副店長は商品名が読めない
「数字が読めれば、発注はできます」
雨宮はそう言って、二枚の発注書を平台へ並べた。
片方には植物油を十本。もう片方には、灯りに使う獣脂油を十壺。数字と単位は同じだった。
「どちらが食用ですか」
「分かりません」
「できてないじゃないですか」
宗久が答えると、雨宮は眼鏡もかけていないのに、眼鏡の位置を直すように眉間を押した。
試験営業まで五日。昨日、雨宮は市場商人組合へ現地責任者として登録された。問題が起きたとき、宗久が日本側へ戻っていても店を止められる立場だ。
その責任者が、現地の商品名を読めない。
「翻訳具を通せば会話はできます。発注するときはロアンに読んでもらえば――」
「毎回ロアンがいるとは限らない」
「リリアもいます」
「リリアは文字を少ししか読めない」
本人は倉庫の入口で何度もうなずいている。
「私、少し読める。油は分かるよ」
「どっちが食べる油だ?」
「そこまでは分からない」
「ほら」
宗久が言うと、リリアの耳が伏せた。
「責めてない。分からないまま注文するのが危ないって話だ」
雨宮は二枚の発注書を見比べた。
「数字の管理は私の担当です」
「だから、文字も全部覚えるつもりですか」
「必要なら」
「五日で?」
「……必要な商品名だけなら」
負けず嫌いなのは知っていた。できないと言うくらいなら、徹夜を選ぶ人でもある。
宗久は発注書を一枚ずつ裏返した。
「読める人を増やしましょう」
「私が覚える話では?」
「雨宮さんだけが読めるようになったら、雨宮さんが休めない店になる」
現地商品の名前を紙へ書く役はロアン。品物の絵を描く役はリリア。日本語の商品コードと数量を書く役は雨宮。宗久は間違いやすい物を並べて、確認項目を決めた。
食用の植物油には、フライパンの絵。
灯り用の獣脂油には、炎の絵。
商品名だけでなく、絵と番号でも見分けられるようにする。
「絵なら任せて」
リリアが胸を張り、二枚の札へ素早く線を引いた。
片方には、丸い鍋から大きな炎が上がっている。
「これは?」
「食べる油」
「火事に見える」
もう片方は、ランプの上に魚らしき物が浮かんでいた。
「これは灯り用?」
「違う。お魚を焼いてる」
「どっちも食用じゃないか」
ロアンが札を取り上げた。
「絵は俺が描く」
「ロアン、馬しか描けないでしょ」
「荷馬車も描ける」
「車輪が三つだった」
「見えない側にもう一つある」
結局、ポルカを呼んだ。
木工職人の老人は、事情を聞くと二枚の札へ迷いなく絵を彫った。食用油は鍋へ一滴落ちる絵。灯り用は、芯へ火がついたランプの絵だった。
「初めからポルカさんに頼めばよかったですね」と雨宮。
「みんなで失敗したから、ポルカさんの絵が正しいって分かったんです」
「前向きに言い換えましたね」
「店長の仕事です」
商品番号は、現地語の読めない雨宮と、日本語の読めないロアンが同じ物を指せるようにつけた。青果は一〇一から。油や調味料は二〇一から。日本の商品は三〇一から。
番号をつけ終えると、宗久は商品札を伏せて平台へ並べた。
「確認試験をします」
「誰の?」とリリア。
「全員の」
宗久が番号を読み、指名された者が正しい商品を持ってくる。最初は一〇一、ミーナの葉野菜。リリアは迷わず取った。二〇一の食用油は雨宮。札を一度確認したが、正しく持ってきた。
「三〇四」
ロアンが乾麺の袋を取る。
「それは三〇三です」と雨宮。
「三〇四は魚の缶詰だ」と宗久。
「数字は合ってた」
「最後だけです」
「四と三は似てる」
「似ていません」
日本式の数字を読めても、手書きの癖が違えば見間違える。雨宮の四は上が開き、宗久の四は閉じていた。現地では四を一本の曲線で書く。
「書き方を一つにそろえましょう」
数字の見本を会計台と発注机へ貼った。ゼロには斜線を入れ、六と九は下線で見分ける。数量の後ろには、必ず本、袋、箱、壺の絵をつける。
次は重さだった。
現地では、一石、一握り、一袋という単位が使われる。同じ一袋でも、野菜と粉では重さが違った。
「一袋の植物油って何本ですか」
「油は袋に入れない」とロアン。
「単位表には一袋とあります」
「油商人の一袋は、空瓶を入れる袋だ」
「中身ではなく容器の数?」
「そうだ」
雨宮は額を押さえた。
「単位まで商品ごとに意味が違うんですか」
「市場では普通だぞ」
「普通が一番危ないな」
宗久は日本から持ち込んだ台秤を平台へ置いた。現地の分銅も隣へ置き、白根一本、葉野菜一束、油一壺を実際に量る。
発注書には現地単位と日本の重量を併記することにした。受け取るときも同じ秤で確認する。
秤の横には、量り終えた商品を置く場所も作った。確認前と確認後が混ざれば、同じ箱を二度数える。床へ白線を引き、届いた品は線の外、確認済みは内側へ置くことにした。
「農家が別の秤を使ったら?」とロアン。
「店へ納品した時点で一緒に量る。差があれば、その場で話す」
「細かすぎて嫌われるぞ」
「最初に決めず、支払いのときに揉める方が嫌われるよ」
グレンとの契約書が書き換えられたばかりだ。ロアンもそれ以上は反対しなかった。
雨宮は植物油の札を持ち上げた。
「二〇一。食用。十本」
ロアンが発注書を確認する。
「合ってる」
「発注します」
「待って」とリリア。
三人が振り向く。
「十本じゃなくて、十壺って書いてあるよ」
雨宮が札と発注書を見比べた。単位の横に、小さな壺の印がある。
「危なかった……」
「十壺だと、どのくらい届く?」
「一壺に二十本分」とロアン。
「二百本か」
試験営業で扱う予定は十本。注文していたら、油だけで倉庫が埋まるところだった。
雨宮は発注書を破らず、赤い線を二本引いた。その横に、間違えた理由を書き込む。
「捨てないんですか」
「失敗した紙の方が、次の確認に使えます」
新しい手順は三つになった。
発注者が商品番号、商品名、数量、単位を声に出す。もう一人が商品札と照らす。最後に現地語を読める者が署名する。
「雨宮さんがいない日は?」
「店長が日本語側を確認します」
「二人ともいない日は?」
「発注しません」
ロアンが不満そうに眉を寄せた。
「俺だけじゃ信用できないのか」
「信用とは別です。間違えた人と、確認する人を分けたいんです」
「雨宮さんも間違えたもんな」
「ええ。だから作りました」
雨宮があっさり認めると、ロアンはそれ以上言えなくなった。
昼過ぎには、試験営業で扱う十八品すべてに商品番号と絵札がついた。
雨宮は現地文字の練習帳を開き、食用油の名前を何度も書いている。見本と比べると、最後の一文字だけが反対を向いていた。
リリアが隣へ座った。
「そこ、逆」
「分かっています」
「三回、逆だよ」
「分かっていませんでした。教えてください」
雨宮は練習帳をリリアの方へ向けた。
リリアは少し驚いてから、正しい文字を大きく書いた。
「これが食べる油。こっちは灯り」
「よく似ていますね」
「上の角が違う。食べる方はお皿みたい」
「なるほど」
二人が肩を並べているのを見て、宗久は発注書を束ねた。
読めないことより、読めないまま一人で処理する方が危ない。雨宮が人に教わると決めたなら、この店は少し強くなる。
そのとき、外からガルドの太い声が響いた。
「店長! 日本から、でかい荷物が来たぞ!」
全員で外へ出る。
門から運ばれてきた木枠は、店の入口より大きかった。
布を外すと、色鮮やかな看板が現れた。
王冠をかぶった野菜が笑い、その周りを無数の電球が囲んでいる。
宗久は本社から届いた設置指示書を読んだ。
「これを、正面の壁へつけろ?」




