敵を超える恐怖と絶望
「あの悪魔の群れって、まさかエリュシアナ母ちゃん?」
ソルタの問いかけに、テティシアは頷いてから答えた。
「本来なら魔王城を離れるべきではないのだけど、今回ばかりはね。あなたとアキュリィは放っておけないわ、あなた達はお母さん達にとって何よりも大事なのよ」
どさくさに紛れてハグしようとする母親を片手で押しのけながらソルタは思い出す。
まだ村が小さい頃、爵位を持つ魔族、エリュシアナ母は大量の悪魔を召喚して農作業に使っていた。
強そうな悪魔が鍬を振るうのを見て、幼いソルタはつい謝ったものだ。
「なんだかごめんね?」
「良いってことよ、換わりに坊主の魂を頂こう! あっ、すいません嘘です」
エリュシアナ母に睨まれた悪魔は畑仕事へと戻る。
開墾が必要な最初の半年だけだったが、魔界来た悪魔達は見事な畑を作り、対価に魔王城の秘宝を幾つか貰い帰っていった。
ソルタでもそれ以来に見る悪魔の軍勢で、珍しいことには違いない。
テティシアの隣で指揮を執る――テティシア母は強いが軍事指揮官としての教育は受けていない――二人の公爵は、ソルタ達の話を片耳で聞きながらあちこちへ命令を飛ばしていた。
要約すると、東からやってくるのは味方だから慌てるな攻撃するなだ。
だが地平に現れた悪魔よりも、北に陣取るアンデッド軍の方が近い。
特に速度の早いハーピーやワイバーンが真っ先に飛来する。
「母ちゃん、羽がないのに骨だけで飛んでくるよ」
「ソルタ、魔物は何でもありよ。動物が進化した魔獣と違い法則は通じないの」
ゾンビはまだ分かる、翼の膜や羽が残ってたりもするのだ。
だがスケルトンが飛ぶのは解せない、人類は飛行の魔法を失って長いと言うのに。
迫りくる飛行部隊は、ロワエオス公が対処した。
「魔導部隊に伝達、指揮官の判断で迎撃せよと。ただし長丁場になるともな」
千五百人の魔導部隊は、貴重な対空戦力だがその内の二割ほどが一斉射、二斉射と高熱の魔法球を放っただけ。
それでも百体ほどが燃えて落ちて、残りの半数がやってくる。
「残りは弓兵と要塞弩に迎撃させよ。使う矢を間違えるなよと、一応は念を押しておけ」
リヒテットの父親でもあるロワエオス公は、御前会議での青い顔など無かったかのように生き生きしている。
早めに攻撃許可を与えて目標は現場任せ、下が有能なのに上が余計な事をする必要はないとばかりに落ち着いた指揮ぶりだった。
これは長引く――とソルタにも分かった。
アンデッド軍の中央では、北の極竜が二本の首で自軍のアンデッドを捕食し始めていた。
「魔力を回復する気ね、あの様子なら数日はかかるわ。ソルタ、今の内に休んでおきなさい。ママの部屋を使っていいから」
「いいよ、皆と宿舎で休むから」
こんな所で特別扱いは嫌だった。
戦友と狭い床板を分け合うのも悪くない、ソルタはひらひらと手を振って、言われた通りに休息を取るべく砦の中へと足を向ける。
その瞬間に、巨大な魔力の振動が要塞中央で起きた。
北の極竜を見張っていた魔導観測班の要員が叫ぶ。
「何ものかが魔法転移してきます! 魔力震度は……八以上!? あのドラゴンゾンビの数倍はありま……あああっ、しかも複数です!」
報告を最後まで聞かずにソルタは防壁から飛び降りて走った。
実体転移系の魔法は難度等級で九以上、最近では死の魔王が使ったという報告があるのみ。
しかも要塞の中央には女神の神殿があり、動けない負傷兵とアキュリィが居る。
安定した空間へ、強引に強大な魔力をねじ込んだせいで大気まで震えていた。
これが全て熱と光に換われば要塞は灼熱の地獄になる。
ソルタが聖剣を掴んだ右手に力を込めると、まだ剣を産み出した妹が生きていると分かったが、酷い緊張状態にあるのが伝わってきた。
目の前に現れた壁を飛び超え、屋根から屋根へと渡り、最短距離で辿り着いたソルタは恐ろしい物を目にした。
神殿の前庭で、長女のアキュリィと今は次女になったフィーナが、共に腕を組んで睨み合っていた。
険悪を超えて一触即発である、こんな短時間で何故こんな事にとソルタは恐怖で震える。
対応を少しでも間違えると地獄、14歳と12歳の妹の怒りと不満が兄へと向かってくるのだ、そんな恐ろしいことは他にない。
「放置……かな?」
少し離れたとこで腕を組み、ソルタは傍観を決め込む。
手が出たら出たで後で二人まとめて叱った方が早いし確実だ。
強引に悪者になって仲良くさせる手もあるが、上の二人に結託されると長兄の地位が危ない、妹の尻に敷かれるなんて御免である。
分割して支配せよ、昔の偉い人の言葉のまま争わせることにした。
しかしフィーナとアキュリィは、ソルタを見つけると同時に口を開いた。
「お兄ちゃん! 誰!? この女!」
「この子、生意気過ぎるんですけど!」
ふーん、アキュリィの方が少し背が高いのか、まあ二歳差あるものな。
それにしてもよく似てる、離れて育ったのに流石は姉妹だなあ、なんてことをソルタは考えていた。
喧嘩をするならさっさとやれば良い、これからの長い人生、一度も姉妹喧嘩をせずに終わることなんてないのだからとも。
お互いに自分の立場を脅かす存在への本能的な警戒感と、ちょっとの勘違いで全面衝突が起きようとしていた。
どうせ、貴方の姉よと自己紹介したアキュリィを、義姉よと受け取ったのだろうと予測は付く。
フィーナが悪いが、言葉足らずのアキュリィも悪い、説教の内容はこんな所だろうとソルタは考えをまとめた。
だが更に乱入者が現れる、神殿の中から今にも弾けそうな、小さな魔力の塊が二つ全力ダッシュでやってくる。
「見て! おにいちゃんがいる!」
「43日ぶりのおにいちゃんだ!!」
下の妹二人が駆け出した。
サターナもユピテラも涙目になりながら、丁度邪魔な位置に居た姉二人の腰に体当たりをして突き飛ばし、ソルタの広げた腕に飛び込む。
「長いの! 寂しかったの!」
「あははっ、本当のおにいちゃんだっ! けどちょっと臭い!」
「おー、よしよし。大きくなったか? うん、元気そうだな」
妹たちの匂いには異常はなく、右手だけで順番に抱き上げる。
「おにいちゃん、左どしたの?」
「ちょっと怪我したの」
「大変! レアーママも居るよ、ママ―! おにいちゃんがっ!」
二人の妹がソルタの右手を取って神殿へと連れて行く、小さな手でしっかりと掴んで痛いくらいだ。
突き飛ばされて地面に座る姉二人の事なんてお構いなし。
二人の間を通る時に、ソルタは言った。
「フィーナ、アキュリィ、お前達は本当の姉妹でしかもお姉ちゃんだ。あまり下らない事で喧嘩するなよ。十年ぶりの再開だし、いきなりは無理でも仲良くしろよ。お兄ちゃんから見ると、お前らはよく似てるよ」
エルフ耳でダークブロンド、小顔が自慢の次女が小さく二回頷いて、長女は何度も頷いた。
サターナとユピテラに引かれて入った神殿の中には、負傷兵を癒やす女性が居た。
「”聖女の燭台”」
魔法で生み出した蝋燭の灯りが届く範囲の者を、蝋燭の寿命が続く限り癒し続け、しかも魔法を使った本人が離れても効果が続く、八等級の回復魔法を三つ四つと使っている。
もちろんソルタが使える魔法ではない。
「目が、目が見える……」
「痛みが、消えた……」
「おい、こっちだ。前へ行こう」
動けるようになった兵士が、もっと重傷の兵士に肩を貸して燭台の近くへと集まっていく。
兵士達は感謝と感動で前聖女のレアーレイを見つめていたが、ソルタは恥ずかしくてたまらない。
五つ目の燭台を置き終わり、百数十人の重傷者全てに灯りが行き渡ったところで、ソルタは小声で母を呼んだ。
「母ちゃん、母ちゃん!」
「まああ、少し背が伸びた? 元気してたの、ちょっと痩せたんじゃない? ちゃんと食べてるの?」
矢継ぎ早の質問は無視する、今はもっと重要なことがあった。
「ねえ母ちゃん、その服はなに? 王都の神殿にも行ったけどそんな神官服の人は一人も居なかったよ!?」
「あらやだ、似合うでしょ? 久しぶりの戦いだから、張り切って昔の戦闘服を着てきたのよ」
ソルタが見る母の衣装は異常だった。
白地に青は正規の神官服と同じなのだが、膝上の短いスカートで袖なし、肩と胸元が丸見えの装備で戦うなど、頭がどうかしてるとしか思えない。
しかも十年以上前の服に、無理やりに押し込んだ感があって服が負けそうだ。
母親の姿は、ソルタにとっては何かの天罰だとしか思えなかった。
「……ねえ、ひょっとして他の母さんも?」
「そうよ。フォルミリアやエリュシアナの装備はもっと凄いわよ。若いお母さんが見れて嬉しいでしょ?」
ソルタは絶望の底へと叩き落とされた。
中学生男子の母親がいきなり学生時代の制服を着たようなもの




