第三十五話 それぞれの午後
「水神様を殺すなんて、何を考えているんだッ?」
「うるさい!アイツは俺の大切なものを奪ったんだ!殺してやる!」
「落ち着け厳磨。おい、ちょっとコイツを抑えるのを手伝ってくれ!」
刹那が到着すると、そこでは三人の男が口論になっていた。人々はそれらを囲むようにして事の顛末を見守っている。
「あれって、昨日飲み屋にいた人か?」
二人の男に抑えられているのは昨日、刹那の泊まる飲み屋で一人酒を飲んでいた男性だ。今、彼は布に包まれた大きな荷物を抱えている。いったい何が入っているのだろうか。
「厳磨も懲りないねぇ」
刹那の隣に立っていた見物人の一人である老婆がポツリとつぶやいた。
「ん?おばあちゃん、懲りないって何が?」
気になった刹那は思わず尋ねてしまった。老婆は刹那の姿を確認する様に彼の上から下までを軽く見まわした。
「あ~、お兄さんはこの村のモンじゃないね?」
「うん、ちょっと旅の途中でね」
その言葉に老婆は納得したように何度も頷いた。
「そうかい、そうかい。じゃあ知らないのも無理ないね」
「何を?」
「あそこにいる厳磨と言う男はね、昔あそこの山の湖で一人息子を亡くしてるのさ。ちょうどあんたくらいの年の子だったかな」
湖、龍降湖のことだろう。そして、息子を亡くしているというのも昨日酒場で聞いた。
「あ、それ聞いたよ。確か、水神様?っていうのを怨んでるんでしょ?」
「なんだい、そこまで知ってるのかい。そう、厳磨の息子はね、湖で泳いでいた時に死んだんだ。いつまでも帰ってこない息子を探して厳磨が湖に行った時、湖に浮いてる息子を見つけたんだと。それで、その時に水神様が近くにいたのを見て、自分の息子は水神様に殺されたに違いないって言い続けてるのさ。水神様は本来とてもおとなしい性質でね、人を襲うことなんて今までなかったんだよ。だから、あの事故も、きっと何かの拍子に溺れちまったんだろうってみんなで言ったんだけどね。厳磨は聞く耳を持たなかった。それどころか、厳磨はあれ以来、ああやって水神様を殺そうといろいろな道具を準備してるのさ。復讐に取り付かれちまったんだね。アイツは息子が生まれた時に妻も亡くしてるんだ。その上、たった一人の息子も亡くなっちまって、もう何かを怨むことしかできんのだろうて。昔は、真面目でとても心優しい男だったんじゃがねぇ」
老婆は愁い気な瞳を男性に向けている。きっとあの男性の昔の姿を知っていてやりきれない思いなのだろう。
「そうだったんだ……」
記憶喪失の刹那には家族を失う悲しみというものは分からない。しかし、親しい人を失う悲しみなら少しは理解できる気がする。もし、円が誰かに殺されてしまったりしたら、自分はその相手を怨むだろう。そして、殺してしまいたいとさえ思ってしまうかもしれない。今、目の前で取り押さえられている男性はまさにそういう状態なのだ。何かに怒りをぶつけなければやり切れないに違いない。
「おい、好きにさせてやればいいんじゃないか」
厳磨と男たちの間に割って入った男はスキンヘッドにがっしりとした筋肉質の大男だった。
「厳磨だって一人息子を亡くしちまってるんだ。気の済むまでやらせてやれよ。それに、これくらいじゃ水神様を殺そうったって無理に決まってる」
スキンヘッドの男は布で包まれた荷物を指差して呆れたように笑っている。
それを見た男性達も仕方ないとばかりに厳磨を抑えるのを止めた。
「ほら厳磨、さっさと水神様の所に行って来いよ」
「ふんっ」
厳磨は礼も言わずにそのままスタスタと湖の方へと向かって行った。人々は騒ぎがひと段落したことで散っていき、また先ほどまでの市場の活気が戻ってきた。
「ちょっと気になるな」
何か嫌な予感を感じた刹那は気付かれないように厳磨の後を追うことにした。
ほどなくして龍降湖に到着した厳磨を刹那は木の陰から観察していた。
「あの人、アレ使って何するつもりだ?」
厳磨は背中に背負った荷物を降ろすとそれをその場でせっせと組み始めた。最初はバラバラの部品の集まりだったのが、段々と組み上がりその形を成して行く。
「なんだあれ?」
厳磨が組み上げたのは巨大なボウガンのような代物だった。木でできたグリップと銃身、長さは一メートルはあるだろうか。長さだけではなく、横幅もあり、成人男性が抱えるような形で持つのがやっとだろう。
厳磨がその銃身に巨大な銛を差し込む。どうやら、あの銛を弾として発射する仕組みのようだ。
と、厳磨はそれを背中に担ぐと、そのまま湖に飛び込んでしまった。
「行っちまったよ。どうするかな?」
刹那がしばらくその場で考えていると、後を追うよりも早く、厳磨が湖から飛び出してきた。担いだ銃には銛が差さっていない。銛はどこにいったのかと疑問に思った刹那だったが、次の瞬間、刹那は銛がどこにいったのかをすぐに理解することになった。
「ギキャァァァァ」
今まで聞いたことも無いような咆哮が湖に響き渡る。中から出てきた水神の腹のあたりには、先ほど厳磨がセットしていた銛が見事に突き刺さっている。突き刺さった場所からは、血液だろうか?紫色の液体が流れ出していた。
「化け物めッ!くらえ!」
厳磨はまた銛をセットすると、それを水神目がけて打ち出した。
張りつめたゴムが元に戻るような時の音を出して、銛が勢いよく飛び出す。そして、その銛が水神の左腕に刺さった。
「うっ、痛そう」
「キィェェェェェェッッッ」
思わず目を背けた刹那の耳に水神の痛みに耐える咆哮が届いてきた。
恐る恐る目を開くと、そこでは痛みにのたうち回る水神がいた。しかし、その勢いはどんどん小さくなっていき、目に見えて弱まってきている。
あの様子ならばあと数発撃ち込めば完全に沈黙してしまうかもしれない。
だが、水神もやられるままではなかった。腕を伸ばし、厳磨を払うように腕を振るった。
「うぁ!」
肩に担いだボウガンが相当重たいのか、厳磨は避けることが出来ず思い切り弾き飛ばされてしまう。
「う、うぅぅ」
起き上がることが出来ず、その場でうずくまってしまう厳磨。しかし、水神は攻撃の手を緩めることはしない。
「ギキャァァァァ」
先ほどと同じ咆哮をあげて、振り上げた腕が厳磨の頭上に迫る。
「――ッ!危ない!」
考えるよりも先に刹那は飛び出していた。未だに立ちあがることのできない厳磨の元へと走る。
刹那が厳磨に突撃する様にして飛ぶ。
巨大な腕は厳磨が落としたボウガンもろとも刹那たちがいた場所に巨大な穴を穿った。しかし、そこに刹那たちの姿はない。
穴からほんのわずかにずれたところで、刹那たちは倒れていた。
後ろに穿たれた穴を見る。力任せに叩き付けられたであろうことが容易に想像できるその穴には粉々に砕け散ったあのボウガンがあった。
もし、あと数秒遅れていたら――
そう思うと、背中にいやな汗をかく。
「何だお前はッ?」
「今はそんなことはどうでもいい!早く逃げるぞ!」
「余計なお世話だ!」
「何言ってんだ!アンタ、このままじゃ死ぬぞ!」
水神が刹那たちを捕えようと陸に上がってきている。またあの鬼ごっこが始まりそうだ。
いち早く逃げようとした刹那だったが、厳磨はその場を動こうとしない。
「何やってんだ!早く逃げるぞ!」
「うるさい!俺はこの化け物を殺すんだ!逃げてたまるか!」
「――ッ!この分からず屋!」
刹那は思い切り厳磨に体当たりすると、そのままの勢いで厳磨を担いで走った。
「放せ!邪魔をするな!」
「死んじまったら元も子もないだろうが!」
振りほどこうとする厳磨を抑えつけながら、刹那はまた村まで全力疾走するはめになった。
「はぁ~、なんか最近走ってばっかだなぁ」
愚痴を溢しながら町までの道を駆け下りる刹那だった。




