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「やるぞ! 援護頼む!」
「任せろ!」
言うなりたん、と晴人は一度詰めた間を開け再び後ろに下がる。ノスフェラトゥが駆けて来るのが見えたからだ。
晴人に、一撃たりとも入れさせる訳にはいかねェ。本気で一撃死しかねない。
迎え撃ち、爪と切り結んだ俺の後ろで、早くも詠唱が完成する。
「動障!」
放たれた術の効果は劇的だった。人間の限界に挑戦する様だった速さが消え失せ、アドバンテージさえ俺が取れる勢いだ。
効果を実感し、感嘆の息を吐いている間に、次の詠唱が完成していた。
「硬貫!」
詠唱早いな、おい!
しかしこれで――ほぼ勝利は決した。
攻撃を避けるのは容易だし、一撃の効きも今までとは訳が違う。
目に見えて飛び散り、消失して行く己の存在に、ノスフェラトゥは悲鳴じみた声を上げ、初めて後退した。
凄いな、障害魔術。俺も使えればいいんだが――無理だろうな。
いや、A・Aの能力は基本本人の心持一つだから、本来なら無理とまでは言えないんだろうが、俺は無理な物もあると思う。
使えれば便利だと思うが、倒してしまえば唱えた分の効果がなくなる、敵に掛ける障害魔術よりも、自分を強くする補助魔術の方が便利だと思ってる。
特に前衛である俺に、一体一体へ悠長に障害魔術なんか唱えてる余裕、あるか?
だから多分、この先も使えるようになる事はないだろう。
お……おぉ……。
もう笑ってはいない朱の唇から洩れた呻き声は、ぞっとするほど人間の声に近かった。
よた、よたりと身体を大きく揺らしながら、覚束ない足取りで逃げようとするノスフェラトゥを見ながら、ふとこいつ等にも痛みという感覚があるのだろうか、と気になった。
「どうした?」
「いいや、何でも」
後一撃で消失するだろうノスフェラトゥは、完全に戦意を失って逃走しようとしているが、逃がす選択肢は元からない。
とんっ、と軽く地を蹴って間を詰め、横薙ぎに剣を振るう。
届いた剣先がローブの先を掠めたその瞬間、ばさりと大きく反対側から身を翻し剣が絡め取られ、力が行き先を失う。
「!?」
体勢も一緒に崩されて、まずいと思ったがノスフェラトゥが攻勢に出てくる事はなく、逆に俺の目の前からその姿を完全に消していた。
(そうかッ)
フロラウスになった時に掛けてた魔術が消失してたか。
イフリートの時と比べて、よりアストラルに近付いたのか、視界も大分良好だし、ノスフェラトゥだけに集中してたから気がつかなかった。
慌てて索敵を唱え直し、まずは晴人の周りを確認した。
「大丈夫っぽい!」
自分の身の事だ、ノスフェラトゥが姿を消した時、俺より余程警戒しただろう。同じく索敵を使った目で、自分の周囲を確認したらしい晴人がうなずいて見せる。
接近している様子はない。魔術戦に切り替えるつもりか。晴人がいる今、魔術戦になってもそう優劣は覆らないだろうから大丈夫だろうが。
それとも、このまま逃げるつもりか――……?
「蒼司!」
「!」
俺が可能性に気がついたのと、ノスフェラトゥを発見した晴人が、そちらに向かって矢を射ったのとは同時。
振り向いた俺の目に入って来た光景も予想通り、かつ最悪なものだった。
ノスフェラトゥは確かに逃げようとしていた。
ただしこのアストラルのどこかへではなく、アッシャーへ。
「く――ッ!」
突き刺さった晴人の矢が、また少し雫を散らす。
俺の全力での接近にも、今度は反応しなかった。アッシャーへ行く事が一番安全だと、知っているのだろうか。
(間に合えッ!!)
後もう一歩――という所で、目の前からノスフェラトゥの姿は掻き消えた。
急に立ち止まる事はできなくて、ノスフェラトゥのいた場所を通過して、数歩たたらを踏んでから立ち止まり、意味もなく振り向いて。
愕然として、力を失った腕を下ろしてその場に立ち尽くす。
(行かれた……)
どうする。相当弱ってはいるはずだから、向こうで何とかなるか?
いや、どうするも何とかなるかも、何とかなるのを期待するしかない。アッシャーに行かれてしまった以上、俺達にできる事など何もない。
「……蒼司」
「逃げられた」
ふわり、と隣に降り立ってきた晴人に、見れば誰でも分かる事実を思わず呟いてしまった。
「……だな。や、でも良くやったよな? 俺が来る時にはもう向こうでの迎撃準備もしてたし、大丈夫だって! 大分消耗してるし、良くやったよ、な?」
必死に慰めてくれる晴人の気持ちはありがたい。でも悪い、自分で分かってる。
多分逃がさないでケリ、付けられた。
余裕が生まれた時、油断した。だから逃がした。
――よりによって、アッシャーに。
「こら」
「っ」
こん、と軽く頭を小突かれ顔を上げると、軽く腰に手を当てて、しかし表情は微笑みながら目の前にあやめが浮かんでいた。
「過ぎた反省も不要よ。頭を切り替えて『次』に備えなさい。ここにいてできる事はもう何もないわ。戻りましょう」
「そうだな。私達も避難しないと」
シルフ探索と合わせて、戦っているうちに結構移動した。おそらくノスフェラトゥの出現する場所も、実践室のど真ん中って訳じゃないだろう。
だが間違いなく近い事は近いはず、あやめと凉の言葉はもっともだ。
「……そうだな。よし、離脱してくれ」
「了解」
三人のA・Fが還って、俺も続いてアストラルから移行する。
アッシャーで意識が戻った――その瞬間に、耳に響いた暴力的な破壊音に、台から勢い良く身を起こす。
「――っ!!」
間断なく、やや離れた所から響いてくるその音に、自分の全身からさっと血が引いて行くのが分かった。
防音・防衝に気を遣われた、この実践室の中にまで外の音が響いてくるのだ。表に出たらどんな光景が待っているのか。
(俺が)
俺が逃がしたから、だ。
起こさずに済ませる事も、きっとできたはずなのに。
「蒼司、逃げるぞ。ここだっていつ攻撃されるか分かんねーし」
「っ、あぁ……」
そうだ、今は俺一人の後悔に皆を付き合わせている場合じゃない。
後悔しているからこそ――せめて今目の前に居る人達とは共に、無事で逃げきらないと。
そう思って立ち上がろうとして、しかし足だけで立とうとした瞬間、がくりとその場にへたりこんだ。力が入らない。
「っ!?」
俺が付いて来なかった事にすぐ気が付いて、扉を潜る前に晴人が引き返して来て、俺の前で屈み込んだ。
「何かでけえ怪我した?」
「いや、してない……はずだ。細かくは結構やられたけど」
「疲労状態からフロラウスになったのが良くなかったのかもしれないわね。動けはするみたいだから、少し休んで様子を見てみましょう」
この場で一番年長の愛希さんが素早くそう判断を下すと、俺の身体をその細い両腕で支えて再び寝台に戻そうとする。
「んっ」
「いや無理無理無理! 晴人、頼む」
鍛えている、とは言ってもA・Fの場合精神面が主だ。女子の腕力で男の体を支えられるか!
「おー」
間延びした声で応じた晴人と愛希さんと、二人掛かりで支えてもらって何とか寝台に再び腰かける。
上体を起こしておくぐらいの力ぐらいはあるようだ。
「……あのな」
「逃げないわよ。先には」
「今更私達にそれを言うのか?」
……そうですね。
ここで逃げる人達なら、ノスフェラトゥと戦っている最中に、無理だと思って素直に逃げてくれただろう。