第九十一話 出会い
富裕層の寄付によって建てられた貧困層にも優しい慈善病院。それが表向きのその病院の姿だった。診察費は他の町の病院に比べて格段に安く、加えてそこの医師たちは皆、一流の腕の持ち主たち。だが、なんといっても特筆すべきはその病院が「電気」を活用していることだろう。
電気は発見から十年経った未だに謎が多く、それを何かに活用しようとする者は少ない。だが、この病院の創設者はその数少ない者の一人で、莫大な資金をつぎ込み、発電機と電気を活用した医療器具を開発してしまった。そのため、その病院は他とは比べ物にならないくらいの医療設備が整い、格安の診察費も相まって、治療を求める人々が大和中から集まる結果となった。
一見すると仁徳にあふれた人物の美談だが、その裏にはなんともドロドロとした欲にまみれた事情が隠れている。
「神童計画」、大和の各地に伝わる超人の伝承に陶酔した創設者がそれを人工的に作り出すために行っている実験の総称だ。彼は実験の副産物である不老の技術を餌に世の富裕層に出資を持ちかけ、研究資金を得ている。富裕層としても表向きは慈善病院への出資ということで世間一般への受けもよく、さらに不老の技術が手に入るとあって挙って出資を申し出てきた。
実験に使われるのは老若男女問わず、おもに貧困層の人間たち。貧困層の人間なら突然いなくなっても誰も気に留めることは無く、少しの報酬をちらつかせれば、簡単に実験台になってくれる。彼らには新薬の被検体という名目で声をかけるが、帰ってくる者はいない。皆、実験の副作用で死ぬか、廃人になってしまうか、だからだ。
そんな地獄のような場所に一人の少年がいた。
貧乏な家に生まれた彼は、生まれてから五年間、親の愛情というものに触れずに育ってきた。三人兄弟の末っ子だった彼は、来る日も来る日もまるで存在していないかのような扱いを受け、五歳の冬、ついに彼の両親は食いぶちを減らすために彼を奴隷商へと売り渡した。
奴隷商は彼を見知らぬ土地へと連れていき、そこにある施設に彼を置いてどこかへ去ってしまった。そこがあの病院だったのだ。
もともと家族への愛情など皆無だった彼は別段と悲しいと感じることもなく、むしろ自分を確かにそこに存在しているモノとして扱う病院の人々に最初は好意を抱いていた。
だが、数日が経ち、結局ここの人間たちも自分を「被検体」という道具としてしか見ていないことに気付き、自分という存在を認めない彼らへの好意も消えて行った。しかし、毎日毎日何かの薬を投与され、さまざまなデータを取られる生活は、彼の中では自分が確かにそこにいるという扱いを受けることのできる貴いものだった。
彼がその才能を開花させたのは病院に来てから一ヶ月ほど経ってからのことだった。その日はいつもと違った色の注射をされた。彼自身は特に何も自分の体に異変を感じなかったのだが、データを取っていた研究者の一人が驚きの声を上げた。
「おい、見てみろこの数値!すごいぞ!今までこんなに高い適合値を出した個体はいなかった!」
そう言って仲間にそのデータを見せて回ると、見る人間見る人間全てが驚きの声を上げてそのデータに見入っていた。
その日から、彼、個体番号十八番は特別な存在という意味を込めて、Ωと呼ばれるようになった。
Ωのように実験台としてこの病院に来た者たちは一般の病棟とは別の場所で生活を送ることになる。
だが、Ωはその能力の高さから、さらに高位の経過観察が必要とされ、その一環として他の個体とのコミュニケーションを図るために一般病棟へと生活の場を移された。
Ωは表向きは重度の症状の病気を複数患っており、個室の病室での生活を余儀なくされているということになった。
彼に着いた看護師はまだ若い女性で、彼が今まで接してきた研究者とは違う、この病院の真の姿を知らない普通の医療スタッフだ。この病院にはそういったスタッフが何人かおり、彼らはこの病院で何人もの命が助かっていると信じて疑っていない。
「はじめまして、統也くん。今日からあなたの面倒を見ることになった彩華です」
この病室にいる間は仮の名前として統也と名乗ることになったΩに、彩華と名乗った看護師は丁寧に挨拶をする。だが、今までまともに他人とのコミュニケーションを取ったことのないΩはどう返して良いのか分らない。彼はただ黙って彩華の顔を見ることしかできなかった。
「う~ん、もしかして緊張してるのかな?それとも、体のことが心配?大丈夫。絶対に治るから。一緒に頑張ろう!」
彩華はΩの両手に手を伸ばすと、それを彼女の両手で優しく包み込んだ。それでも、やはりどうして良いのか分らず呆然とするしかなかったΩだったが、不思議と心地よい感覚に包まれていた。
それからΩと彩華との闘病生活という名の実験が始まった。




