そう思っていたんですか?
どのくらい時間が経ったか分からないけれど、頭の中の冷静な部分では五分もしなかったと思う。
再び戻ってきた店長は、Tシャツとスウェットのズボンを持っていて、それを私に差し出した。
「風邪引く。大きいかもしれないが、これを着てろ」
目を合わせず寄越され、受け取らずに眺めていたら、「ちゃんと洗ってあるぞ」と押し付けられた。
これは、店長の服……だよね。どっかで見たような気がする。
見覚えがあったその服は、そういえば毎朝久能山へトレーニングに行くとき着ていたな、と思いだした。
そりゃシャワールームがあるのだから、着替えだって常備しているのだろう。小上がりにある押し入れは、仕事で使うもの以外は触っていない。そういえばそこには、確か一抱えもあるプラスチックのケースがあった。そこに着替えなど店長の私物を入れてあったのかもしれない。
「あの……ここで着替えていいですか?」
「奥の部屋を使えばいいだろう」
そっぽを向いたままの店長は厨房奥の小上がりを指さすけれど、こちらはそうもいかない事情がある。
「いえ、あの、水浸しになってしまうので……」
いまもポタポタと服から床へ落ち、足元は大きな水たまりができていた。このまま移動すると、そこかしこ掃除の場所が増えるだけで正直面倒くさい。
それに、第一今は客がいないから、フロアで着替えたところで何も問題はないのだ。
「わ、わかった。あと、脱いだ服は脱水機にかけておけ」
「はい。じゃあ服お借りしますね」
シャツのボタンを外そうとしたところで、店長は先ほどよりもっと早足で厨房に消えていった。一応気を使ってくれたのかな。
べったりと肌に張り付いたシャツは、袖を脱ぐにも一苦労だ。ずっしりと重みがあるシャツをテーブルに置き、ちょっと迷ったけど思い切ってズボンも下着も全部脱いでしまう。店内で全裸なんて、背徳的な気がしてドキドキするけれど、今は非常事態だからと自分に言い聞かす。
バスタオルで肌を拭き、借りたTシャツを着ると、ようやく気持ちが落ち着いた。
うわ……大きい。
背が高く体の厚みもある店長のTシャツは、私が着るともはやチュニックだ。襟ぐりも肩が出てしまいそうなほどなので、あとでクリップで留めようと思う。
ハーフパンツも私が着るとふくらはぎ丈だけど、ウエストに紐が通っているのでそこで調節した。
下着まで雨で全滅だったので、Tシャツにハーフパンツを直に身に着けた。濡れた服よりよっぽどマシだし、なにより店長の私服を着るチャンスに恵まれ、感謝すらしている。
でも胸が肌に擦れるとこそばゆくて、妙な気分になる。それにTシャツの頼りない布越しでは、生胸が悪目立ちしてしまうので、首からタオルをぶら下げてそれとなく隠すことにした。
店長の服……すごくいい匂い。
我ながら変態クサい感想だなとは思ったけど、こう、なんか、抱きしめられているような……?
うわわわ、なに言ってんの自分!
誰も見ていないのに恥ずかしさが込み上げ、カッと熱くなった頬を両手で押さえて頭を振った。そして、ぐっしょり濡れた服を持ち、洗濯機で脱水して、目につかないような場所に干しておく。朝までに乾くとは思えないけれど、やらないよりはマシだ。
襟ぐりが広すぎてすぐに肩までずり落ちてしまう。そういえばクリップは厨房の引き出しにあるなと思いだしそこに向かうと、小上がりの座敷に店長が座っているのが見えた。
こちらに背を向けてみないようにしているようだけど、あきらかに私の動向を気にしているようだった。
だから私は小上がりにあがって、わざと回り込み、店長の正面に座った。
「ねー店長。これやっぱでかいよ」
貸してくれた服が大きすぎると、襟元を摘まんで抗議すると、一瞬息を呑んだ店長は目を伏せて溜息を零す。
「お前は、少しは気まずいとか感じないのか?」
「店長は気まずいって思ってるの?」
「それは……一回りも年下の女の子に……」
「思わずキスしたこと?」
ハッキリとそのことを言うと、店長は動揺したのか、激しくむせた。
「……直球だな」
ようやく落ち着いての一言がそれだったので、もっと踏み込む必要があると感じた私は、大きく息を吸って気持ちを固める。
「私、気にしてませんよ。むしろ……」
畳の上で胡坐をかいて座る店長に、私は膝を詰めた。そして、頭をゆっくり下げる。
「光栄です」
「……ぶっ!」
真剣にお礼を言ったつもりなのに、なにがツボに入ったのか、店長が口元を手で覆い、肩を震わせて笑う。
店長が笑うだなんてありえない光景に目を疑うが、それよりも羞恥心が勝った。
「ちょ、笑わないで下さいよ!」
「真面目な顔して〝光栄です〟なんて言うからだ!」
責任転嫁もいいところだが、店長はひたすら笑っていた。私は怒りながらも、珍しく笑顔を見せる店長に見惚れる。
なんていうか、ギャップ萌えっていうのかな? キュンとしちゃう……
笑顔というレアな表情を、無意識に見せてくれるということは、多少は私に心を許してくれているのかな。
大きな熊のような店長に抱き着きたい衝動をぐっと堪えていたら、そこへ――
ペ~レレ~ペペ~
気の抜けたこの音は、私のスマートフォンの着信音だ。
ちょっとすみませんと断りを入れて、ディスプレイを確認すると、久しぶりの相手からの着信だった。通話ボタンを押して、電話に出る。
「もしもし? え、ううん。大丈夫。うん……梅原ありがと。え、うっそ。じゃあ今度見に行かなきゃ。わかった、またね」
思いもよらない知らせを聞き、弾んだ気持ちのまま通話を終わり、スマートフォンを私のバッグの中へしまう。その瞬間、バタン! と外から大きな音がして心臓が飛び跳ねた。
「あ……なんだ、外かぁ」
店の外壁に、風で何か飛んでぶつかったようだ。
電話に集中していて気にならなかったけれど、まだ停電は続いていて相変わらず室内は暗い。台風接近による大荒れの天気も、まだまだ続行中だ。
「風とか雨とか、まだ酷いですね。いつ頃抜けるのかなー?」
何気なく話しかけたら、先ほどまでご機嫌な様子だったのに、店長は急にムスッとして「そうだな」とそっけない返事をした。
あれ? 電話に出たからかな。でも一応断りを入れたし……
店の外も大荒れだけど、店の中もご機嫌の急降下だよ!
原因を探るべく、なんとなく独り言のように先ほどの電話の内容をなぞる。
「あー……えっと今の電話って、高校の同級生の梅原からだったんですよ。前に四人でこの店に食べに来てくれて。その中の一人が結婚するんで、有志でお祝いを贈るために梅原が幹事になってくれて。それで、今度集まることになったんです」
「そうか」
しかし店長は興味なさそうに、私に背中を向けてラッピングの続きを始めていた。いったいどうしたのだろうか。電話がある前は、あんなにも楽しそうにしていたのに……私がなにかしてしまったのかな。
「……何でそんな機嫌悪くなったんです?」
店長のすぐ隣に座り、横顔を見上げる。その店長は、ピンクのリボンを器用にくるりと箱に巻きつけながら、興味なさそうに私の質問に答えた。
「彼氏なんだろ? 心配していたんじゃないのか」
「彼氏!?」
予想もしていなかった単語に、私の声は思わずひっくり返った。え、なぜ彼氏なの……梅原のことを……
そこでハタと気が付いた。
「ああそっか、店長に言ってなかった。あのですね、私……」
「いや、俺は別に――」
聞きたくない、と続けようとした店長をさえぎり、私はさらに話を進める。
「アイツは友達以上に思えなかったんです」
見上げた先の店長は、ちらりと私に視線を落としたけれど、またどうでもいいといった態度でラッピングの作業を続ける。
……でも、まだ一つ目のが終わらないよね、店長?
どうして終わらないんでしょうね、店長?
いっぱいいっぱい色々考えて我慢したけれど、なるようになれ!
「……告白されて、一旦付き合ってみるかな? って考えたこともあったんですけど、デートの想像しても、ぜんぜん楽しくないんです。友達同士で遊ぶのは楽しかったのに……。どうしてだと思いますか」
「知らんな」
「でしょうね」
「じゃあ聞くな」
「好きだったからです」
「じゃあ付き合えばよかったじゃないか」
「告白ですよ? 聞いてます?」
「ああ聞いているさ。同じ年齢なら釣り合いも取れていいだろう」
「わざとはぐらかしてます?」
「何がだ」
「私は、店長が好きなんです」
「だから俺じゃなくてアイツが――――は?」
「わたしは!
てんちょうが!
すきなんです!!」




