売れない異世界野菜
「まず、名前を教えてくれるか」
牛島宗久が尋ねると、獣の耳を持つ少女は緊張した顔で背筋を伸ばした。
「リリア、です」
通じた。
少女の声に少し遅れて、榊室長の胸元から日本語が流れた。さっきも聞いた、平板で妙に明るい声だった。
榊が銀色の板を指でたたく。
「簡易翻訳具だ。現地の魔道具と、こちらの音声解析技術を組み合わせてある」
「最初に説明してください」
「固有名詞や、こちらにない概念には弱い。文字も読めない」
榊は同じ銀色の板を二つ、宗久と雨宮へ渡した。
宗久はリリアに視線を戻した。
「年齢は?」
「十六です」
見た目はせいぜい十二、三歳だった。
宗久がわずかに目を見開くと、リリアの耳がぺたりと伏せた。
「小さい、だめですか?」
「いや、そういう意味じゃない。働くには問題のない年齢なのか確認したかったんだ」
宗久は雨宮を見た。雨宮は資料の「就労可能年齢」という項目を指で押さえて、うなずいた。
「リリアさんは、どうしてこの店で働きたいんですか?」
隣に椅子を置いた雨宮澄香が尋ねた。
雨宮は床に紙を広げ、面接記録を取り始めている。机も椅子もないので、三人とも木箱に腰かけていた。
会社人生で最も簡素な採用面接に違いない。
「銀貨、毎月もらえる。ごはん、買える。弟、食べさせる」
「今までは、どんな仕事を?」
「朝、市場で荷物。昼、掃除。ときどき野菜、売る」
「読み書きはできますか?」
「少しだけ。数字、できます」
リリアは自分の籠から、しなびた葉野菜を一枚取り出した。
「これ、朝は一束、銅貨三枚。今は三束で銅貨二枚。でも、もう売れない」
宗久は葉を受け取った。
見た目は小松菜に近い。葉先は水分を失って丸まり、茎も柔らかくなっている。鼻を近づけると、腐敗臭はなかった。
「今朝、採れたものなんだな?」
「夜明け前。母、村から持ってきた」
「畑から市場まで、どのくらいかかる?」
「荷車で、朝から昼までの半分くらい」
翻訳具の言い回しが怪しかった。雨宮が事前資料と照らし合わせる。
「およそ四時間のようです」
それだけで、朝採れの葉物がここまでしおれるだろうか。
「運ぶとき、野菜は何に入れている?」
「籠。荷車にたくさん積む」
「布をかけたり、水でぬらしたりは?」
リリアは不思議そうに首をかしげた。
質問の意味が分からないらしい。
「店長」
雨宮が小声で呼んだ。
「面接から、青果の聞き取りになっています」
「……悪い。昔の癖が出た」
主任だった頃も、売場で傷んだ野菜を見つけるたび、産地から納品までを順番にたどった。問い詰めるような口調になるのは、その頃からの悪い癖だった。
「最後に一つだけ。リリアは、この野菜を売るとき、客に何と声をかける?」
リリアは困った顔で葉野菜を見た。
「安いよ、買って。今日、食べて」
「傷んでいることは?」
「言う。隠すと、次、買ってくれない」
宗久は雨宮と目を合わせた。雨宮が小さくうなずく。
「リリア」
「はい」
「採用する。ただし、今日すぐ働かせることはできない。賃金や勤務時間、休みの日を決めて、書面にする必要がある」
リリアの耳が勢いよく立った。
「ほんと?」
「本当だ。ただ、店はまだ開いていない。しばらくは研修と開店準備が仕事になる」
「研修?」
「働くための練習だ」
「する。なんでもする!」
「何でもはしなくていい。頼む仕事は、こちらで決める」
リリアはよく分からないという顔をしていた。
「雨宮副店長。雇用条件は今日中に作ろう。現地の相場も確認して」
「分かりました。榊室長にも確認します」
「私は専門外だ」
「本社に持ち帰って確認してください」
雨宮がきっぱり言うと、榊はわずかに目をそらした。
榊が黙って資料を引き寄せた。雨宮は、それを当然のように見届けている。
◇
「市場、こっち」
最初の採用内定者となったリリアの案内で、三人はリーベルの中央市場へ向かった。
榊は店に残り、持ち込んだ通信機器の設置を始めている。
石畳の大通りには、馬車と荷車がひっきりなしに行き交っていた。建物の一階には店が並び、軒先から肉の塊や干した魚、色鮮やかな布がつるされている。
通行人の姿もさまざまだ。
宗久たちと変わらない人間。リリアのように獣の耳を持つ者。青灰色の肌をした大柄な男。腰ほどの背丈しかない、立派なひげの老人。
視線が集まる。
日本人二人の服装は、この街では明らかに浮いていた。
「店長。見られていますね」
「こっちも見ているから、お互いさまだろう」
やがて、広場いっぱいに露店が並ぶ市場へ出た。
宗久の足が止まる。
「これは……」
人は多く、客と店主の値段交渉があちこちで飛び交っている。宗久が想像していたより、ずっと活気があった。
ただ、商品を見ると気になるところも多い。葉野菜は直射日光の下に積み上げられ、果物らしい赤い実は木箱の底でいくつも潰れている。
肉は軒下につるされているだけで、ハエに似た虫が群がっていた。魚売場では、ぬるくなった水の中に川魚が沈んでいる。
「冷やして売る習慣がないのか」
「氷はありますが、高価です」
雨宮が事前資料を確認する。
「夏に使えるのは王侯貴族か、一部の高級料理店だけ。一般家庭では、塩漬けや乾燥が中心のようです」
宗久は青果の露店へ近づいた。
並んでいるのは、リリアが持っていたものと同じ葉野菜だった。
奥には比較的新鮮な束があり、手前にはしなびたものが積まれている。
店主は手前の商品から客に渡していた。
「古いものから売っているんだな」
「悪くなる前に売る。普通」
リリアが答えた。
考え方は日本の売場と同じだった。ただ、古いものと新しいものを一緒に重ねている。下の葉はつぶれ、傷んだ葉が新しい束にも触れていた。
宗久は許可を得て、葉野菜の束を一つ手に取った。
茎の切り口を見て、葉の裏を確認する。
「病気や虫食いは少ない。採れたときは、かなり良い野菜のはずだ」
「それなのに、売場へ来るまでに価値を落としている」
雨宮が言った。
「ああ。冷蔵庫がなくても、日陰へ移すくらいならできる。籠への積み方も変えたい」
「それを農家や市場の人に教えるんですか?」
「いや」
宗久は首を振った。
「昨日来たばかりの人間にやり方を変えろと言われても、俺なら聞かない。自分たちの店で試す」
「試験営業の主力は青果にする」
宗久は決めた。
「日本の商品を並べるだけじゃない。まず、この街の野菜を扱ってみたい」
「日本から持ち込んだ野菜は扱わないんですか?」
「比較用には置く。でも、日本から運ぶものだけで売場を埋めたら、ここの相場も農家も分からないままだ」
雨宮が少し驚いたあと、うなずいた。
「では、最初に必要なのは冷蔵ケースでしょうか」
「冷蔵ケースは欲しい。でも先に平台と日よけだ。霧吹きと、積み重ねないための容器も要る」
「ずいぶん地味ですね」
「売場づくりなんて、だいたい地味だよ」
◇
市場を一周すると、宗久の手帳は文字で埋まった。
葉野菜は昼までに値崩れする。
根菜は日持ちするが、量り売りの基準が店ごとに違う。
果物は高級品で、贈答需要がある。
客は品物を手で触り、店主との値段交渉を楽しむ。
価格を固定し、客自身が商品を選ぶ日本式のスーパーが受け入れられるかは分からない。
「今日は十分だ。いったん店へ戻ろう」
宗久が言ったとき、リリアが急に足を止めた。
耳が伏せ、尻尾が体に巻きついている。
視線の先から、三人の男が近づいてきた。
先頭は、赤い上着を着た恰幅のいい男だった。胸元に、天秤をかたどった金属章をつけている。
「リリア、この方たちは?」
「市場商人組合」
リリアの声が小さくなる。
男は宗久たちの前で足を止めた。
「東門のそばに、新しい商館を構えた異邦人というのは、お前たちか」
翻訳具を通した声は低く、友好的とは言い難かった。
「食品小売店《マルシェフロント異世界一号店》の店長、牛島宗久です」
宗久は名刺を出しかけ、相手が読めないことに気づいて手を止めた。
「半年後の開店に向けて、今日は市場を見せてもらっていました」
「開店?」
男の眉が動いた。
「この街で食料を売る者は、市場商人組合の許しを得なければならない」
「許可が必要なんですね。申請方法を教えていただけますか」
「申請などない」
男は宗久の手帳を見下ろした。
「市場の秩序を乱す異邦人に、商売をする場所はない。あの建物で食料を売ることは認めん」
そのまま、男たちは背を向けた。
人混みが彼らを避けるように割れていく。
雨宮が大きく息を吐いた。
「店長。設備より先に、大きな問題が見つかりましたね」
「そうだな」
宗久は、手帳に新しい項目を書き加えた。
――商人組合との交渉。
商品も従業員も足りない。そのうえ、営業許可までなかった。
「まずは、相手が何を守ろうとしているのか調べよう」
「出店を認めないと言われたのに、ですか?」
「いきなり来て、大きな店を出すと言ったんだ。警戒されるのは当然だろう」
宗久は、しなびた野菜を抱えたリリアを見た。
「あの人たちが何を嫌がっているのか、先に聞かないとな」
市場の鐘が鳴り始めた。
男たちの赤い上着が人混みに消えるまで、リリアの耳は伏せたままだった。
「あの人、怖い?」
宗久が聞くと、リリアは小さくうなずいた。
「市場の商人で、いちばん偉い。怒ると、みんな困る」
思っていたより面倒な相手らしい。宗久は手帳に書いた「商人組合との交渉」の下へ、一本線を引いた。




