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28.裸の王様



「それぐらいにしなさいって。いじめ過ぎたらかわいそうでしょう」



近衛先生は佐野君と大西先輩をたしなめるが、口調はどこまでも軽いものだった。

そして彼女はこちらに向き直る。



「食べられたのよ。あなたの周囲で消えた人たちはみんな、栗原カナメや同種の捕食者に」



いつも通りの優しい声のトーンで、近衛先生はわたしに告げた。



「……信じられないかもしれないが、本当なんだ」



かすれるような小さな声は草野君だ。



「嘘でしょ。だったらどうして、みんなは気付かないんですか」


「気付かないのじゃなくて、気付きたくないのよ。身近で誰かが食べられるたびにそれを認めることを本能が拒絶して、人間は脳が勝手に自分自身に暗示をかけてしまっているの」



近衛先生が自らのこめかみを軽く小突く。



「自分たちを捕食するものがいるって知らないでいる限り、人間という種族は地球の支配者でいられるのだから当然よね。知らぬが仏とはよく言ったものよ」


「でも、友達とか、恋人とか……。親や兄弟がある日突然いなくなって、それを何とも思わないなんて、そんなの……」



おかしいと、最後まで言えなかった。


おかしいはずの状況を、今日までにわたしは何度経験した?



「親、兄弟、友人、恋人——。個々にとっては重要な繋がりかもしれないけど、人間という生物全体からしたらそんなものは取るに足らないものでしょう」



彼女は容赦なく、わたしの最後のあがきを、いとも簡単に破っていく。



「誰かが消えても自然と代わりは出てくるわ。特別な情を抱いたモノがいなくなっても、最初からいなかったことになれば悲しみようがないのよ」



——代わり。


三谷さんがいなくなった後、女子グループの中心が大塚さんになったように?



「見ざる言わざる聞かざる。君子危うきに近づかず。触らぬ神に祟りなし。臭いものには蓋をして——。人間はね、昔からずっとそうやって生きてきたのよ」


「……でも、みなさんの言ってることはやっぱりおかしいです。わたしはカナメと3年以上友達でいたんですよ。わたしのことを食べようとしていたなら、どうしてもっと早く襲おうとしなかったんですか」



機会はいくらでもあったはずだ。

中学からずっと、わたしにはカナメしかいなかったのだから。


こんな事実、認めるわけにはいかない。

とにかく彼らの話でつじつまの合わない点はないかと模索する。


納得なんて、できるわけがなかった。


そんなわたしに、近衛先生が優しく告げる。



「今のあなた、必死に矛盾を指摘して、なんとか不安を取り除こうともがいているようにしか見えないわよ。……いいわね、その様。すごくわたしの好みだわ」



恍惚とした表情に鳥肌が立った。親切心から丁寧に説明しているわけじゃない。

この人はわたしが慌てる姿を楽しんでいるだけだ。



「栗原カナメと同種のやつらの食に対する嗜好は詳しく知らないが、ひとつだけはっきりしていることはある。わかる(・・・)やつはあいつらにとって極上の味がするらしい」



つまらなそうに佐野君が近衛先生の話を引き継ぐ。



「旨いものはたくさん食べたい。子供よりも肉体が成長した大人のほうが食べる部位は多くなる。だからお前はストレスのかからない環境を与えられ、手ずから大事に育てられていたんだろ」


「育てられるって……馬鹿にしてるの!?」



わたしの激高が理解できないとばかりに、近衛先生は心底不思議そうに首をかしげた。



「……あら、人間だって高級な家畜はお金と時間を費やして、手間ひま惜しまず大切に育てるでしょう? 同じことよ」



胃が痛い。

これが冗談だというならたちが悪すぎるし、真実ならばなおさら笑えない。


……でも、これがもし、本当に、事実だったとするならば。



「……わたしは、間違ってなかったということですか。この目で見てきたものは、みんな本当に存在していて、写真とか、わたしの記憶とかは全部間違ってないって、あなたたちはそう言いたいんですよね?」


「現実としては間違ってないかもしれないけど、人間としての築山さんは大間違いな存在よ。裸の王様という童話をご存じかしら?」


「……あらすじぐらいなら」



確か、機織り職人と称した詐欺師に騙されて、愚か者には見えない服というのを着ることになった王様の話だ。

詐欺師が仕立てあげたと言って見せるそぶりをした服を——実際そこには何も存在していないというのに——王様を始め城の者たちは褒め称えた。


みんな、自身がおろか者だと周囲に知られるのが怖かったからだ。


王様はありもしない服を着て、城下のパレードへと赴くことになる。

そこで、子どもの「王様は裸だ」という叫び声きっかけに、あまたの民衆から真実を知らされるのだ。


自分の見えているものは間違っていなくて、自身は本当に服を着ていないのだ——と。



「あの童話で、王様が本当のことを知って羞恥に見舞われたのは、城下というお城でない別の世界があったからよ。お話を現実に置き換えるとしたら、お城が表すものは地球。城の外なんて、この世にありはしないの」



異質なものはどこに行っても異質であって、逃げ場などないのだと遠回しに知らしめているのだろう。それぐらいはわかるよ。


この人たちの言うことを信じるなら、カナメはずっとわたしを騙していたのだ。

人間じゃないから、人間を食べる者だから、カナメは彼らに捕らえられたのか。



「カナメには、もう会えないのでしょうか」



いきなりキスされた挙句こんなことを聞かされて、顔を合わせにくいのは確かだ。

だけどわたしにとって、カナメと一緒に過ごした年月はとても大きなものであったし、このまま一生会うことができないというのはやっぱり嫌だ。


それにわたしは、まだこの人たちの話を鵜呑みにしたわけじゃない。



「マリちゃんさあ。君、俺らのことどんなふうに思ってんの?」



密かに反抗心を芽生えさせるわたしをみて、大西先輩が呆れる。



「どんなって……」



ここにいる人たちの話が本当なのだとしたら、きっと、彼らは人間を捕食するモノを狩る者たちで……。

人類を主食とする生物が地球に存在するなんて人々に知れ渡ったら、それこそパニックは必至。


人間には同種と捕食者を見分けるすべがないなら、なおさらに。

だから彼らはいずこからの密命を受けて、秘密裏に捕食者を捕えているのじゃないのか——?



「はっ、いかにも人間らしい考えだ」



そうじゃないのかと聞いてみれば、佐野君に鼻で笑われた。



「食物連鎖のてっぺんにいるはずだった自分たちの上に、自らを食らうものがいて、生態系のピラミッドの頂点はそれで終わりか? これだから人間は安直なうえに傲慢なんだ」



嘲り笑いながら告げられた言葉を飲み込むまでに時間がかかった。

佐野君の声が何度も頭の中でで繰り返され、そしてひらめくようにひとつの答えにたどり着く。


この人たちが、ある日突然学校に来たにも関わらず、まるで以前からそこで生活しているようにごく自然と周囲に紛れ込めたのはなぜだ。


人間という生き物自体を見下す態度。

馬鹿にするような物言い。


それらは単にわたしが無知だから下手に見ているってだけじゃないとしたら——。


全身を悪寒が走る。「人間は——」って、佐野君は言ったのだ。



「……あなた、たちは……」



手に力が入り、布越しに爪が手のひらに食い込む。顎が震えるのを止められない。



「カナメ、は……、……カナメ……を、どうしたんですか……?」



大西先輩が目を細めた。

近衛先生がククッと喉の奥で楽しげに笑う。

手を口元にやった佐野君は親指の腹をひと舐めし、満足そうに笑みを深くする。



「——まあ味は悪くなかったな」



こみ上げたのは、本日何度目かも忘れてしまった強烈な吐き気。



「おい!」



胃液が食道を通り口全体に酸っぱい味が広がる。

とっさにベッドから降りて水場に行こうとしたけれど、駄目だった。

床に足をつくも体に力が入らず、その場にうずくまりわたしは口の中のものを吐き出した。


草野君が焦りながらも背中をさすってくれている。

服越しに伝わる手のぬくもりに涙がにじんだ。

あの3人と草野君の違いは何だ。


草野君は……人間、なんだよね?


怯えながら床にはいつくばるわたしの姿に、大西先輩は満足そうに息をはいた。



「さて、大人しくなったところで、これからこいつどうするよ? マキエは今んところ間に合ってるからなあ」



その言葉を受け、わたしの背中にあった草野君の手が急に止まった。



「ストックはあってもいんじゃないかしら?」


「いざというときに使うなら身元不明の記憶喪失者として病院にぶち込んでおけば充分だろ。従順じゃないやつは傍にいらない」



近衛先生と佐野君がそれぞれに意見を述べる。主題はどうやらわたしの処遇についてらしいけど……。


ちょっと待ってよ。



「何勝手に人の未来を決めようとしてるんですか。わたしは家に帰りますよ」



壁にかかった時計が17時30分を示していることには驚いた。夕方とか、どれだけ長い時間気を失ってたんだ。

窓の外はまだ明るいけど、空はうっすらと赤く染まり始めている。


今日はもう家に帰って休みたかった。



「……無理だ」



背中からぬくもりが消える。

後ろを見上げると悲痛な面持ちで草野君がわたしに首を振った。



「あいつ、栗原カナメの口付けを受けたんだよな」


「……それが何よ」



その時の光景が頭の中でよみがえり、恥ずかしくなって顔に熱が戻る。

唇を微かに震わせた彼は眉間にしわを寄せ苦しそうな表情で、だけどはっきりとわたしに告げる。



「だったら、もう戻れない。口付けを受けた瞬間、あいつの餌となって、お前の存在は世界から消えた」


「…………は?」



いやいやおかしいから。

現にわたしはここにいる。この高校の制服を着て、ここにちゃんと存在しているよ。



「あれが儀式であり、合図なんだ。もうお前はここの学生でも、誰の子どもでもない、社会から矛盾した人間になってしまったんだ。……家には、帰れない」


「それ、信じろって言われて信じられると思ってるの?」


「嘘だと思うなら職員室で顔見知りの教師で確認してみろ。教室の机、体育館の靴入れを一度見てこい。家に帰ろうとするのはそれからでもいいはずだ」



まくし立ててくる草野君に心の中で首をかしげる。

何をそんなに焦っているのだ。



「頼む。自分から親に拒絶されに行くようなまね、するなよ」



力なくしゃがみこんだ草野君は、短い前髪かきむしってうなだれる。

この部屋の中で、彼だけはわたしのことを本気で心配してくれてるんだって、他人事のように思った。


だけど、それとこれとは別問題だ。



「わたしは帰るよ」



驚き眼を見開く草野君に背を向けて、ゆっくりと立ち上がる。

面白そうにわたしたちを静観していた3人に、意を決して言葉を投げつけた。



「わたしにとって裸の王様の住んでいるお城は、この保健室です。外へ出て家に帰って、自分の目で確かめるまで納得できるわけがありません」



ターゲットを外界と連絡をとれない環境に置くのは、洗脳の常套手段だと前にテレビでやっていた。

ここにいる人じゃない誰かの話を聞くまで、真実はまだわからない。



……わからないって、思ってもいいよね?



「だったとしても、家族に会うのは止めろって! 他に確かめるすべはいくらでもあるだろう!!」


「行かせてやれよ。それで気が済むなら構わないだろう」



焦る草野君を遮って佐野君が静かに言った。



「ちょっと待てよ!」


「そんなに心配ならカズナリも一緒に行ってやればいいだろう。現実を知ったところで同じ境遇のやつがそばにいれば、絶望も幾分かましになるだろうに。お前らふたりで行ってこいよ」



食って掛かろうと立ち上がった草野君が急に言葉を詰まらせる。



「ああ、引率者なしのお使いは怖くてできないか」



佐野君がせせら笑う。

馬鹿にされたというのに、草野君は文句ひとつこぼさず唇をかみしめるだけだった。

やがて投げやりな態度で力なく首を振り、彼は口を開く。



「……わかった。行けばいいんだろ」


「ちょっと、だからそっちで話を進めて結論を出さないでくださいって。わたしはひとりで帰れますし、もうあなたたちに関わるつもりはもありません」


「そんな宣言いらないよ。こっちは君がどこで傷ついて泣こうが知ったことじゃないし、万が一奇跡が起きて家の人が君を覚えていたとしても、俺たちはそれについてとやかく言うつもりはない」



ただ——、と佐野君が続て口を開く。



「数年ぶりに再会したカズナリと君をふたりきりにしてやろうっていう、俺の親切心ぐらいは素直に受け止めるべきかとは思うけどね」



佐野君の言葉を受けて、わたしと草野君は顔を見合わせた。

まじまじと見つめ合ってしまい、とてつもない気恥かしさにさらされどちらともなく目をそらす。



「そうだった。これを渡しておかないと」



普段の人当たりのいい仮面をかぶった佐野君がズボンのポケットに手を入れた。

取り出されたのはエンジ色のカバーがついた薄くて四角い——生徒手帳だ。



「……それ、誰の?」


「築山さんのだよ。前にたまたま拾ったんだけど、タイミングがなくて返すのをすっかり忘れてたよ」



ごめんごめんと、軽い口調があまりにも白々しい。

ひとまずわたしのならさっさと返してもらおう。

手帳を掴むために出された手は、佐野君が自らの手を引いたことによって空を切る。



「ねえ、ここに挟んである写真の人たちって、築山さんの家族?」


「……だったら何よ」



怒りをこらえると、低く唸るような声が出た。


見られた。こんな人に、わたしの宝物を。



「別に」



佐野君はわたしの怒りなどに全く興味を示さず一言。

そしてにやりと笑い、この男は人好きのする仮面をはぎ取る。



「……ただ、偽りを甘受しながらそれでも真実にすがりつこうとする君の姿は、呆れを通り越して憐れみすら感じてしまうなぁ……と」



頭に血が上る。

佐野君がどんな生き物であって、わたしの立場がどうとか、そんなことに気を回す余裕はなかった。


むしり取るように彼の手から生徒手帳を奪う。

今度はフェイントもなく、あっさりとわたしの手へと戻された。


胸元で手帳を握りしめ、佐野君を睨んだ。

「気を付けて」と手を振りながら穏やかに言われ、こちらも負けじと平静を装い「さようなら」と吐き捨て保健室を後にした。二度とあの顔は見たくない。





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