わかりきったこと
すすけた街角を静謐に包まれた特別な空間に変えてしまう、美貌の少女。
それがあたしの待ち合わせ相手だった。
「よっ、紗花」
「大村さ……お、大村」
恥ずかしそうに言い直す様が大変に愛らしく、あたしは身もだえを必死に堪えた。ネカフェの薄暗い照明より、明るい日差しの方が紗花にはふさわしい。
(てか、かわいい。はい、かわいい。本日も紗花は圧倒的にかわいいーっ!!)
恐らくだけど、紗花は押しに弱いタイプだ。もうちょっと仲良くなれさえすれば、チャンスはある。自分がこの娘にふさわしいか? なんてことは考えないことにする。それは紗花が決めることだ。
あたしはとっておきのキメ顔で微笑む。
「譲司からメッセで連絡あったろ?」
「うん。『片付いた』ってだけ」
紗花は苦笑している。あの野郎、スマホ越しでも口下手なのかよ。
「ま、こないだの連中があの辺うろつくことはもうないよ。もし出くわしても、向こうから逃げ出すようにしといたから」
「どうやって……って聞かない方がいい?」
「かもな」
「まあ、その、とにかくありがとう。譲司くんにもちゃんとお礼を言いたかったんだけど……」
「気にしなくていいよ。縄張りシメんのは脳筋の習い性だから――」
周囲の連中があたし達をちら見している。かなり目立ってしまっているようだ。確かにあたしみたいのと紗花の取り合わせは異色ではあるだろう。下手すると紗花一人の時より声をかけやすいかもしれない。また誰かに絡まれたら面倒だ。
「大村?」
「あー、なんでもねーよ。とりあえずマッグでも行くか」
本当はマンションに連れ込みたいとこだけど、急いては事をし損じる。
ところが紗花は首を振った。
「ごめん――お店とかは、ちょっと」
「ああ……時間ないのか。なんか用事でもあった?」
落胆は顔に出さないようにしたつもりだが、紗花はますます表情を曇らせた。
「ううん、違くて。あのね……お金がないっていうか……使えなくてさ」
なんとも微妙な言い回しだ。
それきり紗花は口をつぐみ、もじもじしている。単なる金欠ならいくらでもおごってやる。しかしあたしはぴんと来た。来てしまった。
「――お母さんになにか言われた?」
むしろほっとしたように紗花はうなずき、
「こないだ帰りが遅くなったじゃない? お母さんには図書館に行くって言ってあったから」
「なにをしていたのか聞かれたのか」
「……実はあの時、本当に図書館には行ったんだよ。ネカフェの前にね」
「へ? マジか」
「うん。一冊くらい借りてこないと疑われるじゃない? だから」
だからじゃねーよ。そんな入念な偽装工作が必要なのかよ、おまえの日常は。
「それで図書館の帰りに昔の友達と偶然再会して、マッグでお喋りしてたって説明したんだよ」
紗花は嘘はついてない。省略していることが沢山あるだけだ。
「そしたらそんなジャンクフードを買い食いさせる為にお小遣いをあげているわけじゃない! って怒られてさ」
「……そっか」
「今後はどこでなにを買ったか、レシートを渡して報告しなさい。あまったお小遣いは月末に返しなさいって」
唖然となってしまった。
なんだそりゃ!? 五歳児のお使いじゃねーんだぞ! 娘を信用しないにもほどがあるだろ、馬鹿かおまえの母親はっ!! ――と、言いそうになるのを必死で我慢する。
「もともとわたしが学トラ買ってたの、気に入らなかったみたいで。だからせめて他の漫画とかは買わないようにしてたんだけどね」
「……おまえ、ジャンソーマンも読んでいるんだろ?」
「あれはWeb連載だからさ、最新話とかはスマホでタダで読めるんだよ。でも掲載から時間が経つと読めなくなっちゃうから」
それでしつこく読み返して忘れないようにする癖がついたらしい。
こんな馬鹿馬鹿しい話もそうないだろう。文字通りの笑い話だ。
だけど、あたしは少しも笑う気になれなかった。
「電子書籍の漫画は?」
「もちろんそれも考えたけど、お母さんに時々スマホもチェックされるからさ。危ない橋は渡れないな、って。もしスマホまで取り上げられたら、めっちゃ困るじゃん」
あははは、と笑ってみせる紗花。
「だからもう譲司くんのアドレスも消すね。ごめんだけど、気を悪くしないように伝えてもらえないかな」
「……ああ、わかったよ」
「マッグであんな怒るんだもん、ネカフェとかあり得ないよね。もう行けないよ。お金の問題だけじゃなくてさ。もしまたなにかトラブルでもあって、結果お母さんに知られたら……大変なことになるから」
「大変って、まさか」
「違うよ。暴力とかじゃない。逆っていうか……怒るのを通り越すとね、泣くの。ウチのお母さん」
「マジかよ……ガンガン叱られるより嫌だろ、それ」
「だから、それくらいだったら漫画とか買い食いとかネカフェとか、どうでもいいじゃん?」
「おまえはそれで」
馬鹿、なにを聞こうとしてんだよ。
いいわけがない。それでいいわけがないのだ。
わかりきったことじゃないか。
「仕方ないよ」
「……」
「仕方ない、でしょ。親の言うことだもん」
薄く笑う紗花にあたしは「キツイな、それ」と返してやるのが精一杯だった。母親を責めることでこの娘を傷付けたくない。もうこりごりだ。ありきたりな正論を吐いたってなんの解決にもならない。
「ごめんね、変な話聞かせちゃって。色々ありがとう、大村さん。わたし帰るから――」
今回も止める言葉は出なかった。
代わりにあたしは紗花を引き寄せ、小さな身体を抱き締めていた。
「――へっ!? あ、あの、ちょ……大村?」
「いいから」
「で、でも……」
「いいんだよ」
「み、みんなからめっちゃ見られてますが?」
「いいよ」
「は……恥ずかしいんだけど……」
「いいだろ」
「いや、ええ……?」
「いいの」
「うー……」
「いいよな?」
「……うん。いいかな。いいことにするよ……」
背筋から力が抜け、紗花はあたしの胸に顔を埋めた。
別にキスしているわけじゃない。ちょっと人通りの多いところで、ハグしているだけだ。仲の良いJK同士なら稀によくあることだ。そういうことにしておこう。
「はぅぅ……おっぱい柔らかい……」
しっかり堪能してやがるし。
ほんの少しそうした後、あたし達はそっと身体を離した。視線が合ったとたん、二人とも笑い出してしまう。
「ふっ、あははは!」
「えへへへ! もうー、なんだよ急に。びっくりすんだろー!」
「ハグしやすいんだわ、おまえ。ちっこいから」
「ヘビの捕食かよ。いきなりぱっくりいかないでよ、ぱっくり」
「おまえもいいって言ってたっしょ」
マッグの時と違って死ぬほど照れくさい。紗花もまだ頬を赤らめている。
でも、これはきっと必要なことだった。
「てかありがと。いやー癒やされたわ、実際」
「そりゃよかった」
「めっちゃ気持ちいいから感動したよ。ヤバいね、人をダメにするおっぱいだね!」
「依存性あるみたいな言い方やめろ」
「いやいや、マジあるって! あんた、自分じゃ――」
言いかけた時、紗花のスマホが震えた。
メッセージの着信ではない。通話の呼び出しだった。




