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異世界スーパーマーケット一号店、本日開店します!  作者: 黒咲かぐら


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10/10

敵でも保証人になれる

「うちのインクだ。それで、私が契約書を書き換えたことになるのか?」


 ヴァルドは偽造された契約書を一目見ただけで認めた。


 香辛料店の帳場には、同じ匂いが満ちている。乾いた唐辛子、潰した種、甘い樹皮。その奥に、わずかに金属を焦がしたような臭いが混じっていた。


 帳場のインク壺には、赤みを帯びた黒い液が入っている。灯りへ近づけると、金色の粒が光った。


「一致しています」と雨宮。


「当然だ。私の店で作らせている」


「ほかでは売っていないと聞きました」


「店では売っていない」


 ヴァルドは右手を上げた。三つの赤い指輪が並ぶ。


「だが、納品書を書く商人には配っている。倉庫番にも、荷運び人にもだ。虫が紙を食わんのでな」


「何人に?」


「先月だけで四十人ほど」


 証拠としては弱すぎた。


 契約書が置かれていた部屋に鍵はない。店員だけでなく、納品に来た人間も裏口から入れる。ヴァルドのインクを持つ者が四十人。本人が命じた証拠は一つもない。


「私を組合へ突き出すか?」


「この紙だけでは無理です」


「分かっているなら、なぜ来た」


「確認のためです」


「何を」


 宗久は帳場の端に積まれた袋を見た。塩、胡椒に似た黒い粒、乾燥させた葉。どの袋にも産地と重さが書かれ、口は色紐で封じられている。


「あなたが、雑な商人かどうかを」


 ヴァルドの眉が動いた。


「喧嘩を売りに来たなら、もっと分かりやすく言え」


「偽造を頼むなら、四十人が持っているインクは使わせないでしょう。契約書の紐も、もっと似た物を用意する」


「私が間抜けではないから無実だと?」


「無実とは言ってません」


 雨宮が宗久の横で小さく息を吐いた。止めるか迷っている顔だった。


 ヴァルドは椅子の背へ寄りかかった。


「疑いながら、何を確認しに来た」


「保証人になってください」


 奥で袋を運んでいた店員が、胡椒の袋を落とした。


 床に黒い粒が散る。


「店長」


 雨宮が日本語で呼んだ。


「聞いてません」


「今、思いつきました」


「それを先に言わないでください」


「どっちを?」


「両方です」


 ヴァルドには日本語が分からない。それでも、雨宮の顔を見れば相談済みでないことは伝わったらしい。


「異邦人は、敵に保証を頼むのか」


「信用されていないから頼みます」


「意味が分からん」


「店が仕入れ代金を払わない。食べ物で事故を起こす。何も言わず日本へ帰る。あなたは、そのどれも見逃さないでしょう」


「当然だ」


「私たちに甘い人より、保証人に向いています」


 ヴァルドは指輪の一つを親指で回した。


「保証人は、問題が起きれば金を払う」


「だから、条件を決めてください。店の金の動きを確認できるようにします」


「帳簿を見せるのか」


「仕入れ額、売上、廃棄、未払い。現地で動く分は見せます。日本側の原価や社員の給与は会社の情報なので、勝手には出せません」


「都合の悪い数字は、異邦の文字に隠せる」


「現地語の帳簿も作ります」


「二つの帳簿が違えば?」


「営業を止めて、組合へ報告します」


「口約束だ」


「契約にします」


 宗久が答えるたび、ヴァルドの質問は細かくなった。


 未払いが起きた場合、何日待つのか。食中毒が疑われたとき、誰が商品を止めるのか。門が閉じて日本へ連絡できない場合、現地責任者は誰になるのか。閉店するとき、売れ残った現地商品と棚、冷蔵箱をどうするのか。


 答えられないものは、雨宮が「持ち帰ります」と言った。


 その言葉に、ヴァルドが机を指でたたく。


「持ち帰っている暇はない。保証人の期限は明後日だろう」


「本社へ確認できるのは、今日一度です」


「なら、今日中に決めろ」


 敵なのか、手伝っているのか分からない。


 雨宮が手帳へ線を引いた。


「撤退時の資産を担保にします。現地で購入した棚、荷車、冷蔵箱、未販売の商品。それらを売却し、未払い代金の支払いへ優先して充てる」


「日本から持ち込んだ物は」


「本社の所有です。勝手には約束できません」


「そこを持って帰れば、現地には何も残らん」


 ヴァルドの言う通りだった。


 宗久は、店にある物を思い浮かべた。棚、手押し籠、照明、冷蔵設備。日本から運んだ物が多い。


「撤退するときは、仕入れ代金と従業員の賃金を先に払う。それでも不足する場合は、日本側の備品を上限額まで現地へ譲渡する。本社に認めてもらいます」


「認めなければ?」


「店を開けません」


 横から紙をめくっていた雨宮の手が止まった。


「今の条件、本社が断る可能性はあります」


「あります」


「試験営業がなくなりますよ」


「未払いのまま帰れる契約で始めたら、もっと悪いです」


 雨宮は宗久を見たあと、手帳に条件を書き込んだ。


「では、上限額を決めます。全部という書き方では稟議が通りません」


「お願いします」


 ヴァルドが短く笑った。


「夫婦で芝居をしているようだな」


「してません」


 二人の返事が重なった。


 雨宮が一度だけ宗久をにらみ、何事もなかったように計算を続けた。


 本社から返事が来たのは、門が閉じる一刻前だった。


 条件付きで承認。


 保証の上限は、現地仕入れ予定額の三十日分。未払いの代金と賃金を優先し、不足時には日本から持ち込んだ備品の一部を譲渡する。保証人は週に一度、現地帳簿を確認できる。


 宗久は返答を現地語へ直して読み上げた。


「ヴァルドさん。これで、どうですか」


「足りん」


「どこが」


「食中毒が出たとき、週に一度では遅い。疑いがあれば、私はその日の帳簿と仕入れ記録を見られるようにしろ」


「分かりました」


「勝手に商品を安くしない。値下げは前日までに組合へ届ける」


「それは仮許可の条件にもあります」


「契約にも書け」


 条件を足すたび、紙が一枚増えた。


 最後に、ヴァルドが胸元から商人章を外した。赤い石を埋め込んだ、四角い金属板だった。


「勘違いするな。私は、お前を信用したわけではない」


「分かっています」


「失敗するなら、小さいうちに止める。そのための保証人だ」


「それで十分です」


 保証契約の上に、宗久の指印とヴァルドの商人章が並んだ。


 雨宮は契約書を三部に分け、今度は店で買った緑の紐を通した。結び目へ印をつけ、読み上げた文を別紙にも残す。


「昨日の今日で、ずいぶん念入りになったな」とヴァルド。


「昨日と同じなら、また書き換えられますから」


「誰に?」


「それを調べる権利も、保証人に入れておきますか」


 宗久が聞くと、ヴァルドは返事をしなかった。


 五日目の夕刻。


 三軒の農家との契約書。輸入品四品の説明書。ヴァルドの保証契約。


 宗久たちは、そのすべてを市場商人組合の会議室へ並べた。


 バルガスは一枚ずつ読み、農家の印と保証人の章を確かめた。最後に、五日前には押されなかった巨大な印章を持ち上げる。


 赤い印が、出店許可証の中央へ落ちた。


「異世界一号店の試験営業を許可する」


 リリアが跳び上がり、ロアンが拳を握った。雨宮はすぐに許可証の記載条件を読み始めた。


「喜ばないんですか」


「日付と店名を確認してからです」


「合ってます?」


「合っています」


 そこでようやく、雨宮の口元が少しだけ緩んだ。


 許可が下りてからの十六日間は、店を開けるための作業で消えた。


 床を直し、棚を組み、農家と納品時刻を決める。輸入品の説明をリリアに読んでもらい、子どもでも分かる絵を足した。ヴァルドは約束通り帳簿を見に来て、初日から数字の並びへ三つ文句をつけた。


 試験営業まで、残り五日。


 その朝、組合から雨宮を現地責任者として登録する書類と、現地商品の発注書が届いた。


「現地責任者は、副店長の私ですか」


 宗久が辞令を読む隣で、雨宮は発注書を裏返した。


「店長。この二行、どちらが油ですか」


「雨宮さん、現地文字を読めないんですか」


「数字は読めます」


「商品名は?」


「読めません」


 試験営業まで、あと五日。


 現地側の責任者に登録された副店長は、発注書の商品名を一つも読めなかった。


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