理由じゃない
あっけにとられた表情で私を見返す店長。台風真っ只中とはいえ、青天の霹靂といったように考えもしなかったのだろう。
泣く子も黙る強面だけど、どことなく少年のころの面影が垣間見える。三十二歳なのにね。
「……俺?」
こんな目の前にいるってのに、何の確認なのか。私はツンと澄ました顔で横を向く。
自分で言うのもなんだけど、理屈だけで好きになる訳じゃない。条件並べて、ハイ好きになってください、なんて言われたって無理だもの。
「他の誰だっていうんですか。好きになるのに理由なんていります?」
「……確かに」
自分の中で何か腑に落ちたらしい。
店長は胡坐をかいて腕を組む。腕がやたらと太いのは鍛え上げられた筋肉のせいで、以前はガチムチ怖いと思っていたのに、今では頼もしさしかない。恋愛フィルターというのは怖いものだ。
店長があまりにあっさりと頷いたので怪しんでいると、苦笑いを返された。
「その素直さが羨ましい。この年になると臆病になるばかりだ」
「じゃ、店長も素直になればいいじゃないですか」
「実加、俺の言ったこと聞いていないのか。ああそうだ、だいたい――」
ぷはっ、と思わず吹き出してしまった。だって、明らかに話を逸らそうとしているんだもの。
「ククッ……店長、往生際が悪いですよ? 筋肉鍛えてもこれじゃ見掛け倒しじゃないですか。ほら、素直になりましょ」
「……こんな空気でも笑い飛ばせるのはある意味才能だな」
「微妙にけなされてる気がするんですけど」
後頭部を掻きながら、ふーっと深く息を整えた店長は、口を尖らす私に向かって視線を合わせる。
「逆だ、褒めてる。そしてそこがいい」
熱の篭った視線が、真正面から当たった。
「え、えっと、いいって……?」
心臓がドキンと大きく跳ねた。店長が言った意味をはっきり聞きたい。
「俺で本当にいいのか?」
「も、もちろんです。私は、店長じゃないと嫌です。店長がいいです」
喉がカラカラになりながら重ねて言うと、「歳の差もあるし、顔も怖がられる。そもそも筋肉が無理と言っていなかったか?」と逆に聞き返された。
「筋肉無理だけど店長の筋肉は別腹です」
「食べるなよ」
「えーっと、なんていうか……店長が好きだから、年上も顔も筋肉もアリになりました!」
「すごい理由だな」
だいたい店長は見た目が危険度MAXで、接客でもしようものならせっかく入ってきたお客様が恐れおののいて逃げ出すほど。閑古鳥の鳴いていたこのOCEAN BERRYは、いま作っているような焼き菓子の通販でもっていたようなものだ。
私だって初めは店長の強面に怯んだけれど、それを上回るほど美味しかったイチゴパフェにノックダウンされたのだ。他のメニューも制覇したくなって通い詰めて、しまいには押しかけ従業員にまでなってしまった行動力って……いま思い返せば自分ってすごい。
失敗もたくさんしたし、ケンカもたくさんした。店長の元カノ……も、知ってる。
最初は、料理の腕前を好きになった。次に、人柄を好きになった。
目の前のこの男を、人として好き――を通り越し、恋愛感情として好きという気持ちを持ってしまったのだ。抑えよう、しまい込もうと思ったのに、恋というのは厄介なもので、どんな小さなやりとりですら気持ちが上がったり下がったりと大暴れしてしまう。
声を聞けば心臓が高鳴り、後ろ姿に胸が苦しくなり、頭を撫でられれば体中が熱くなる。
体調すらおかしくするこの不治の病は、お医者様の薬でも治せない。
「あっ、なんか人生の走馬燈が見えた……」
「心臓でも止まるのか」
「本当にそうなっちゃいそうなくらい、心臓が持たないです!」
早くトドメを刺してくれと、私は膝でにじり寄り、店長との距離をさらに縮める。
「店長となら、何でもできます」
「接客も?」
「もちろん」
「料理も?」
「も、もちろん」
「セックスも?」
「……っ!」
いきなり突きつけられた男女の課題に、思わず息を呑んだ。
告白して、恋人になるということは、つまりその先のことも含まれるということである。
私だってそれなりの知識はあるから、キスだけじゃないことくらい分かっているのだ。分かっているけれど、いまだかつてお付き合いしたことがない完全なる処女のため、キスの向こう側は霧がかって具体的な想像はできない。
けれど、店長に触れられるのは嫌ではない。嫌などころか、店長と一緒ならなんだってできる。
私が言葉を失っているのを、店長は試合終了とばかりに立ち上がろうとした。
「覚悟無いなら引き返せ。なかったことにするなら今のうちだ」
「覚悟? ――ありますよ」
私はおもむろに膝立ちになり、ガッと店長の頬を掌で挟み込んで、勢いよく唇に唇を重ねた。
「……っ!」
息を呑み、硬直する店長の頭を抱え込むようにしながら、より強く唇を押し付ける。
ゼロ距離で店長とキスをしたら、嫌悪感どころか幸せホルモンがジャバジャバ出てきた気がする。
ただくっつけるだけのヘタクソな子供のキスをしていたら、店長の手が私の頬を挟んで、逆に攻め込んできた。
「んぅ……っ!」
待って、の間すら与えられず、私の余計なことばかりしゃべる口は塞がれた。
言葉にできないほどの超絶技巧で、息も絶え絶えになり膝に力が入らない。唇だけでなくその先の深い所へ緩急つけた攻撃で、早々に私は白旗を上げる。
「てんちょ……、い、息が……」
くたりと体の力が抜け、店長の背中に弱弱しいタップを二回すると、ようやく解放された。
溺れるかと思った私は、酸素を求めて肩で刻むように呼吸を繰り返す。
「すまん。大丈夫か」
苦しいけれどこの位置から離れたくない私は、店長の胸元に縋りつく。
「だい、じょうぶ、で、す」
息の切れ間に無事を伝えたけれど、胸板の厚みにまた心拍数が上がる。
すると、頭の上のほうで「降参だ」という言葉とともに、何か吹っ切るようなため息が聞こえた。
「なにが……ですか?」
「俺の方が駄目だ。――負けたよ」
負けたという割にはやけに清々とした声だった。見上げれば、熱の篭った瞳と視線が絡み合う。店長は、まるで繊細な砂糖菓子を扱うかのように、私の体を抱き寄せた。
そして、囁くように――
「好きだ」
ぞくん、と甘い痺れが背筋を駆け上がり、言葉の重さで脳が痺れた。
え……なんて?
喘ぐように私は聞き返す。
「もう一回」
たくさん聞きたいことあったはずの私の口は、めちゃめちゃに短縮した言葉を漏らした。
「そう何度も言えるか」
そうぼやきながらも、店長は「好きだ、実加」大きな手のひらで私の頭を優しくなでる。
どうしよう……店長が私のこと、好きだって言った!
片思いですら幸せだったのに、今この感情はどこへ突き抜けようとしているのだろうか。
「好きです、好き……あっ」
ぎゅうっと抱きしめ返したら――
気付けば、朝を迎えていた。




