地図に書き込む手が止まっている。
うん。どうやら、知らなかったのは俺だけではないらしい。
※※※※※
「つまり、以前あの土地を治めていた魔族というのは……」
ウィルが恐る恐る尋ねる。
「わたしだよ?」
クロエはあっさりと答えた。
その視線は既にウィルから外れ、俺に向けられている。
「驚いた?」
「いや、そりゃ驚くよ。聞いてないもの」
「聞かなかったでしょ~?」
「……まあ、そうだけど」
そう言われると、何も言い返せない。
そもそも、クロエと出会ってから、過去について詳しく尋ねたことがあっただろうか。
名前すら、俺が付けたくらいだし。
「しかし……」
ウィルが口を開いた。
「その土地は、ヴァンパイアハンターによって解放されたと聞いています」
「ん~。そうだねえ」
クロエが気のない返事をする。
「お城まで来たんだよ。大勢で」
「……戦ったの?」
俺が尋ねると、クロエは小さく笑った。
「もちろん。せっかく来たんだもん」
せっかく。
そういう問題なのだろうか。
「眷属もいたんだよね?」
「いたよ。いっぱいいたの」
「そいつらは?」
「死んじゃったよ。ほとんどね」
あまりにも平然とした返事だった。
「……平気なの?」
「ん~。残念だったかなあ。気に入ってた子もいたし」
クロエが少しだけ考える。
「でも、死んじゃったものは仕方ないでしょ?」
そこで彼女は、俺を見上げた。
「それとも、あるじさまは昔のわたしが気になる?」
「いや、まあ。気になるけど」
「ふふ。やきもち?」
「違うと思う」
「ざんね~ん」
何が残念なのだろう。
それにしても、自分の城が襲撃され、眷属がほとんど全滅した。
俺だったら、もう少し何か思うところがありそうなものだけれど。話の衝撃に現実感が追いついていない。
クロエは失った眷属たちを懐かしむわけでも、ハンターを恨んでいるわけでもなさそうだった。
「それで、どうしたの?」
「ん~。お城も壊れちゃったし、飽きちゃったから出てきたの」
「……そっか」
「むかしはむかし、いまはいま~」
聞き覚えのある言葉だった。
確か、名前を付けたときにも、そんなことを言っていた気がする。
クロエは俺の腕を引き寄せる。
「今はあるじさまがいるから、いいの」
そう言われると、何とも返しにくい。
ウィルたちの前だし。
いや、そういう問題でもないか。
※※※※※
クロエが元領主だったと分かったところで、話は思わぬ方向に進み始めた。
「では、以前はあの辺りに魔物は少なかったのですか?」
エーリカが尋ねる。
「ん~。いたよ?」
「いたんですか?」
「そりゃあ、森だもん」
確かにそれはそうだ。この辺りでも魔物が湧くことがあるし、そのための冒険者なわけで。
「ですが、最近ほどではなかったと聞いています」
ウィルが地図に目を落とす。
「街道を利用していた商人たちも、魔物による被害はほとんどなかったと」
「あ~。街道ねえ」
クロエが何かを思い出したように笑った。
「勝手に入ってくる子が多かったんだよね~」
「魔物が?」
俺が尋ねる。
「うん。あとは、ほかの魔族とか」
「どうしてたの?」
「追い払ったり、食べたり。いろいろ?」
……食べた。そうですか。
何とも頼もしい領主さまである。
「クロエは、人間たちを守ってたの?」
「え~? なんで?」
「いや、魔物が近づかなかったっていうから」
クロエが不思議そうに首を傾げた。
「だって、わたしのお庭だもん。勝手に入ってこられたら嫌でしょ?」
「……ああ」
それは分かる。俺だって、知らない魔物が城の庭をうろついていたら、あまりいい気はしない。
……いや、待て。同じなのか、これ。
「それに、人間もいたんだよね?」
「いたよ?」
「その人たちは?」
「ん~?」
クロエが指先を唇に当てた。
「別に、どうもしないよ? わたしのものだし」
なるほど?
何となく、話が噛み合っていない気がする。
そこで、ペーターが静かに口を開いた。
「以前、隣の領地の村々では、夜に外へ出ることを恐れていたと聞いておりますじゃ」
「夜?」
「はい。領主の城に近づくことも、固く禁じられていたそうですな」
クロエが薄く笑った。
「だって、勝手に来たら食べちゃうもの」
……ああ。そういうこと。
ウィルたちが沈黙した。
俺も黙った。
クロエは、俺たちの反応を眺めている。
別に脅したつもりもないのだろう。
ただ、彼女にとっては当たり前のことだった。
※※※※※
「お茶のお代わり、いかがですか?」
ちょうどそのとき、ハイジが戻ってきた。助かった。
いや、何が助かったのかは分からないけれど。すくなくとも沈黙は途切れた。
「ありがとう、ハイジ」
「いえいえ」
ハイジが手際よくお茶を注いでいく。
そして、机の上の地図に気がついた。
「あれ? 隣の領地ですか?」
「うん。実はクロエが、昔そこの領主だったらしくて」
「……え?」
ハイジの手が止まった。
「クロエちゃんが?」
「そーだよ~」
「領主様だったんですか?」
「んふふ。そうなの」
ハイジが目を丸くしている。
そりゃそうだろう。俺だって、まだちょっと信じられない。
ところでクロエちゃん、なんていつの間にか二人が仲良くなっている様子なのにも驚いているのですが。
「じゃあ、どうして今はここにいるんですか?」
「あるじさまがいるから」
クロエは当然のように答えた。
「そ、そうなんですね……」
ハイジが俺を見る。いや、俺を見られても困る。
「でも、クロエちゃんのお城は?」
「もうないよ。ハンターに壊されちゃったの」
「えっ」
「眷属も、ほとんど死んじゃったしね」
ハイジが言葉を失った。
クロエはお茶に手を伸ばす。その仕草は、いつもと何も変わらない。
ハイジは少しだけ目を伏せ、それから、もう一度クロエを見た。
「……そうだったんですね」
「うん」
クロエがハイジを見つめる。ほんの一瞬、何かを確かめるように。
それから、また俺の方へ身体を寄せてきた。
何とも言えない空気になった。
俺は隣に座っている白をちらりと見た。
白は静かに本を閉じた。
目が合う。
けれど、何も言わなかった。
うん。俺も、今は何を言えばいいのか分からない。
※※※※※
その後、ウィルたちは一度村へ戻ることになった。
明日以降の調査に向けて、装備や食料の準備が必要らしい。
俺も同行するつもりだと伝えると、四人は随分と安心した様子だった。
「では、明日また参ります」
「ああ。よろしく」
「こちらこそ」
ウィルたちを見送り、ペーターも帰っていった。
客間に残ったのは、俺と白、それからハイジだった。
クロエは長話に飽きたようで、そのうち部屋から出ていた。自由である。
「……驚きましたね」
ハイジがぽつりと呟く。
「クロエのこと?」
「はい。まさか、隣の領主様だったなんて」
「俺も知らなかったよ」
「でも……」
ハイジは少し言い淀んだ。
「村に来ている人たち、あちらの領地から逃げてきたんですよね」
「そうらしいね」
「帰りたいって言ってる人もいるんです」
ハイジは空になった茶器を片づけながら続けた。
「でも、もう戻りたくないって人もいて……。魔物も怖いけど、前の領主様がいなくなって、本当に良かったって」
前の領主様。つまり、クロエのことだ。
「そうなんだ」
「……クロエちゃんがいた頃は、どんなところだったんでしょうね」
ハイジが小さく首を傾げた。
俺は地図に目を落とす。
クロエの話を聞いている限り、随分と自由気ままな領主だったらしい。
けれど、そこで暮らしていた人間たちが何を思っていたのかは、よく分からない。
「行ってみれば、分かるかな」
「……そうですね」
ハイジが頷いた。
白は相変わらず、俺の隣で静かにしている。
何を考えているのだろう。
※※※※※
夜。
自室に戻った俺は、昼間のことを思い返していた。
「クロエが領主だったとはねえ」
なんど思い返しても衝撃的だ。ただの吸血鬼の女の子だとは思っていなかったけれど。
「……知らなかったの?」
窓辺で本を読んでいた白が、顔を上げる。
「全然。クロエもそういう話しないし」
「聞かなかったんでしょ」
「……それはそう」
何だか、クロエと同じことを言われた気がする。
「白も知らなかった?」
「うん」
「そっか」
白が再び本に目を落とす。
俺は椅子の背にもたれた。
「クロエって、昔からあんな感じだったのかな」
「……どうだろう」
「まあ、変わってなさそうだけど」
失った眷属の話を、あんなに平然とするやつである。
俺とは随分と違う。けれど、俺も人間から見れば、同じ吸血鬼なのだろう。
……そういえば。
クロエは、人間を食べると言っていた。昼間はあまり深く考えなかったけれど。
以前、ハイジの指から流れた血の匂いを嗅いだときのことを思い出す。
あの甘い香り。
もし俺が、今よりずっと長い間この世界で暮らしていたら。
クロエと同じように、人間を食べることを何とも思わなくなるのだろうか。
「どうしたの?」
「ああ、いや。何でもない」
白がこちらを見ている。
少し考えてから、口を開いた。
「……クロエって、怖いと思う?」
白はすぐには答えなかった。
「あなたは?」
「んー……」
難しい質問だ。クロエが危険な存在なのは知っている。
けれども、普段の姿はそんなことを感じさせない振る舞いだし。
「分かんないな」
「……そっか」
白はそれ以上、何も言わなかった。そのとき。
「あるじさま~」
噂をすれば何とやら。扉が開いた。
「明日、あっち行くんでしょ?」
「うん。そのつもり」
「じゃあ、わたしも行く~」
「まあ、いいけど」
「ふふ。やった」
クロエが俺のところへやってきて、当然のように膝の上に収まった。
相変わらず、遠慮というものがない。
「昔の城、見てみたいな」
「いいよ~。残ってればね」
「まだ残ってるかな?」
「ん~。どうだろ」
クロエが俺を見上げる。
「最後、ずいぶん暴れちゃったから」
「……クロエが?」
「そ。わたしが」
何だか、あまり詳しく聞かない方がいい気がしてきた。
「でも、懐かしいんじゃない?」
「別に~?」
クロエは不思議そうに首を傾げた。
「今はこっちの方が好きだもん」
そう言って、俺の胸に頬を寄せる。
白はそんな俺たちを眺めて、小さく笑った。そこで笑われるとちょっと複雑なのだけれど。
明日は、クロエの昔のお城へ。
……何だか、ただの魔物退治では済まない気がしてきた。




