#93
「‥‥‥ディーネさんお一人で大丈夫なのでしょうか」
「あれで大丈夫じゃなければ、私達には無理だ」
カドレの森への侵入者に対処する為、一人飛んでいった彼女の身を案じるルナリスだが、彼女が精霊として絶大な力を持つ事を実際に目にしているエリシュの反応は薄かった。
「それより、この場に残ってる私達の方が大丈夫なのか、だ。あの上に浮かんでいるのは侵入者たちが他にいないとは言っているが、何があるか分からん。用心に越した事はない」
「無礼な〜、エルフモドキですね〜。その首〜、飛ばされたいですか〜?」
エリシュの言葉に笑顔ながらも殺意を滲ませるシルフィ。モドキと形容されたエリシュも青筋が浮かぶ。
「あ、あのあの、喧嘩はダメですよ!」
「別に喧嘩などしていない。精霊のくせに無駄に肥えた身体つきをしているコレに何を言われようが気にせん」
「あら〜、自分の身体が〜、貧相だからって〜、嫉妬はダメだぞ〜?」
「あ⁈」
「ん〜⁈」
睨み合う二人の間でワタワタするルナリス。
その横でボンヤリと様子を見るマナと、する事がないのでゴロゴロと寝転がるクナイは我関せずであった。
「はあ〜、ほんとは〜、お姉様に御同行したかったのに〜。ぷんすかぷんだぞ〜」
ふざけた言い方ではあるが、実際シルフィは激しく憤っている。彼女にとって姉であるディーネは何よりも優先される存在であるからだ。
「まあ、お姉様の言う事も〜、もっともだったから〜、我慢してますけど〜?」
侵入者に対し、ディーネだけで向かったのは外に魔族の脅威が依然あり、かつ他の侵入者が現れないとも限らないからだ。ディーネが対処している間はシルフィが森全体を監視、ついで戦力が薄いルナリスやエリシュ達の護衛も兼任してくれているのだ。
「ありが、とう。シル、フィ、いて、くれる。助か、る」
「‥‥‥はあ〜。とりあえず〜、私は上にいますので〜、余計な事せず〜、大人しくしてましょうね〜」
マナの感謝を受け、ひとまず引き下がり監視の任を続けるべくシルフィは再び上空へと上がっていった。
「大人しく、ですか。でも、なんだか落ち着きません。不安です」
外でおそらくは魔族との戦いを続けているシグと、森の中で侵入者と対峙しているディーネ。何もせずにこの場に居続ける事に、焦燥のようなものを感じるのも無理はない。
「あの二人の勝利を祈る他ないさ。気持ちは分かるが、あそこに寝転がってる阿呆を少しくらいは見習ってもいいぞ」
「クナ、イは、大物、だか、ら」
「師匠に褒められた⁈ 嬉しいっス〜!」
マナの言葉にゴロゴロのスピードを速めるクナイに苦笑いする。だがそのおかげで気持ちは少し落ち着けたのであった。
「ーーーッ⁈」
「わっ⁈ なんだいきなり‥‥‥驚かすな」
転がり続けていたクナイがエリシュの側で突如飛び起きた。驚き抗議するエリシュの声が届いていないのか、素早くマナの側に移動したクナイは黙ったまま空を見上げた。
「お、おい‥‥‥どうした‥‥‥?」
「どう、されました?」
「クナ、イ?」
どうやらおふざけではないらしい。尋常じゃない様子で空を睨み続けるクナイに三人が恐る恐る声をかけるも、反応はない。
「空に何かあるのか? ‥‥‥あの無駄乳精霊しかいないようだが?」
エリシュの呟きに、上空にいるシルフィは聞こえたのかジロリと睨みを見せた。彼女以外に空には何も無い。晴天が広がるのみである。
「何か‥‥‥来るっス」
「は? 一体何をーーー」
言っているんだ。そう続くはずのエリシュの言葉は、突如現れた強大な魔力反応によって遮られた。
その反応はシルフィよりも上空に。クナイと同じく皆がそれに視線を向ける。
穴だ。空に小さな丸い穴が。のっぺりとした黒い奥から、次いで見えたモノ。
「十字架?」
誰かが小さく呟く。まさしくそれは十字架。
この場に居ないシグのみが、それを知っている。
そしてそれを知らない彼女たちの中でも、シルフィとマナはそれが何なのか瞬時に理解出来た。
「魔ーーー」
瞬間、大気が落ちた。
そうとしか感じられぬ程の上空からの圧力は、浮かんでいたシルフィを一気に地上へと叩き落とし、地に立つ他の面々も急に何者かに頭を抑えられたかのように地に伏した。
「ッ〜〜〜⁈」
「これーーーはーーーッ⁈」
これこそ魔装の力。上位の魔族しか使えぬ埒外の力の行使。
シグがつい先程まで戦場に浮かぶその姿を見ていた、そして今も対峙するグラードが持っている強大な魔装と、寸分違わず同じモノ。
「《暴威跪なる重字架》‥‥‥いけない、潰れてませんか? ‥‥‥良かった‥‥‥加減、難しくて」
気怠げな、それでいて艶めかしい声が地上に落ちる。十字架を抱くように、黒い穴から這いずり出たのは、同じく黒の薄地で全身の殆どを覆い隠した魔族。
「ああ、とても面倒だけれど‥‥‥命令だもの。早く、連れて行きましょう」
ラヴィニアと呼ばれる魔族の女が、皆がひれ伏す大地へとゆっくり降り立った。
「ーーーッ⁈ 魔族⁈」
カドレの森へと突如現れた魔族の反応に、ディーネの動きが鈍った。
「《気焔爆雷》!」
それを見逃すキリエではない。
ディーネの魔法で生み出された巨大な水龍へと魔法を放つ。一つではなく、無数に。それもただ闇雲にではない。魔法を成す根幹、そのごく僅かな綻びへと正確に爆炎を生じさせた。
水龍が爆ぜ、大量の水飛沫となる。
それらでずぶ濡れになりながら、ディーネへと肉薄したキリエは聖槌グランマインを容赦なく振り下ろす。
「貰った!」
「あげないわよ!」
大槌がディーネの身体を直撃したかに見えたが、その姿が霧のように霧散する。精霊であるディーネに本来肉体はない。霊子で構成されていた姿を解き、肉眼では捉えられなくしたのだ。
「霊体化したか‥‥‥だがこの瞳からは逃れられぬ!」
キリエの瞳が見えないはずのディーネの姿を追う。ギラギラと色彩が移り変わる虹の魔眼がディーネの霊核を射抜いた。
「そこだッ! 《気焔爆雷》!」
「ッ⁈ やらしい眼だこと!」
瞬時に実体化したディーネはキリエの魔法を《治水》により無効化する。だがその隙に背後からデュラメスがレイピアに纏わせた水の槍を高速の刺突と共に放った。
「《仙水華よ穿て》!」
そして《気焔爆雷》を無効化されながらも直ぐに聖槌を振り上げるキリエが前から迫る。
「《重々焦地》!」
躱しようのない挟撃。それに対し、ディーネは観念したかのように目を閉じた。
そして、祈るように呟く。
「ーーー《魔装顕現》」
空間に、雫が落ちる。波紋が、広がる。
「何ッ⁈」
「これは‥‥‥鏡?」
二人の攻撃が届く寸前、それは現れた。
精霊王の森で顕現させたものより大きな、写し鏡。それも二つ。ディーネの前後に現れたそれらが水の槍を飲み、聖槌が生じさせるはずだった火炎を吸収した。
「《千咲万水の華鏡》。残念だけど、貴方達に構っている暇はなくなったわ。ご退場願いましょうか。《反面写出》」
ディーネの命令に鏡が溶ける。透き通るその身は正に水そのもの。そして新たに形取るはーーー
「これは、私、か?」
「おおッ! なんと美しい! 僕に匹敵する美しさ! ああ、なんだ僕か!」
顔立ちも、衣装も、持つ武器も全く同じ。鏡写しとして現れた自分自身に驚く二人に、言葉なく鏡は襲いかかる。
「ッ〜〜〜! この威力‥‥‥そこまで写し取るか!」
「ああ‥‥‥何たる技の冴えよ! 美しい! 僕はやはり美しいな!」
「なぜだ! なぜ! なぜ精霊が魔装を!」
魔鏡《千咲万水の華鏡》による自分自身からの攻撃を受けたじろぐ二人を他所に、ディーネは大魔法の詠唱を行う。
「"哀れなる死の使者よ 清らかなる流れに逆らう能わず "」
「まずいッ! 止めろデュラメス!」
「ふふふ、美しい僕でも、それは無理そうです、ねッ!」
自分自身に足止めされ、詠唱を阻止出来ない。邪魔される事なく、ディーネの大魔法は成る。
「"汝の還るべき場所へと還れ"
ーーー"聖龍の大海波"」
噴き上がる巨大な八つの水柱。龍を模した水流達が、ディーネを、キリエを、デュラメスを囲むように渦巻く。
「くそッ! 全員一時撤退をーーーゴボッ!」
「これは、水も滴る何とやーーーゴボボッ」
この場から退避しようとする二人へと、肉薄していた写し身達が水へと戻り、その身に取り込んだ。
地上で溺れる彼らの周囲では、既にそれの何千倍もの質量の水が集まろうとしていた。
渦を巻くそれぞれが巨大な質量を持つ水龍が、集まり、籠となる。まるで湖の底のように、地上の全てを飲み込んだ。
「うわぁぁぁぁぁあ!」
離れて戦況を見守っていた兵士達もそれに巻き込まれ、同じく溺れる。
「殺しはしないわ。でも、森からは出て行ってもらうわよ」
水中であるのに、そのディーネの声は王国の騎士達に確かに届いていた。それと同時に巨大な水の半球は、勢いよく森の外へと流れ始める。
「グボボボッ⁈」
流れに翻弄されグルグルと水中で掻き回されながら、永遠とも一瞬とも感じられる渦から解放されたのは宣言通り森の外であった。
「‥‥‥手間取った、早く行かないと!」
苦虫を噛み潰したような表情で、未だ森の中で反応し続ける魔族の元へとディーネも動いた。
「ーーーこんなものか」
息を切らし、膝をつくシグへと遠くから声がかかった。嘲笑とも、失望とも取れる声だ。
「ぐッ‥‥‥《魔装重複顕現》!」
今出来る魔装の最大数の顕現。広げた闇から次々と《闇・双蛇の絞刃》が這い出る。
「《蛇竜よ塞ぎ堕とせ毒翼の刃嵐》!」
号令と共に一斉に射出された毒剣。まさに嵐の如くグラードへと降り注ぐ。
「また繰り返しか。《其等の罪架よ失墜せよ》」
それに対し、グラードはただ手に持つ魔装《暴威跪なる重字架》を目前にかがけるのみ。
それだけで身に降り掛かろうとした毒剣の全てが届く事なく目前の地面に叩きつけられ、粉々に砕け散った。
「《大黒天・灼燼の揺光炎》!」
それでも手を止める事なく魔斧を振るい黒炎球を放つ。今のシグが出せる最大火力。
「欠伸が出る」
それすらも、届かない。初めの一撃と同じ、炎であっても地へと叩きつけられ霧散した。
「《超電磁抜刀・閃煌》!」
間合い無しの遠距離雷撃。光速の横薙ぎ抜刀の軌跡に沿って放たれる。
音すら置き去りにする一撃だが、それすらもグラードへは届かない。
鳴り響く雷鳴は、既に雷撃が地へと吸い込まれた後。
「‥‥‥何も、通じない」
持てる力の殆どを試しても、敵に傷一つ、いや届く事すらない。
徐々に冷静さを取り戻したシグだったが、それで理解出来た事は途方も無い難敵であるという事。
無論、まだ全てを試した訳ではないが。シグに残る二つの力は諸刃の剣。
その身に隠す《聖剣ヴィストリアハート》。
その魂の顕現《漆黒の花嫁》。
どちらも強力無比だが、その分制限も大きい。
聖剣は、《闇の刻印》を持つ身体に対し大きな危険を伴う。
漆黒剣は、全てを《拒絶》するが顕現時間も短く、また再顕現までに一日を要する。
切るタイミングを誤れば、取り返しのつかない武器である。
「‥‥‥どうする」
自分自身へと問い掛けるも、すぐに答えは出ない。逡巡するシグを、グラードは待たない。
「もう来ないのか? ならばーーー《禍重暗黒星雲》」
軽く宙へと掲げられる十字架。その先端から小さな黒い球が生み出された。そしてふわりと浮き上がり、虚空に留まる。
「印は初撃で既に焼きついている。逃げ場はない。さあ、醜く足掻いてみせろ人間!」
「つッ⁈」
シグの首に熱した鉄で焼かれたような痛みが走る。同時に、あれ程までに小さかった黒い球が火花を散らし一気に巨大化する。
「ーーーなっ、身体が」
雷雲のように黒い球体にバチバチと閃光が走り、周囲の空間を飲み込むように急速に回転を始めた。
変化はそれだけではない。
「引き寄せ、られーーー」
回る雷雲球へと何らかの力によりシグの身体が引っ張られる。影を地面に固定して抗うも、その力は徐々に徐々に増していく。
「ぐッ⁈」
固定した地面毎剥がされ、宙へと投げ出されてしまう。向かう先はもちろん雷雲球の中。
「くそッ! 《大黒天・灼燼の揺光炎》!」
空中に浮かびながら顕現した魔斧で黒炎を打ち込むも、雷雲の中に一瞬で飲み込まれてしまう。
「う、おォォォオオア!」
そして、程なくしてシグの身体も雷雲の中心へと消えた。