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後編

 それから少し間をあけて、びっくりするような噂が流れだした。

 なんと、私とお兄様が恋仲だというのだ。

 どうもこの間の二人での相談事が発端のようだが、誰も来ない空き教室でキスを交わしていただとか、根も葉もない話である。しかし私とお兄様が義理の兄妹である事は貴族であるなら知っているから、その微妙な距離感が余計に噂を掻き立てるらしい。

 そしてとうとう、その噂は殿下を動かした。殿下に空き教室に連れて来られたのだ。今の状況で真剣な顔をされれば、話の内容なんて想像がつく。

「殿下、私とお兄様は別に、噂のような事は」

「マリエル」

 私の言葉を、柔らかく拒絶する殿下に、私はぱちぱちと瞬く。その声の硬質さは、今まで聞いた事がなかった。

「殿下?」

「アルベルトから、話は聞いた」

「えっ?!」

 お兄様は一体、どこまで殿下に話したのか。いや、この噂の元凶はお兄様だと分かっていたけれど、自分とできてるから婚約破棄しようぜっていうのは、良い作戦とは言えない。これでは侯爵家が王家との婚約を蹴った事になってしまう。そうなれば、メレバー侯爵家に大打撃が入るのは火を見るより明らかだ。

 私だってできるならこちらから婚約破棄したいが、正当な理由がなければ王家との婚約を破棄するのは難しい。だから手間がかかるけれども、殿下を別の女性とくっつけようとしているのだ。王家側から婚約破棄を言ってくれるように、と。

「殿下、お兄様は一体……」

「マリエル、お前は俺と婚約破棄したいそうだな」

 あ、結構ストレートに伝えてらっしゃるのですねー。

 いつもだったらお前という言葉にかみつく所だが、今はパクパクと、酸素を求める魚のように口を動かす事しかできない。

「否定しない、のだな」

「っ!」

「何故だ、貴族令嬢にとって、王妃は誉れだろう。王妃教育だって、熱心にしていたじゃないか。そんなに……俺よりもアルベルトが良い、のか?」

「それは……」

 馬鹿正直にリリーとくっついてくれると萌えると言う訳にもいかないし、王妃になるのは面倒だから嫌だとは、散々殿下に将来王様になるんだからと説教垂れてきたきた私には言えない。

 いっそお兄様が好きってことにしちゃう? お兄様もその理由でいいよって意味で、あんな噂流したのだろうし。

 グルグル悩んでいる間に、静かに扉が開けられる。おい殿下、鍵かけようよ……と思ったけど、結婚前の男女が密室で二人きりは不味いか。お兄様の時は気にしてなかったけど、よく考えたらお兄様駄目じゃん。いや、噂を流すつもりだったからいいのか……え、お兄様どんだけ先を見越しているの。

 新たに入ってきたのは、その先を見過ぎているお兄様である。メレバー家にやって来たころは半顔を覆っていたライムグリーンの髪は、今ではさっぱりと切り落とされ、その麗しの顔面が晒されている。王子と並び立つと一枚の絵画のような空気が流れる。

「殿下、そんなに理由が必要ですか? 単に、貴方がマリーに嫌われている、とは思わないのです?」

 開口一番のキツイ言葉に、思わず私も殿下も口ぱくぱくのお魚状態に陥る。

「それに、殿下とマリーの婚約破棄は、とっくに決まっているのですよ、たとえ貴方がどう思っていようとも」

「えっ? お兄様、それはどういう事ですの?」

 確かに私は婚約破棄を狙って動いているが、お兄様の口調はあまりに断定すぎる。そう、それこそ本当にすでに婚約破棄が確定しているような……。

「マリー、殿下にはすでに婚約破棄の話は伝わっているんだ。ただ、殿下が中々承諾してくれないばかりに、未だに公にされてはいないが」

「い、いつの間に!? どうやって?!」

「前に、国に熱病が流行った事を覚えているかな? それを解決した恩賞に、陛下が一つ望みを叶えてくれるというので、君と殿下の婚約破棄を願ったんだ」

「えっ……えぇぇぇぇぇ?!」

 熱病といえば、三年前の事で間違いないだろう。そしてその時、私はお兄様に婚約破棄計画を伝えたのだが、まさかそんな!

「流石に陛下は渋られたけれど、熱病の特効薬にどうしても必要なオレンフェはスカーレット領でしか採れないから、スカーレット家と王家を繋ぐ為には、マリーよりもリリー嬢が適役だと説明したら、ご納得いただけたよ」

「待って待ってお兄様! 新事実が多すぎて頭がパンクします!」

 特効薬ってオレンフェなの?! リリーとの婚約話進んでたの?! 何それ美味しい展開!!

「それは、あくまで父上達が決めた事だ」

「陛下が決めた事に、逆らうっていうのかい? それに、政略結婚なのはマリーもリリー嬢も変わらないだろう? マリーとの婚約は納得するのに、リリー嬢は駄目っていうのはおかしいよね?」

「…………それは」

「幸いな事に、リリー嬢はマリーと同じ、淑女教育とは名ばかりの王妃教育を受けている。マリーとの婚約を破棄したら、これ以上ないってぐらいに適役は彼女しかいないだろう。オレンフェの件は、増産の目途が立つまでは公表は控えている。まだ少ないのに発表してしまったら、価値が吊り上がりすぎてしまうからね。だからマリー、今聞いた事は内緒、ね?」

 最後にぱちんと、普通の令嬢が見たら雄叫びをあげて卒倒しそうなウィンクを投げてよこしたお兄様に、私はただただぽかんと間抜けに口を開けるしかない。お兄様、すごすぎない……? チートか? チートなのか?

「じゃあ、今回の噂は……」

「優柔不断な殿下へ、こちらが泥被ってあげるから早く婚約破棄しろよ、という圧力ですよ」

 やだな言わせないで下さいよ、とお兄様は照れたように笑った。この場で笑えるお兄様、ほんと、流石です……。

 殿下もお兄様との付き合いは長い。というか、私と同じぐらいにはお互い顔を合わせているだろう。私が殿下を小姑の如くいびり倒した後に、殿下はお兄様に愚痴っていたようだし……って、もしかして殿下の好感度の高さ、お兄様がフォローしてたの? そうなの? ちょっとお兄様、それ逆効果です。

「……わかった」

「で、殿下?」

 笑顔のお兄様とは対照的な、神妙な顔つきの殿下。見覚えのないその表情に、私は知らずごくりと唾を飲み込む。

「マリエルとの婚約破棄を、認める。元々父上が恩賞としてお認めになっていたんだ、今回の一件は後に響かないようにさせる。細かい調整はアルフレッド、君がやれ」

「えぇ? 僕は正直、侯爵なんて面倒くさいから捨ててしまいたいんだけどなぁ」

「それは絶対に許さない。将来こき使ってやる」

「むしろ嬉しい事になりそうだけど?」

 お兄様は、三度の飯より薬学事典が好きな人だ。メレバー家の主な仕事といえば、医療技術の発展。お兄様は放っておけば、薬草片手にキャッキャウフフと没頭し続けるに違いない。殿下もそんなお兄様が想像できたのか、こめかみに手を当てて沈黙する。

「殿下……本当によろしいのですか?」

 ヤケを起こしているようにも思えて、後からやっぱやーめた、と言われるのも困るので一応確認してみる。殿下はジト目で私を見た。

「見くびるな、マリエル。私に二言は無い。そう教えたのは、君じゃないか」

「まぁ、そうですけど……」

「それに、マリエルも婚約破棄を願っているのだろう」

「まぁ、そうですけど……」

「よく考えてみれば、君のような人間を妻にしたところで、私は一生気が休まらない」

「否定はいたしません」

「普通は否定するものだ。まぁいい」

 そこで殿下は、その見事なプラチナブロンドの髪をかき上げて、ニヤリと意地悪く笑った。

「君をいつか、逃がした魚の大きさに気づいて後悔させてやる」

 その時の顔はなるほどメインヒーローだな、と思わせる程度には心に突き刺さった。それでも私は殿下とリリーが一緒にいる方が滾るな、と今のところは思うので、後悔する日は暫く来そうにありません、殿下。


      *


 それから暫く後、私と殿下の婚約は解消された。

 流石に婚約破棄してすぐ次、というのはいかがなものかという事で、リリーとの婚約は発表されなかったが、これももうすでに確定事項なのだろう。

 私はといえば、表向き婚約破棄に傷ついて、という理由で引きこもっている。実際はお兄様の撒いた噂と婚約破棄によって、学園に居にくくなったのだ。殿下が火消ししてくれたとはいえ、この事についてお兄様に抗議したところ、

「マリーが表にでなくても済むようにしようと思って」

 と、全く悪びれずに言われたらぐうの音も出ない。



 自室でメレバー領の税収計算をしていると、控えめなノック音が聞こえる。入室を許可すれば、侍女がお兄様の来訪を伝えてくるので、仕事を切り上げてお兄様を迎える。

「仕事の邪魔をしてしまったかな?」

「いえ、丁度切り上げようと思っていたところだったので、気にしないで下さいませ」

 侍女に紅茶の準備を頼み、お兄様にソファを進めその向かい側に腰かける。お兄様はちらりと自分の隣に目を移してから、やれやれといつもの顔をする。意味する所は分かっているが、私にはハードル高すぎます。

「殿下とリリー嬢の件だけれど、概ねマリーの希望通りの形に納まりそうだよ」

「本当ですか?!」

「元々あの二人は、マリーの見立て通り相性は悪くないみたいだからね」

 自分の表情が緩んでいるのが分かる。お兄様がクスクスと笑っているのだから、よっぱどひどい顔面状況なのも想像つくが、未来の萌えを想像すると表情筋に力が入らないので許してほしい。

「それと、君と僕の婚約も近いうちに発表されるだろう」

「うっ……」

 緩み切った表情が、一瞬でこわばる。

 そう、殿下との婚約破棄はうまくいった。だが、新たな婚約が私の前に立ちはだかった。

「その反応は、ちょっと傷つくなぁ」

「ご、ごめんなさいお兄様。まさか、お兄様とそういう関係になるとは、オレンフェ一個分も考えていなかったので……」

 考えてみれば、貴族令嬢でいる限り、いずれは結婚しなければいけないし、恋愛結婚なんて夢のようなもの。それを考えれば、むしろお兄様との婚約は考えられる選択肢の中で一番最適解に思える。思えるのだが……。

「そう? 僕は五年ぐらい前から考えていたけど」

「えぇッ?!」

「そんなに驚く事かな? 父上だって、言っていただろう? マリーと殿下の婚約は早まった、って。だから僕は三年前、熱病を解決した時に陛下から恩賞の話と君から婚約破棄を望んでいる話を聞いた時に、父上に将来君を妻にするつもりだと相談していたけれど」

「えぇぇぇ?!」

 淑女としてあるまじきはしたなさで驚く私を、お兄様は微笑ましそうに見てくる。それからゆったりとソファから立ち上がり、私の隣に座ると腰に手をまわして引き寄せられる。

「お、お兄様……」

「あぁ、結婚してしまったらそう呼ばれなくなるのか。それも少し寂しいね」

 額にキスを一つ。それだけで私の顔は真っ赤に茹で上がる。

「君の事を幸せにする。殿下との婚約破棄を、後悔させないぐらいに」

「……私が婚約破棄を、後悔する事はありませんわ」

 そう言うと、至近距離にあるお兄様の麗しくも色気ある顔が嬉しそうに笑い、柔らかなその眼差しに私はバクバクと、全身を揺さぶるような心臓の音がお兄様に聞こえないように押さえる。殿下とリリーのトゥルーエンドスチルとは違う胸の高鳴りに、頭の中はショート寸前である。

 無事に殿下との婚約破棄が叶ってからは、お兄様はまるで今まで堪えていたものをぶちまけるように、こう、全力で私を甘やかしにかかってくる。そして言葉も出ずにパクパク魚状態に陥る私を、楽し気に見てくるのだから絶対にドエスの血が流れている。

「マリー?」

 心の中で思っていた事が顔に出ていたのかと思う程、お兄様の眼が、いつの間にかギラリと悪戯な光を纏っている。後ろに引きたくとも腰に回された腕が、私をその場に押しとどめる。お兄様が隣に来た時点で、私に逃げ場はないのだ。

「殿下から逃げられても、僕からは逃げられないから覚悟してね?」

 思えば、この世界から転生してこの方、私は侯爵令嬢として何ら覚悟を持って挑まなかった。前世知識を使って逃げ回り、殿下との婚約からも逃げおおせた。

「……はい」


 しかしここが、年貢の納め時なようです。

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