第七夜-4
☆7
あー、朱兄、寝ちゃった・・・。黄佐は嘆息を飲み込んだ。まぁ、普段早々に寝ちゃう人が、数年ぶりに、半分徹夜で喧嘩してたんだ、仕方ないかな。
その時、玄関のチャイムが鳴った。「お、来たか。」援軍到着! 黄佐は作業を一時中断して、心強い援軍を出迎える―――つもりだったのだが。
「黄佐ちゃーん、ごめんね、こっちも急患だよ!」
黄佐が玄関へ辿り着くより早く、引き戸が開け放たれて、女の子を抱えた佐藤が飛び込んできた。黄佐は驚いて目を見開いた。
「えっ・・・はぁ? 何があった?」
「どうも低血糖症らしい! 砂糖なめさせたらちょっと良くなったっぽいけど、まだ意識が戻ってないから、量が足りなかったかも!」
黄佐は咄嗟に立ち上がり、指示を飛ばした。「居間のソファに寝かせて、毛布を被せておいて。そしたら、こっちの怪我人の方を頼む。向かって左側から処置していって。」
「了解!」
動き出した佐藤を背に、黄佐は階段を猛然と駆け上がった。新たな面倒事の到来に止まりかけた思考を叱咤する。思考回路を塞ぐ邪魔者どもは、切り捨てろ、斬り捨てろ。戦場に私情は要らない。黄佐は意識して“自分”を自分から切り離した。
部屋に飛び込んで、クローゼットの片隅――少々物騒な物を厳重に保管してあるゾーン――から、注射器と小瓶と、その他入り用になりそうなものをまとめて引っ張り出した。こまめに点検して新調しているので、どれも問題なく使える。
反転、部屋から飛び出す。と、隣の部屋から青尉が眠そうな顔を覗かせていた。「・・・どうしたの、黄ぃ兄?」
「あぁ、青尉――ごめん、今ちょっと説明してらんないんだ。あ、でももし動けるようだったら下に来てちょっと手伝って。無理しない範囲で。」
はぁ――という気の抜けた返事を後頭部で聞きつつ、階下にとんぼ返り。最後の2段を一息に飛び降りると、大荷物の所為で転びそうになったが、傾いだ身体を無理やりに持ち上げて事なきを得る。
居間のソファに寝かされている急患。荷物をテーブルの上に置き、入念に手を洗ってから、黄佐は彼女の横に膝をついた。脇で所在なさげに座り込んでいたフードの少年が不安げにこちらを見る。
「大丈夫だよ――」黄佐は手早く準備を進めながら、一瞥もしないで言った。「――今から打つのは、グルカゴン、っていう血糖値を上げるためのお薬だから。ほら、これ見て。」と、小瓶のラベルをフードの鼻先に突き付ける。「大学病院で用意してもらった、ちゃんとしてるやつだからね。身体に害は一切無いって保証する。安心していいよ。」
フードはまだ不安そうだったが、一応納得したようで、前傾姿勢を正した。
黄佐は慎重に注射針を打ち込み、薬剤を注入して針を抜いて、ガーゼを貼って、そしてようやく詰めていた息を吐いた。
「・・・っし。あとは経過を見ようか。たぶんこれで大丈夫だと思うけどね。」安心させるように微笑んで、少年の方を見、黄佐はしれっと尋ねた。「ところで君たちってさ、マッド=コンクェストっていう組織に入ってる子たちだったりする?」
「っ!」
びくりと震えた少年の左胸を指さして、「その胸のエンブレム・・・エム、イコール、シーってさ、こっちの子の服にも付いてるし、そうだよね。マッド=コンクェストさん、で合ってる? うん、だったら丁度良かった。うち今、マッド=グレムリンっていう君らの配下組織の連中を預かってるんだよね。知ってるかな? そいつらの件で君らの上の人とお話ししたいんだ。まぁ追々、ね。あとそれから――」黄佐はニコリと笑った。「――俺の弟についても、じっくり話し合う必要があるみたいだし。」
フードの少年は何か異形のものに向けるような眼差しで黄佐を見た。それを感じつつ、黄佐は一層笑みを深めた。「君も疲れたでしょう。はい、毛布は自由に使っていいから、少し寝てな。」
少年に毛布を押し付け、黄佐は居間から出た。逃げることを心配する必要はないだろう。見たところ相当疲れているようだったし、そのためにわざと名乗らなかったんだ。
徐々に、流れがこちらへ来ている。
確信とともに黄佐は笑った―――それは、血の繋がりを感じさせる凶悪な笑みだった。
「・・・さぁて、反撃の狼煙でも焚いてみようか。」
☆8
階下がうるさい。
いつの間に寝てしまっていたのかは分からないが、青尉は目を覚ました。時計を見ると、午前1時38分を指している。開けっ放しになっていた窓――あれ? 俺、いつ開けたんだっけ・・・――から、冷たい風がするりと入り込んできて、青尉の頬を撫でた。青尉は寝返りを打って天井を仰ぐと、耳を澄ました。
隣の部屋から響いてくる親父のいびき。その向こうから黄ぃ兄の声が聞こえる。内容までは聞き取れなかったが、ひどく真剣な声音であることは窺えた。
―――何があったんだろう。青尉は気になって、そっとベッドから抜け出した。
階段を猛然と駆け上がってくる音がして、隣の部屋が開く。
青尉は自室のドアを少し開けて、顔だけを突き出した。
両手に大量の荷物を抱えた黄佐が、ひどく慌てている雰囲気でありながら、何故か笑顔でそこにいた。
「・・・どうしたの、黄ぃ兄?」
「あぁ、青尉――ごめん、今ちょっと説明してらんないんだ。あ、でももし動けるようだったら下に来てちょっと手伝って。無理しない範囲で。」
と、まくしたて、黄佐は落ちるように階段を下りていった。
―――・・・何があったんだろう。黄ぃ兄があれだけ動いてるってことは、怪我人だな。それも大量にいるみたいだ。こういうの久しぶりだな・・・。―――黄佐が大勢の患者を一気に診るような事態なんて、朱将が高校生だった時以来である。それを思い出して、青尉はふと、思い至った。―――もしかして、朱兄? 朱兄に何かあったのか?
散々喧嘩した後である。それも内容が内容だった。もしも、もしもだ。朱兄がマッド=グレムリンと戦って、怪我でもしてきたのなら―――そう思うと居ても立っても居られなくなって、青尉は部屋を出た。
―――いや、出ようとした、その時。
「っあ!」
キィンッ、と脳を劈くような耳鳴りが彼を襲った。視界がぐっと狭まり、手足の感覚が消失する。堪らず青尉は膝を突いて、床に倒れ臥した。
「っ・・・んだ、これ・・・?」
途轍もなく強い頭痛と吐き気がする。止まない耳鳴りが脳味噌を揺らし、ごく局地的な地震を起こす。全身が微弱な痺れに包まれて、上手く身体を動かせない。重要な知覚の1つを無理やり切り取られたような感覚だった。
―――やばい。やばいやばいやばい。何か知らんけどこれはヤバい! 黄ぃ兄・・・黄ぃ兄に、早く、知らせないと・・・!
朦朧とする頭を抱えて這うように部屋から出ようとする青尉の後ろで、数人の男たちが窓から侵入してきた。当然のごとく青尉は彼らの存在を感知したが、対処するどころか振り返ることすらままならずに歯噛みする。マズイ、これは非常にまずい。
侵入者の内の1人がインカムに向かって何事か話している。
頭痛は少しずつ治まってきていた。吐き気や震えは、もうほとんど無い。――よし、これなら戦える。
青尉は侵入者たちを刺激しないように、ゆっくりと体勢を整え、そっとポケットに指を伸ばした。
シャーシンの蓋を開ける。
「・・・っ?」
―――が、いつものようにシャーシンを操ろうとして、まったく操れる気配がないことに愕然とした。――え? なんだこれ? どういうことだ?――腕があるのは確かなのに、脳が動かし方をすっかり忘れてしまったかのような喪失感。いくらやっても膨らまない風船に、延々と息を吹き込んでいるような空回り感。青尉は咄嗟に――神経が切れた――と思った。腕があっても、電気信号が伝わらなければそれは動かない、というのと同じだと、直感的に悟った。つまり、俺は今、能力が使えない?
別の1人が青尉を取り押さえた。骨折した腕を抱えている身ではろくな抵抗も出来ず、腕を背後に捩じり取られた上に口まで塞がれて、青尉は痛みと悔しさに小さな呻き声を上げる。――くそっ、何が能力者だよ。なんで俺がこんな目に・・・っ。
インカムに向かっていた男が、青尉の方を見て頷いた。それに応じて、青尉の首筋に注射針が刺し込まれた。
暗闇が青尉を塗り潰した。




