第三十四話 猫のかく乱
「うう~、ここは?」
刹那が目を覚ますと、そこは昨日泊まった宿屋のベッドの上だった。昨日酒を一気に飲んだところまでは覚えている。その後、自分はどうなってしまったのだろうか?そういえば、いつものあの黒い姿が見当たらない。
「お~い、円~?」
返事が返ってこない。どこかに出かけてしまったのだろうか。
「円~、いないのか?」
「う~、う~」
「なんだッ?」
どこからか呻き声のようなものが聞こえてくる。これは……トイレからか?
「円ッ?」
「う~、う~」
刹那がトイレに駆け込むと、そこには便器の中を覗き込むようにしてもたれかかっている円の姿があった。
「円!大丈夫かッ?」
刹那が円に駆け寄り肩に手をかけると円が気だるそうに振り返った。
その眼は垂れさがり、いつもの気丈な円とは大違いだ。
「刹那……」
「円!どうしたんだ!大丈夫かッ?」
「……すな……」
声が小さくよく聞き取れない。そこまで重症なのだろうか。
「なんだ?はっきり言え!」
くそ、いったい何があったんだ?
「揺らすな……今にも出そうだ」
「は?」
「うっ」
円は急に顔を前後に動かすと、直ぐ様便器に振りかえった。そして、
「ウェェェ、ゲェェ~~~~」
そのまますごい勢いで胃の中のものを吐き出した。
「うわっキタねっ」
見てみると、便器の中は凄まじいことになっている。これはもしや……
「円、もしかして二日酔いか?」
「あぁ、どうやらそのようだ」
円が力なく答える。本当に体調が悪そうだ。そういえば刹那が記憶を無くす前、円はかなり酔っぱらっているようだった。もしや、あの後も飲み続けたのだろうか。
「そうか、二日酔いか……」
「どうやら飲み過ぎてしまったようだ」
円が弱弱しい声を出しながら振り返った。刹那はその顔を見て下を俯いてしまう。
「どうした、刹那?」
「い、いや、何でもない……」
刹那は小刻みに震えている。今の感情を円に気取られるわけにはいかない。
「大丈夫か?」
「――ぷっ、もうダメだ!我慢できねぇ!あっはっはははははは」
「刹那、何を笑っている?」
「ひ~、だって、お前、くくく、猫のくせに二日酔いって?いや、ふふふ、今までも猫らしくねぇとは思ってたけどよ、二日酔いまでするなんて、お前、おっさんかよ?」
刹那は腹を抱えて笑っていた。いつも偉そうにしている円が二日酔いで倒れている。これは鬼のかく乱とでも言うべきか。
「あ~、ひひひ、は、腹痛ぇ~」
「おい刹那、お前、燃やされたいのか?」
円が体の力を振り絞って刹那に凄む。しかし、刹那は
「お?そんなこと言っていいのかな?ほれっほれっ」
刹那は円が動けないことを良いことに体を持って左右に揺らし始めた。
「わっ、馬鹿、止めろ!揺ら――うっ」
体が揺れたことで再び吐き気が来たのか、円は再び便器に顔を突っ込むような形で胃の中のものを戻し始めた。
「ひぃひぃ、あ~、笑った笑った。その調子じゃ、今日はどこにも出られそうにないな。俺、ちょっと散歩してくるからさ、留守番してろよ円。あんまりウロチョロしちゃダメだぞ?」
「言われなくても、うっぷ、そのつもりうぇっぷ、だ。それより、覚えてろよ、刹那」
「はいはい、じゃあ行ってきま~す」
刹那は円に別れを告げて、部屋を出た。先ほどの円の顔を思い出すとまた笑いがこみ上げてくる。
そんなに焼けた顔のまま階段を降りると、一階では従業員の女の子が床にモップ掛けをしている所だった。彼女は刹那に気が付くとそばへと駆け寄ってきて愛想よく挨拶してくれる。
「あ、お客さん、今起きられたんですか?大丈夫ですか、昨日はいきなり倒れられてビックリしちゃいましたよ」
その顔から判断するに本当に心配してくれたんだろう。
これは悪いことをしてしまった。
「あ~、ご心配おかけしました。あの、何方が部屋まで運んでくれたんですか?」
「私と店長で運んだんです。お客さんがうちにお泊まりで良かったですよ」
心配そうな顔から一転、とても愛くるしい笑顔に切り替わる。
それを見て、刹那も思わず笑顔になってしまう。
「そうだったんですか。どうもスイマセンでした」
「いいえ~。このお店、酔っぱらって寝ちゃう人なんて珍しくないですから」
女の子はそばかすの付いた顔でニッコリと笑いかけてきた。
この感じだと、昨日の刹那のように酔いつぶれた人間の面倒をいつも見ているのだろう。
「そう言えば、ペットの猫ちゃんも足取りが危なかったんで一緒に部屋に連れていきましたけど、大丈夫ですか?」
「あ~、あれは頑丈に出来てるんで、問題ないです」
流石に、便器で吐いてますとは言えなかった刹那は適当に誤魔化しておく。
「そうですか。よかった。それで、今からお出かけですか?」
「えぇ、ちょっと散歩にでも」
円はあんな調子だし、昨日は水神の騒動があったせいでほとんど町を回れていない。せっかく外は良い天気だし、目的もなく歩き回るのも良いだろう。
「そうですか、いってらっしゃい」
「行ってきます」
女の子に手を振って店の外へと出る。
外は太陽が眩しく、ほぼ真上に上っていることから、もう昼時が近いのかもしれない。
「さ~て、どこに行こうかな」
特に行き先を決めていなかった刹那は、適当にそのあたりをブラブラすることにした。
まず向かったのは、この村の商店街。昼時であるせいか客足はそんなに多くないが、店の店主と買い物客が世間話に花を咲かせている光景など、とてものどかな光景が広がっている。
「お、お兄さん、ちょっとこれ見て行ってよ!」
適当に歩いている刹那は、呼び止められてふと足を止めた。
その店はカラフルな果物や野菜などが置いてあり、見た目にも楽しい。
そこで刹那に声をかけた男性は、シャツを肩でまくり上げ、逞しい二の腕をのぞかせていた。
「どうだい、このキャベツ!すごい新鮮そうだろう?」
「お、美味そう」
確かに男性が手に取ったキャベツは瑞々しく、つい先ほど畑から取って来たと言われても違和感がない。しかも、大きさは刹那の頭ほどと、中々の大物だ。
「どう?一個買ってかない?」
「そうだな~」
刹那は軽く思案する。そして、すぐに答えは出た。
「止めときますわ。連れに怒られちゃうんで」
以前、出店で衝動買いしようとして円にこっぴどく叱られた経験がある。あの時は何とか燃やされずに済んだが、これでまた買ってしまったら、今度こそ燃やされてしまいそうだ。それに今日の円はあまり機嫌がよくないだろう。
男性の勧誘を断ると、刹那はまたいろいろな店を歩いて見て回った。この村は上流の龍降湖から流れる川のおかげでとても水が豊富で、作物も良く育つようだ。店に並んでいる野菜や果物はどれも瑞々しいものばかりだった。
「おい、何やってんだ!」
「放せ!これであの化け物を退治してやるんだ!」
「なんだ?」
前方の方が何やら騒がしい。何かあったのだろうか?
好奇心の強い刹那が黙っていられるはずもなく、彼は小走りでその声のする方へ向かったのだった。




