勝利条件
「――いいよ、出なよ。お母さんっしょ?」
「あ……う、うん。そうだね」
くそっ、やっぱりかよ。
「はい、紗花です。うん……どうしたの、お母さん」
あたしは紗花に背を向け、ちょっと間合いを離そうとした。
できれば聞きたくなかったし――紗花だって聞かせたくもないはずだ。
「え? う、うん。そうだけど……えっ!?」
ただならぬ声に思わず振り向く。紗花は怯えたようにこちらをうかがっていた。
「いや、でも――待って、ちょっと待ってよ。そんな、いきなり」
『――、――!! ――!』
なにを言っているかまではわからないが、あたしにまで声が届くのだ。通話相手は相当な大声を出しているのだろう。続く数十秒、紗花はただ黙っていた。
「……はい。はい、わかりました。わかったけど、でも」
『――!? ――、――!』
「待って……待ってよ! だから、ちょっと待ってて!!」
通話を保留にし、紗花はあたしをおずおずと見る。
なんだ? めっちゃ弱った顔してやがるぞ。
「あ……あのね、大村。その……うちのお母さんが大村と話したいって言ってるんだけど……」
「――あたしと?」
「う、うん。あの、突然だし……嫌ならいいよ? てか、嫌に決まってるよね。ごめん」
気まずさを取り繕うように紗花は笑った。
「いきなり親と話せとか引くよねー! 大丈夫だからやっぱなしでね、あははは!」
「いや、別にいいよ」
「わたしから説明し――えっ?]
きょとんとして紗花はあたしを見返す。
「あの……大村?」
「お母さん、あたしと話したいんだろ?」
「そうだけど……い、いいの……?」
「ああ、いいよ」
あたしは手を差し出す。
だが紗花はスマホを隠すように胸に抱いた。
「や、やめた方がいいよ! ううん……やめて欲しい」
「なんでだよ?」
「……お母さん、大村のこと怒ってるの」
ふん。どーせ娘に悪影響を与えるなとかそんな話だろ。んな、あたしの知ったことじゃねー。
「そっか。ま、別にいいし」
「だっ、だって!! わたしが……嫌だよ……」
当然だろう。母親が友達を叱りつけるところなんて、誰だって見たくない。ましてあたしがいつもの調子で噛みつき返そうものなら、確実にもめ事になる。そうなれば紗花は身の置き所がなくなってしまう。
「心配すんなって。あたしなりにちゃんと話してみっから」
「……」
「なんだよ、信用できねーか?」
「本当にいいの……? 大村は……」
「平気だよ。まかせなよ」
勝利条件は明確だ。あたしはあたしが恋する少女を守る。母親をやっつける必要はない。紗花を守る。他のことはどうでもいい。そう思うことで腹が据わった。できることはなんだってしてやる!
あたしは紗花からスマホを受け取った。
「あ、そうだ。お母さんの名前は?」
「……香里だけど……?」
「おっけー。んじゃ、見とけよ!」
にやっと笑い、あたしは通話の保留を解除した。バイトで鍛えたよそいき杏奈のご登場だぜ。
「お電話替わりました、お待たせしてすみません」
『あなたが大村さん? あなたね、以前友達だったからってうちの娘に――』
「はいっ、大村杏奈です! お久しぶりです、香里おば様っ!」
『――えっ!?』
奇襲成功。後方ががら空きだよ、おば様。特に誰かを攻撃しようとしている時は警戒しないとダメっしょ。あたしの豹変ぶりに紗花も意表を突かれ、ぽかんとしている。
「大村です。大村杏奈。小学校の頃、何度かおば様にご挨拶しましたよね?」
『そ、そう? まあ、そうだったかしら……?』
してねーよ。小学2年だぞ、仲良しでもない子の親とかほとんど接点ねーだろ。
「あっ、思い出して頂けました?」
『ええ、その……』
「よかったー、とっても懐かしいですー! 紗花さんが転校した後、あたしもうさみしくて。おば様はお元気にすごされてましたか?」
『え、ええ。まあ……』
「そうですか。きっと今でもお綺麗なんでしょうね。だって紗花さんのお母様ですもの!」
もしかしたら父親がめっちゃイケメンなのかもだが、この際事実はどうでもいい。あたしは言葉を尽くしておば様と紗花を交互に褒めちぎった。まあ紗花が綺麗でかわいくて賢くて世界一素晴らしい女の子なのは最高に当然なので、褒めるのは簡単だ。
『あの……あなたね、その』
「そうそう、そういえば紗花さんって――」
あたしはひたすら喋りまくった。主導権は渡さない。迫るも引くもこっちがコントロールするのだ。すっかり翻弄されているのか香里おば様は短い相槌を返すばかりだったが、次第に口調が軟化してきた。
「――それもきっとぜんぶお母様の育て方がよかったからですよね。うらやましいなぁ!」
『あなた……いえ、大村さんは本当にそう思うの……?』
「はい、もちろんです!」
あたしは力を込めて断言した。いやマジでうらやましいんだが。紗花のような子を育てる幸運に恵まれたんだからね、おば様は。自分で台無しにしているけど。
『驚いたわ、そんな風に言ってもらえるなんて……』
「紗花さんを見ていればおば様がどんな方なのか、ちゃんとわかりますよ。本当に!」
『まあ嬉しいわ、ありがとう!』
軽く声を弾ませた後、おば様は言いよどむ。
『でも……きっとあの子には伝わってないのでしょうね……』
「どうかなさいました?」
『私はあの子のためを思っているのよ。私のしていることはぜんぶあの子のためなの。確かに少し厳しいかも知れないけれど、でもそれは――』
「紗花さんのことがご心配だから。ですよね?」
『ええ。ええ、そう! そうなのよ、大村さん! まあ……本当にわかってくださってるのね!』
ああ、わかってるって。おば様がそういうつもりであることはね。
でもそのせいで紗花が――紗花は窒息しかけているんだ。助けがいるんだ、いますぐに!
だから――そうか。それじゃ、あたしは――そうだ。
そういうことなのだ。
「――紗花さんは香里おば様が好きです。大切に思っています」
『いいえ……私といるとあの子は』
「だって、おば様を悪く言った人を紗花さんはすごく怒ってましたよ」
悪く言ったのはあたしだがな。けれど事情を知らないおば様は心を動かされたようだ。
『そんな……あの子が私のために!? 本当なの?』
「はい、本当ですよ。しかも相手はけっこうガラが悪くて」
『まあ!』
「それでも毅然と対応していました。おば様が紗花さんには大切な人だからです。あたし、近くで見ていましたから間違いありません」
『あの子が……私を。……そうなの』
「おば様。あたし達はまだ子供で危なっかしいところもあると思いますが」
特に紗花はね。トラブルを引き寄せるようなところがあるからな、あいつ。
「でもなるべく自分で判断して行動するようにしないと、大人になれません」
『ええ。それはわかるけど……』
「紗花さん、本当に困った時はおば様に相談してくれると思います。ですから、おば様も紗花さんをもう少し信用してあげてくださいませんか?」
『……そう。そうね、大村さんがそう言うのなら……』
「ありがとうございます! 実はあと一つだけお願いがあります」
狙いは良好。あたしはとどめの一撃を放つ。
「あたしもう一度紗花さんの友達になりたいんです。もし香里おば様が許してくれたら、ですが」




