二百束の売れ残り
翌朝、野菜は予定より早く届いた。
まだ市場の鐘が一度も鳴っていない。薄暗い店先へ、荷車が三台続けて入ってくる。
「これが二百束だ」
バルガスは眠そうな顔ひとつ見せずに言った。
対する宗久は寝不足だった。昨夜は雨宮と販売方法を考え、店の板壁に貼る説明札を作っているうちに、日付が変わっていた。
「受け入れ前に確認します」
宗久が荷車へ近づくと、青臭さに混じって、かすかな酸っぱいにおいがした。
嫌な予感がする。
上に積まれた野菜をどける。下から出てきた束は葉が黒ずみ、ぬるりとしていた。
「これは売れません」
「売れ残りを渡すと言ったはずだ」
「売れ残りと腐った商品は別です」
バルガスの後ろにいた組合員が鼻で笑った。
「少し黒くなった程度ではないか。刻んで煮れば分からん」
「分からなければ売っていいんですか?」
口に出してから、宗久はまずかったと思った。
案の定、男の顔色が変わる。
隣にいた雨宮が、宗久の靴を軽く踏んだ。
「店長。確認作業を続けましょう」
「……そうしよう」
言い方を選べ、と副店長の目が告げていた。
宗久たちは一束ずつ状態を確認した。リリアのほか、昨日の作業で目に留まった応募者三人にも販売試験を手伝ってもらう。三人には今日も作業手当を出すことにしていた。
片目に傷のある大男はガルド。緑色の肌をした女性はネネ。白ひげの老人はポルカと名乗った。
「これは?」
リリアが葉先の黄色くなった束を持ち上げる。
「外側を二枚取って、茎を見る」
「硬い。におい、変じゃない」
「じゃあ試験用へ。黒く溶けているものは除外だ」
選別が終わるまでに、一時間近くかかった。
販売可能と判断したものは百八十六束。十四束はバルガスにも確認させ、その場で試験の対象から外した。
百八十六束は、組合が示した卸値で店が買い取った。売れ残れば、その分は丸ごと店の損になる。
「目標は百五十束のままでいいんですね」
雨宮が念を押す。
「もちろんだ」
「ずいぶん、こちらに不利な試験ですね」
「嫌ならやめても構わん」
「やります」
宗久が答えると、雨宮は小さくため息をついた。
「店長は、もう少し相談してから返事をする習慣をつけてください」
「善処します」
「しない人の返事ですね、それ」
◇
市場外れの空き区画には、古びた天幕が一つあるだけだった。
人通りは中央市場の半分もない。近くにあるのは革職人の工房と荷運び人の詰所で、観光客や裕福そうな客の姿は見当たらなかった。
「ここで売るのか……」
宗久は辺りを見回した。
場所が悪いとは聞いていない。こちらも確認しなかった。
平台を運んできたガルドが、鼻の頭をかいた。
「組合は、最初から売らせる気ない」
「だろうな」
昨夜用意した販売計画では、買い物客が通ることを前提にしていた。入口で声をかけ、野菜の鮮度を見せ、食べ方を書いた札を渡す。
肝心の客がいなければ、どれも役に立たない。
宗久は計画書を四つに折り、上着のポケットへ押し込んだ。
「とにかく、並べよう」
野菜は昨日と同じ方法で手入れした。傷んだ外葉を取り、切り口を整え、冷たい水を吸わせる。
平台の上に葉先をそろえて並べると、朝には力なく垂れていた葉が少しずつ起き上がった。
ネネが、その様子をじっと見ていた。
「野菜がきれいに見える」
「きれいに見せるのも売場の仕事だからな。ただし、傷みを隠すのは違う」
「難しいね」
「俺も十五年やっているけど、たまに分からなくなるよ」
値札はポルカが木板に彫った。文字の読めない客にも伝わるよう、野菜一束と銅貨三枚の絵を添えてある。
値段は中央市場と同じ。条件どおり、値下げはしていない。
朝の二つ目の鐘とともに販売を始めた。
「朝採れの葉野菜です! 今日のうちにどうぞ!」
リリアの声が通りに響く。
何人かが振り返った。しかし、平台へ近づく者はいない。
見慣れない店。見慣れない服を着た異邦人。市場商人組合の人間が腕を組んで見張っている。
近づきたくない理由なら、いくらでもあった。
一時間で売れたのは、七束。
二時間たって、十九束。
昼前になっても、三十一束だった。
雨宮が数を書き込んだ木札を裏返す。
「残り百五十五束。目標まで、あと百十九束です」
「数字にすると余計きついな」
「数字にしなくても、平台を見れば分かります」
減ったようには見えなかった。
宗久は通りを眺めた。革職人らしい男たちが工房から出てきて、手に持った黒パンをかじっている。荷運び人たちも地面へ座り、パンと干し肉だけで昼食を済ませていた。
客になりそうな人間はいる。それでも買わない。
「リリア。この野菜は、この街ではどうやって食べる?」
「鍋。肉といっしょ。長く煮る」
「昼には食べないのか」
「火、起こす。時間かかる。仕事の日、食べない」
昨夜、食べ方を調べたつもりだった。家庭での調理方法ばかり聞いて、ここを通る人がいつ、どこで食べるかまでは考えていなかった。
「店長、ちょっと」
ネネが手招きした。
天幕の裏で、彼女は葉をちぎって口へ入れた。すぐに顔をしかめる。
「生は苦い。これじゃ売れない」
「昨日、ミーナさんの畑のものは甘かったんだ」
「この野菜、畑が違う。それに大きくなりすぎ。筋も硬い」
宗久も、安全を確認済みの葉を少量かじった。
確かに苦い。昨日の野菜とは別物だった。
「店長?」
「……同じ野菜なら、同じ味だと思ってた」
言いながら、宗久は昨日の聞き取りを思い返した。畑の場所も、収穫した時期も確認していない。
宗久が認めると、リリアが心配そうに耳を伏せた。
「売れない?」
「このままじゃ厳しいな」
日本から調味料を持ち込めば、味は変えられる。けれど、それをリリアの家でまねできるだろうか。
「ネネは、これをおいしく食べる方法を知っているか?」
「知ってる。でも、うちの村の食べ方」
「教えてくれ」
「苦い葉は細く切る。獣脂で焼く。塩と、すっぱい実を少し」
「時間は?」
「すぐ。パン焼くより早い」
宗久は雨宮を見た。
「調理器具、何がありました?」
「実演用のカセットコンロとフライパン。ただし、こちらで使うには榊室長の立ち会いが必要です」
「呼んできてくれますか」
「あの人、今朝は本社で会議です」
「役に立たないな」
「聞こえていますよ」
翻訳具とは別の通信機から、榊の声がした。
◇
榊が門を抜けて到着するまで、四十分かかった。
その間に、ネネが市場で獣脂と酸味のある黄色い実を買ってきた。費用は販売試験の経費として記録する。
「現地食材を加熱する場合、食材情報の採取と、調理者全員の体調確認を――」
「室長、説明は火をつけながらお願いします」
雨宮に急かされ、榊が渋々コンロを点火した。
ネネが野菜を細く刻む。包丁の扱いは宗久よりずっと手慣れていた。
熱したフライパンに獣脂を落とす。
じゅっと音がして、香ばしい匂いが立ち上った。
刻んだ野菜を一気に入れる。鮮やかな緑が油をまとい、しんなりしていく。塩を振り、最後に黄色い実を絞ると、重かった脂の匂いがふっと軽くなった。
「味を見て」
ネネが木皿を差し出した。
宗久は一口だけ食べた。
苦みは残っている。しかし、脂の甘みと酸味が加わると、それが嫌な味ではなくなった。硬かった筋にも歯応えがある。
「うまい」
「だから言った」
ネネは少し得意そうに顎を上げた。
「これを試食にしましょう」
雨宮が言う。
「試食だけ食べて帰る人もいますよ」
「それは日本でも同じだよ」
宗久たちは小さく切ったパンに炒めた野菜をのせ、通りの人へ配った。
最初に足を止めたのは、革職人の若い男だった。
「葉っぱなんかいらん」
「食べてから言って」
ネネが半ば押しつけるように渡す。
男は露骨に嫌そうな顔をしたが、工房の仲間が見ている手前、引っ込みがつかなくなったらしい。口へ放り込み、二度噛んだ。
「……肉は入ってないのか?」
「脂だけ」
「これならパンに合うな」
男が一束買った。
その三枚の銅貨をきっかけに、工房から仲間たちが出てきた。フライパンから立つ匂いにつられ、荷運び人も寄ってくる。
「どう切るんだ?」
「塩はどのくらいだ?」
「黄色い実がないときは?」
質問に答えたのは宗久ではなく、ネネだった。
「細く切る。塩はひとつまみ。黄色い実がなければ、安い果実酢でもいい」
リリアは平台の前で野菜を選び、ガルドは売れた分を奥から補充する。ポルカは木板へ野菜の切り方を絵で彫り始めた。
宗久は釣り銭を間違え、雨宮に無言で直された。
昼の三つ目の鐘が鳴る頃には、売れた数が八十束を超えた。
雨宮はそこで、リリアを天幕の裏へ連れていった。
「ここから三時間、休憩です」
「まだ売る」
「朝の荷受けから働いています。このままでは、一日六時間までという約束を守れません」
「でも、店長たちは働く」
「大人が悪い見本になっているだけです。食事をして、少し眠ってください。夕方に戻ってもらいます」
リリアは何度も売場を振り返りながら、ネネから渡されたパンを持って天幕の奥へ引っ込んだ。
しかし、勢いは長く続かなかった。
工房と詰所の客が買い終えると、また人通りが途切れた。
午後の鐘。百二十三束。
日が傾き始めて、百四十一束。
あと九束。
平台には四十五束残っている。
「人、来ない」
リリアが通りの先をにらむ。尻尾が落ち着きなく左右へ動いていた。
試食用の獣脂も残り少ない。
バルガスは天幕の柱にもたれ、黙ったままこちらを見ている。
宗久は売場を見直した。
野菜はまだ鮮度を保っている。値段も変えていない。食べ方も伝えた。
それでも、ここにいない客には届かない。
「市場の中へ声をかけに行くのは、条件違反ですか?」
宗久がバルガスに尋ねる。
「売る場所はここだ。呼び込みまで禁じてはいない」
「リリア、走れるか?」
「速いよ」
「夕飯の買い物をしている人に伝えてくれ。値引きはない。ここまで来てもらわないと買えない。それでもよければ、と」
「分かった!」
リリアが駆け出した。赤茶色の尻尾が、人混みの向こうへ消える。
十分たっても戻らない。
二十分たっても、客は来なかった。
「何かあったんでしょうか」
雨宮が心配そうに通りを見る。
やがて市場の方角から、騒がしい声が聞こえてきた。
先頭を走ってきたのはリリアだった。その後ろを、買い物籠を提げた女たちが十数人、文句を言いながら追いかけてくる。
「遠いじゃないか!」
「本当に朝と同じ値段なの?」
「すぐ作れる食べ方って何だい!」
リリアは平台へたどり着くと、膝に手をついて息を切らした。
「連れて、きた」
「呼んでくるだけでよかったんだぞ」
「みんな、場所分からない。だから走った」
女たちは野菜を手に取り、葉の張りを確かめ始めた。
「朝から残っていた野菜だろ? どうしてこんなに元気なんだい」
「水を吸わせて、日陰に置きました」
「変な薬は?」
「使っていません。こちらの組合長にも確認してもらっています」
宗久がバルガスへ話を振ると、彼は一瞬だけ嫌そうな顔をした。
「……妙なものを加えた様子はない」
その言葉で警戒が薄れた。
一人が二束を買い、別の女性が一束買った。隣の客が大きな束を先に取ろうとして、ちょっとした言い合いになる。
「押さないでください。野菜はまだあります!」
雨宮の声が飛ぶ。
気づけば、平台の前に短い列ができていた。
百四十七。
百四十八。
百四十九。
雨宮が売上札へ刻みを入れ、手を止めた。
一人の老女が、平台の端に残っていた小ぶりな束を持ち上げる。
「これは銅貨三枚もするのかい。ほかより小さいよ」
宗久は答えに詰まった。
束の大きさをそろえたつもりだったが、選別と補充を繰り返すうちに差が出ていた。
ここで少し足せば売れる。しかし、残っている束を勝手に組み替えれば、すでに買った客に不公平になる。
「おっしゃるとおりです。これは売場から外します」
老女が眉を上げた。
「値段を下げないのかい?」
「今日は値下げできない約束なので」
「融通が利かないねえ」
「今日は、そういう約束なので」
宗久が束を下げようとすると、老女はその手を止めた。
「別に、いらないとは言ってないよ。足りない分は、この太い茎をどう食べるか教えておくれ」
「茎ですか?」
「葉より茎のほうが重い。捨てたら損だろう」
ネネが横から顔を出した。
「薄く切って、先に焼く。甘くなる」
「それなら買うよ」
銅貨三枚が、老女の手からリリアの手へ渡った。
百五十束。
雨宮が刻みを一本加えたところで、日暮れを告げる鐘が鳴った。
誰かが小さく声を上げ、ガルドが大きな拳を突き上げた。リリアは何度も売上札と空になりかけた平台を見比べている。
「売れた?」
「目標は達成だ」
「店、できる?」
「話し合いをしてもらえるだけだ。まだ許可が出たわけじゃない」
「じゃあ、まだ喜ばない」
そう言いながら、リリアの尻尾は激しく揺れていた。
売れたのは、ちょうど百五十束。除外した十四束を別にしても、三十六束が残った。
宗久は、その数字を手帳へ書いた。
「達成したのに、難しい顔ですね」
雨宮が隣からのぞき込む。
「売れ残りをなくすと言って、三十六束残したからな」
「初日で全部売れたら、私は店長を疑います」
「もう少し慰める感じで言えない?」
「十分優しくしたつもりです」
残った野菜はすでに店のものだ。今日手伝った者たちへ、食事補助として分けることになった。
「それ、結局は無料で配るのと同じじゃないですか」
宗久が言うと、雨宮は売上札から目を上げなかった。
「研修中の食事補助です。経理上は別物です」
「本社に通る?」
「通します」
リリアが自分の分を抱えたところで、天幕の端から小さな耳がのぞいた。
リリアと同じ赤茶色の耳だった。継ぎを当てた上着を着た少年が、こちらの様子をうかがっている。
「ノル」
リリアが駆け寄る。少年は姉の腕にある葉野菜を見上げた。
「姉ちゃん、本当に店の人になったの?」
「まだ練習。でも、今日は働いた」
リリアは一番大きな束を弟へ持たせた。ノルの腕から葉がはみ出し、顔が半分隠れる。
「重い」
「落とさないで。今日の夕飯だから」
文句を言いながらも、ノルは束を抱え直した。リリアの尻尾が、その後ろで忙しく揺れている。
宗久は、二人の背中が市場の角を曲がるまで見送った。
売れ残りを減らす。帳簿の上では、それだけの話だ。だが、その葉を待っている食卓がある。
手帳を出しかけて、やめた。書かなくても忘れないと思った。
バルガスは最後まで売場に残っていた。
「約束は守る。明後日の組合会議で、お前たちの試験営業を議題にする」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い。今日の売り方を快く思わない者もいる」
バルガスは、ポルカが彫った調理法の木札を手に取った。
「ただ野菜を並べる店ではない、ということは分かった」
木札を戻し、彼は市場の方角へ歩いていった。
宗久はその背中を見送り、平台の片づけを始めた。
「店長」
雨宮が売上札を持って立っている。
「今日手伝った三人ですが、面接はどうします?」
ガルドは平台を担ぎ、ネネは残った野菜の食べ方を皆に教え、ポルカは曲がった平台の脚を直している。
「もう終わってるだろ」
「では、三人とも?」
「本人たちが条件に納得してくれたら、採用したい」
雨宮はうなずき、手元の紙に三つの丸をつけた。
異世界一号店の従業員は、四人になった。
試験営業まで、あと二十八日。
片づけを終えて店へ戻ると、入口の脇に見知らぬ青年が座っていた。
年は二十歳前後。くすんだ金髪に、赤い上着。膝には、しわだらけになった応募用紙を載せている。
「従業員募集は、ここで合っているか?」
「面接なら明日以降です。名前を確認してもいいですか」
雨宮が応募者名簿を開く。
青年は立ち上がり、周囲に誰もいないことを確かめてから声を落とした。
「ロアン・バルガス」
聞き覚えのある姓に、宗久と雨宮が顔を見合わせる。
「市場商人組合のバルガスさんとは……」
「親父だ」
青年は苦い顔をした。
「あんたたちの店で働きたい。親父には、まだ言わないでくれ」




