母の手のひら
ソルタは要塞の外に出た。
頭の上を数百発の魔弾が飛び越えて行く。
突撃前の予備砲撃というには火力があり過ぎて、魔導部隊の魔法に混じり一本の矢がソルタの直上を通って死の軍曹を直撃して頭をもぎ取った。
「すげえな、ソルタの母ちゃん」
「お、おう……」
リヒテットのお褒めの言葉に、ソルタは生返事で返す。
ふと後ろを振り向くと、金髪輝くエルフが手を振ってから大きな動作で投げ接吻をした。
要塞の兵士達からは大歓声が上がり、既に二キロは離れたソルタにも聞こえた。
フィーナの産みの母フォルミリアは一番人気らしい。
何の人気だ、人の母親に勝手に順位を付けるなと言いたいが、もう十六年も前に人類世界に現れた頃から大人気だったそうだ。
エルフの精霊弓で次から次へと敵を落とすフォルミリア母は、確かにソルタが見ても格好良いくらいだったが衣装が酷い。
白い素足に革の網サンダル、太ももまで見えるスカートはスリット入り、胸部を守るというより強調する胸甲、しかも腹部は丸出しで、長く伸びたライトブロンドをたなびかせる姿は戦場に居ても良い格好ではない。
いや街中でも禁止で、もしフィーナが同じ格好をしたらソルタは殴ってでもやめさせる。
「しかも美人だし若いし、とても子持ちには見えねえな」
「……リヒテット、お前それ褒めてるつもりか? 友達に母親を褒められて嬉しいのは十歳までだ」
「お、おう。結構な歳までありなんだな」
「なんだと、普通はもっと低いのか?」
「まあな、ほら俺らって男子だけで集まっての訓練とかあるから親離れ早いんだよ」
良い情報を教えてもらえた。
ソルタはずっと母親に部屋の掃除もさせていた、四人も居るのでそれが当たり前だと思っていた。
それが軍に入ると貴族の子弟も身の回りのことは自分でやる、しかもかなり手際が良い。
母親に甘えすぎていたのだとソルタは痛感する。
「ソルタちゃん、ソルタちゃん」
「ちゃん付けで呼ぶなって言ったろ」
側にやってきたテティシアにソルタは冷静に返した。
「ソルタ、親離れと冷たく当たるは違うぞ」
「くっ……なんだよ、母ちゃん」
ここはリヒテットが正しい、ソルタは五人目の母親に振り返って顔を見せた。
「前線に出るわよ。距離は残り半分、さくっと行ってさくっと倒すわよ。ここでボラリスとデスピエロを倒せば、冬になる前に終わるわ」
守備隊は賭けに出た。
数ヶ月籠もって敵を減らすか、敵の主力を速攻で叩くかで、最強の手札を二枚とも戦線に投入したのだ。
西部戦線の状況が悪く、国の中央を東西に流れるキュビワノ河に敵の艦隊が入り込み、補給に影響が出ていたのだ。
「それにね、戦費だけでもう共通金貨で十五万枚よ。このままだとお母さん破産しちゃうわ、領地の半分はソルタにあげるんだから頑張って」
「別に欲しいとは言ってないけどさ」
「そうしないと困る人もいるのよ、諦めなさい」
テティシアの領地は広大、国のバランスを崩す程に。
とは言え、東には人跡未踏で魔獣が住むオールトの大森林、北には長らく人類を脅かす腐乱の道化師。
復興も時間がかかると思われ、防衛を任せられる人材がテティシア以外には居なかった。
しかも本来、最も危険な最東部はソルタの父ガンタルドに与えられる予定であった。
ところがソルタの一家が魔王城に住み着いて東からの脅威がなくなり、北の道化師も動きを控え、予想よりも遥かに早く復興が進んだ。
今や人口は二百万を超える、千四百万人の王国で一人の領主が二百万人は余りにも多い。
しかも子供は娘が一人きり。
アキュリィと結婚した者が、王家を脅かす存在になってしまう。
相続権を放棄させたアキュリィを、国外へと嫁に出すには十分すぎる理由であった。
だがそこに現れたガンタルドの一人息子、つまりソルタにテティシア領の東半分をくれてやれば状況が変わる。
大諸侯には違いないがどうせ王国で最も危険な東端部、テティシア領全てを一人が受け継ぐのは許せない王家にとっても納得できるというわけだ。
「お前も貴族様かよ、仲良くやろうな」
「よせよ。俺にそんな真似が出来ると思うか?」
「出来るさ。貴族も騎士も戦わない奴には務まらねえ、少なくともこの国ではな」
リヒテットが言い切る。
根拠がない言葉ではないことをソルタもこの十日余りで知った。
騎士三千の中で、十年前の魔王戦争で家族を失っていない者は皆無だった。
全ての騎士階級の半分が死んだ大戦で、魔王を倒したのがソルタの父だとしても彼らも国を守ったのだ。
眼前にある腐乱の道化師との戦いが終わっても、騎士の多くは西部戦線に移って戦う。
もちろんソルタも戦うつもりだ。
「じゃあ戦うしかないな」
ソルタは数歩先を行くテティシアの後を追う。
二人の両脇はテティシアの近衛が固める、これから敵中央部まで包囲されながら前進する必要があった。
「ソルタちゃん、こうよ。手首を返して剣の威力を魔法で撃ちだすの」
右に左にと軽く振ったテティシアの剣先から、物理と魔法が混ざった衝撃波が飛ぶ。
剣技の一で、間合いの数倍先にいるアンデッドが衝撃波を喰らう度に破壊されて動きを失う。
テティシア母は止まらない、最前列で剣聖級の剣技を披露しながら前進し、ソルタにも実地で教えていた。
「ねえ母ちゃん、母ちゃんってひょっとして俺より強い? あ、出た」
ソルタの新しい剣、妹から貰った聖剣の相性は素晴らしく、全力で振っても魔力を通しても自分の手のように扱える。
始めての剣技で二足で歩く大きなトカゲの骨がばらばらになった。
「きゃー! 凄いわよ、やっぱりうちの子は天才ね! ママなんてこれを覚えるのに1年はかかったもの。じゃあ次よ、魔力バルジを作って練った魔力を剣撃と同時に叩きつける準星放射って技よ。これはお父様の得意技だったのよ」
やけに余裕があるなとソルタは感じていた。
敵の数は多いが、針のように一点で攻めれば全てを相手にしなくて済む。
魔物、特にアンデッドを相手にする時は敵の全滅が大前提になり、大軍を注ぎ込む必要があるが、頭だけを刈り取るなら少数精鋭が通用する。
少数と言っても、ほぼ全ての魔導師の魔法援護を受けた五千人もの部隊ではあるが。
五十万を超える敵軍の一割ほどの相手をして、味方に千人近い負傷者を出しながらもソルタは北の極竜を視界に収めた。
周りには死の士官、死の将軍、無首騎士、死魔導師などの大物が固まっているが、やはり強大なのは名付きのドラゴンゾンビ。
まだ距離はあったが可能な距離だと、右手の聖剣が教えてくれた。
ソルタは迷わず発動する。
「放て、”大地賛歌”!」
これが効かないことはないが、止めを刺せるとは限らない。
女神の腕か翼のように大地に広がった浄化の力が焦点に集まるのを見ながら、ソルタは追撃の準備をする。
「最大加速、魔法陣隠蔽……あれ?」
北の極竜を死してなお働かせる負の魔力が一瞬で蒸発し、余波が死の将軍、無首騎士、死魔導師などを消滅させていく。
「ほら、とどめよ! 撃って撃って!」
テティシアに急かされて、ソルタは投げ槍を加速させる。
既に抜け殻のドラゴンゾンビに槍が当たると、朽ちた体が派手に飛び散った。
「きゃー! みんな見た? うちの子がやったわよ!」
「えー……母ちゃんけど、あいつその前の魔法で……」
「しっ。黙っておきなさい、お母さんは子供を褒められた方が嬉しいの」
味方の大歓声と共に、アンデッドの軍が急速に統率を失い始める。
もう脅威になるような大物も居ない。
ソルタは、英雄が作られる瞬間に立ち会ってしまった。
「ねえ母ちゃん、あいつを倒したのは僕じゃない……」
「いいからいいから、あそこまで削ったのはソルタだから嘘じゃないわ。それにデスピエロは逃げたわ、まあどうせ叩いても素体を移るだけだしね。ちょっとお仕置きしときましょう」
テティシアが通信用の魔道具に何か囁く。
「エリュシアナ、カミィラ? うんそう、やっぱり逃げたわ。後よろしく」




