17章……別れ道
「かんぱーい!」
爽奈の音頭で4人のグラスが上がり、それぞれ労をねぎらうように各自軽く当てていき、一通りそれが終わると中身をあおる。
「ぷは――っ! いやー、みんな今年もお疲れ様でした! 年内に進路も決まって良かった良かった」
一瞬のうちに飲み干した爽奈は、1.5リットルのジュースのペットボトルに手を伸ばしながら、大笑する。
真優も喜色を面に表し、首肯する。
「そうだねぇ。一般企業なんかは冬の時代、"士"の就く職業が有利だけあって私達はいいけど。大学に行って、すっかり疎遠なっちゃった友達は大丈夫かなぁ……」
最後の一言は眉を曇らせ、視線を宙に彷徨わせた。
「大丈夫だよ。きっとそのうちアメリカが本気出して、あっと言う間に景気が良くなるよ! ……あんまり分かんないけど」
紗弥菜が呆れた眼つきで、爽奈をじろりと睨む。
「いい加減なことを言うもんじゃないわよ」
非難は一切受け付けないらしい。飛んできた視線を完全に無視しつつ、爽奈は隣に座っている成佳に寄りかかる。
「でもさ、なるさんの方がもっと厳しいよね」
切ったサンドウィッチを取り分けていた成佳が、動きを止めてそうねえ、とつぶやく。
「かなり狭き門って、講師の先生から耳にたこができるくらい聞かされてるわ」
成佳のお手製のコーンポタージュを、スプーンですくって飲もうとした侑治郎が、手を止めて意外そうな顔で訊く。
「よく知らないんだが、そんなに厳しいのか?」
「うーん、確か……志望者は毎年2000人以上は居るんですけど、デビューができて尚且つプロダクションでちゃんと所属できる人は、1割居るか居ないかぐらいとか言ってました」
「そ、そんなに少ないのか……声優ってのは大変な稼業なんだな」
心配そうにしている侑治郎を、安心させるかのように莞爾と成佳は笑う。
「でも、私は後悔してませんけどね」
成佳が声優を本格的に目指そうと志したのは、5月の卒業生講演会で成富果穂のスピーチを聞いてからだった。もともと声優になりたいという気持ちはあった。だが、自身の身の丈に合ってないとして、諦めていたのだ。
その日以来、人知れず資料を集めたり調べたりして、他の4人には内緒で事を進めてきた。ゆえに、文化祭の劇については好機だった。声あてを行うと意見を言ったのは、文化祭の時に関係者に来てもらい、声を聞いてもらいたかったからである。だから、爽奈が志望事務所の履歴書とメモリースティックを見つけた時には、大層胆が冷えたそうである。翌日、封筒に入れて送って返事が1週間経ったほどに返ってきた。行くとのことだった。
かくして劇が終わった後、関係者と密かに会った。関係者は、成佳の声域の広さと演技力を買って、事務所の附属の養成所に入所する際は斡旋するとまで約束。成佳はその場で二つ返事で了承した。あらかじめ両親・担任・学長(一応)と就職が決まっていた野瀬私立保育園の園長の鍋島加代子に話をつけていたのだ。
両親は、娘の人生なのだから本人の自由にさせる、との考えを持っている。成佳の告白を聞いた時は驚きはしたが、反対することなく承諾した。
担任は説得はしたが説き伏せられ、学長に至っては諸手を上げて賛成した。なぜなら、有名になったらなったで思う存分に宣伝してもらえる、と思っているからだ。
加代子は流石に難色を示した。しかし、成佳の話を聞き終える頃には理解を示し、賛成した。
最後に4人にも告げた。爽奈と真優は、声優に多少なりとも理解があるから素直に祝福した。紗弥菜と侑治郎は渋い顔だったが、話を聞いて納得し、友人の門出を喜んだ。
当たり前だが今通っている専門学校は卒業する。成佳自身、保育士と幼稚園教諭の資格は欲しいし、様々な人達に迷惑をかけてしまったことに対し、筋を通す意味でも絶対だった。
養成所の入所はほぼ確定ながらも、準備は怠らない。3月に選考試験が行われるまでの間に、やることは沢山あるのだ。今は独自の練習方法で声の演技力を高めたり、発声練習で歌唱力を向上を目指したり、演劇を学んだりしている。
なお、入学金や授業料は全て自己負担することにしていた。両親は出すと言って聞かなかったが、成佳は頑なに拒んだ。それゆえ、人生で初めて交通誘導とコンビニのアルバイトを始めた。交通誘導は、時給が1000円を超える上に、土日限定でも構わないとのことから。コンビニは、爽奈の斡旋。侑治郎も勤めている『ドーソン』に週3で入っている。
結果、週5日は専門学校に行きながらバイトや自主練を行っていることから、成佳は多忙な日々を送っていたのだ。
しかし、成佳は後悔していないと言う。実際、初めてのバイトにもすぐに順応、新鮮味があるのか楽しくやっている。
爽奈が駄々っ子のような口調で言う。
「あー、早くなるさんの出てるアニメ観たいなー」
恐れ入った表情で爽奈の顔を凝視する紗弥菜。
「馬鹿ね。そう簡単に仕事が取れるわけないじゃない。製作側は声のイメージを重要としていて、合わなかったらすぐに切り捨てられるんだから」
紗弥菜の言葉に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔付きになる爽奈。
「へえー、やっぱあんたって、知識を取り入れることに関しては貪欲なんだねぇ。いつの間に知ったの?」
「煩いわね。金襴の友の職業ぐらい知っておくでしょ。普通」
やや照れながら言った紗弥菜に、成佳はふわっとした笑顔を向ける。
「金襴の友だなんて、嬉しいわぁ。流石、紗弥菜ちゃんは博識ねぇ」
「あ、ありがとう」
すっかり照れてしまった紗弥菜は、眼鏡のブリッジを指で上げ下げしている。
そんな紗弥菜を嘲笑せんばかりの笑みを口元に表しつつ、真優に話題を振る爽奈。
「そういえば、まゆっちも就職先を変えたんだよねー」
「うん。果穂さんと晋之介さんが働いてる野瀬児童館内にある野瀬学童クラブで働くんだよ」
学童クラブとは……小学校の児童の保護者が仕事等で居ない時、代わりに預かってくれる保育施設のこと。その施設には指導員がおり、仕事内容は授業が終わって放課になった児童と遊んであげたり、おやつを与えたり、宿題を見てあげるなどである。因みに、長期休暇中だと午前中から1日中預かることもある。
もともと真優は保育園もそうだが、こちらの学童クラブにもボランティアに行っていた。そこで働いていた1年先輩(侑治郎にとっては年齢的に同期)の成富果穂にかなり気に入られていて、行く度に一緒に働こうと乞われていたのだ。ただ単に年下の後輩が欲しかっただけかもしれないが、真優の気持ちは揺れに揺れていた。そして、文化祭が終わって1週間経ったほどで結論を出し、保育園ではなく学童クラブに就職することに決めた。
当然、内定が決定していた保育園には申し訳ないのですが、とお断りを入れた。勿論だが、園長の加代子の所にも赴いて口述してきた。
加代子は、成佳の時とは違って難色を見せることもなく、快諾した。何しろ児童館の館長も兼任しているのだが、ベテランの指導員が2人も辞めてしまうので人材不足を懸念していたからだ。それが故に、むしろ心強く思ったからである。
加代子の鶴の一声で真優の就職先は、あれよあれよと言う間に変更の手続きが完了してしまったのだった。
「果穂からの勧誘が相当しつこかったそうじゃないか。失礼だけど、本当に良かったのか?」
侑治郎はその点が心配だった。真優の意思ではなく、果穂の意思で無理矢理変更させられたのではないか、と感じていたからである。
真優は屈託なく相好を崩す。
「それだけ頼りにされてるって思えば嬉しいものだし、学童クラブは学童クラブでのやりがいを見出せたからね」
「そうか。それならいいんだ」
本人の意思とあれば何ら問題はない。侑治郎が内心ほっとしていると、爽奈が膝を叩いてきた。
「何だよ」
お返しとばかりに指で頬をつついた。幼子のような滑らかな餅肌でぷにぷにとしており、触っていて気持ちがいい。
「そっちこそ何だよー。人が祝ってあげようと思ったのにー」
不機嫌そうに頬を膨らます爽奈。
5人の中では侑治郎が、最も多忙な日々を送ってきたと言える。卒論・就職活動・2つ掛け持ちしているバイト……それらを同時進行で1ヶ月間こなしていたのだ。
夏休み頃からこつこつと執筆していた卒論は、ボランティア経験が少ない侑治郎にとって、どうしても書かねばならなかった。しかし、入り用も重なったことから金銭的に厳しくなり、その話を聞いた爽奈の誘いで、コンビニのバイトを始めた。すると、結構忙しく滞ってしまっていた。文化祭終了後からコンビニのバイトの日数を減らし、執筆を再開していたのである。
就職活動はそもそもしなくてもよかった。保育園附属のスイミングクラブのバイトと、週数回のボランティアで、十二分に加代子から高評価を得ていたからだ。
加代子は縁故で侑治郎を採用しようとした。
だが侑治郎は、それでは普通に受験する人に悪いと自身も受験すると言い出した。
何度諭しても無駄だったので、加代子はやむなく認めた。
11月中旬には一次試験が行われた。内容は小論文と面接である。因みに、採用する人数は3人だったが、当日集まった受験者は50人も居た。設備が充実しているだけあって、当然とも言える倍率の高さであった。
1週間後に結果が届き、見事に一次試験を突破。12月初旬に二次(実技)試験を行う旨が書かれた書類を見て、侑治郎は急ぎ課題制作に取り掛かった。
これには他の4人も協力した。絵は爽奈と真優が、物語の作成は紗弥菜と成佳とともに卒論と同時進行ながらも、栄養ドリンクとコーヒーをがぶがぶ飲んで精根尽き果てる一歩手前になりかけたが、二次試験2日前には全て完成した。
卒論をさっさと提出し、ひたすら課題である言語の口演の練習を開始。そこであまりにも演技力のなさに、心肝でははらわたが煮えくり返りそうになった成佳が指導し、ある程度身に付けることが叶った。
二次試験は総勢10名。侑治郎は、6番目に発表することを試験官から伝えられた。中途半端な順番だったが、本番は練習の甲斐もあって、よどみなく処々に感情を込めて読む事が出来た。
そして、結果の通知がつい先日届いた。結果は、血反吐を吐きそうになりながらも頑張った甲斐あって合格だった。
「ああ、そうなのか。そりゃ、すまん。で、どんな方法で祝ってくれるんだ」
侑治郎は、ばつが悪そうに頭を掻く。期待と不安を込めた瞳の中に、爽奈の童顔を映す。
「じゃあ、ちょっと眼をつむっててくれる?」
「いいけど……何をするんだ?」
「質問を質問で返さなーい! いいから、さっさとつむるー!」
「はいはい……」
嫌な予感はするが、取り敢えずは従った侑治郎。
ぴと。
何かが侑治郎の唇に当たり、爽奈と侑治郎以外の3人はとっさのことで声が出ずに、傍観しているだけだ。
(な、何だこれは!? も、もしかして……)
程好い弾力に心地よくなる。何十秒かそのままだったが、一向に離そうとしないので、つい好奇心で薄めを開けて口元を窺う。確かに唇と唇が重なり合っている。が
「ん――な――っ!?」
奇声を張り上げ、頭を振って振りほどき、驚愕を顔に貼り付けて後ずさる。
「たた、た、たた、た、た……たこ――っ!?」
侑治郎が指し示す先には、爽奈が赤々としたたこを両手で持っていた。
「はははは、見事引っ掛かったね!」
爽奈は爆笑を部屋中に響かせた。
「お前……そりゃ、ないだろ」
目じりが裂けんばかりに見開かれた眼を、侑治郎は爽奈に呆然と当てる。
「まあまあ、気にしない気にしない。さ、今日は朝まで飲み明かそ――っ!」
侑治郎の言葉など一切耳に入っていないのだろう。爽奈は、嬉々とした顔でコップを高々と持ち上げ、叫んだ。
「……人の話を聞けよ」
侑治郎の消え入りそうな独語が、口内にむなしく響いた。




