一個だけの火蜜の実
サナとメルが、両手で一つの箱を運んできた。
中には火蜜の実が一個。
畑でようやく実った、最初の一個だった。
「日本へ送るなら、これを」とサナ。
「まだ食べていません」と宗久。
「売るために育てた」
メルは姉の横で黙っている。箱から甘く焦げたような香りが漏れ、クウが調理窓から首を伸ばした。
最初に必要なのは輸出の契約ではない。畑の土、実の状態、食べた時の安全を確認することだった。
「半分を検査して、半分を送れないか」と久瀬。
「切った実が門の向こうまで持つか分かりません」と雨宮。
「一個丸ごとなら価値がある」とサナ。
「一個丸ごと送ったら、次の実を育てる種が取れないかもしれません」とメル。
初めて口を開いた妹に、サナが振り向いた。
「昨日は送れって言った」
「姉さんがうれしそうだったから」
「今さら止めるの?」
姉妹の間で箱が揺れた。
宗久は受け取らなかった。店が箱を持てば、どちらかの意見を選んだことになる。
畑へ戻り、落ちた花、枯れた枝、土の温度を確認した。実は一個でも、木には小さな芽が七つ残っている。
サナは日本へ送ることを、畑が戻った証明にしたかった。メルは、この一個を失えば二度と戻らないと思っていた。
「日本で高く売れたら、畑を直せる」とサナ。
「売れなかったら?」とメル。
「また作る」
「次があるか分からない」
その時、クウが木の下へ降りた。実へ近づくのではなく、枯れた枝から残る熱を吸い、冷たい息を土へ吐いた。
七つの芽が、一斉に閉じた。
「枯らした?」
サナがクウを追い払おうとする。ポルカが間へ入った。
「触るな。クウも驚いてる」
夕方になると、閉じた芽は再び開いた。昼の熱から身を守ったらしい。クウの冷気が良いのか、単に日が落ちたからなのかは分からない。
「役に立った」と決めるのは早かった。
宗久は木の半分だけに日よけ布を張り、クウを畑へ常駐させないことにした。魔物の力を生産設備にはしない。
火蜜の実は切らず、一号店の冷蔵棚にも置かなかった。姉妹の家で種を取るまで保管する。
「試験取引に間に合いません」と雨宮。
「候補から外します」と宗久。
サナの顔がこわばった。
「売れないってこと?」
「今は売らないということです」
「同じに聞こえる」
サナは箱を抱えて帰った。メルは宗久へ頭を下げず、姉を追った。
閉店後、店の入口に小さな包みが置かれていた。中には、火蜜の実から自然に落ちた薄い皮が一枚。甘い香りは残っている。
紙にはメルの字で書かれていた。
『実を送らずに、香りだけ調べられますか』
翌朝、ネネが皮を三つに切った。
一つはそのまま。一つは湯へ入れる。一つは弱い火であぶる。
湯からはほとんど香らない。あぶった皮は甘い匂いを出したが、次の瞬間、青い火を上げた。
ガルドが蓋をかぶせる。火は消えたものの、調理台に黒い跡が残った。
「蜜じゃなくて、油に近い」とネネ。
「日本へ香りだけ送るのも危険です」と雨宮。
売らない実から取れた皮さえ、簡単な見本にはならなかった。
サナは焦げた皮を見て肩を落とした。
「何を持ってきても、止められる」
「止めているんじゃない」とメル。
「お前は店の味方をするの?」
「畑をなくしたくないだけ」
メルの声が震えた。サナは返事をせず、黒くなった皮を自分の袋へ入れた。
宗久は発火した温度と時間を記録し、火蜜の実を食べ物として売る前に、皮の扱いも決めることにした。候補から外した判断が、間違いではなかったと分かった。それでも、姉妹を納得させたことにはならない。
一個しかない商品を売らないことで、別の試験が始まった。




