僕は、こちら側の人間だったんだ
「ねぇロラ。思い出したよ。すべて……」
デューは両手で顔を覆った。その手の下から、涙の雫が頬を滑り落ちた。
「すまない……ロラ。僕はもう戻れない。僕は、こちら側の人間だったんだ……」
悪魔を崇拝し、その邪悪な力を私利私欲のために利用する黒魔術師。ロラがあれほど憎み、一掃したいと願っていた集団の、重要な一翼を担っていたのが自分だった。
自分が望んだことじゃない……。
そう言い訳しようにも、目の前で無惨に流された、罪のない人々の血と涙を思うと、自分の存在の罪深さに胸が締め付けられる。
こんな穢れた過去と呪われた身では、もう、ロラの元に戻ることなどできない。彼女を愛する資格などない。今もまた、自分の中に悪魔が巣食っているのだから——。
透明な雫が、頬に何本もの跡をつけていく。
「ふふふ。いいですねぇ、これ。美味しそう……」
ベリトが長い舌でぺろりと舌なめずりし、デューの顔を覆っている手をどかそうと、両手首を掴んだ。
「ぎゃああああっ!」
じゅっと、焼けた鉄板に肉を押し付けたような音がして、悪魔が悲鳴を上げて寝台から転げ落ちた。煙を上げる左の掌を右手で押さえ、床の上を転げ回って悶絶する。
「な、な……何を、したのです。フェリクス!」
デューは寝台を下りると、暗い炎を灯したかのような瞳で悪魔を見下ろした。
憎い! ベリトが! 悪魔が!
父上も、黒魔術師の母娘も、取り巻き達も……すべて、憎い!
「お前達を、この世から消し去ってやる」
そう低い声で唸るように口にすると、心臓がどくんと大きな鼓動を刻んだ。身体の中心から、何かが急激に膨れ上がってくる。
「くっ……」
たまらず、胸を押さえて身体を二つに折った。
これは、まさか……。
自分の身の内の悪魔の器は、憎悪を糧に育ったものだという。
今まさに、その器が急激に膨張しようとしていた。
デューに取り憑いているベリトも、それを感じ取っていた。悪魔は膨れ上がる力の規模に驚愕の表情を浮かべていたが、やがて、大声を上げて笑い出した。
「ふはははは。すばらしいですねぇ、その悪魔の器。そこまで成長するのを待っていたのですよ。貴方を、白魔術師達の棲家に放り込んだ甲斐があったというものです!」
ようやく身体の内部の変化が収まったデューは、肩で荒い息をしていた。何が起こったのかは理解していた。自分と目の前の悪魔との力関係も。
笑い続ける悪魔をぎろりと見下ろすと、ベリトの顔色がさっと変わった。
「ふん。……最初から、そういう計画だったのか」
デューが一歩前に出ると、上半身を起こした悪魔が怯えたように後ずさった。先程までとは、完全に立場が逆転していた。
「だが、おかげで俺も、いろいろなことが分かったよ。白魔術師のばあさまが教えてくれたんだ。取り憑いた悪魔より器の方が大きければ、人が悪魔を支配するんだってな。俺を支配できなかったお前は、最初から僕の器よりちっぽけな存在だったということだ!」
デューが叫ぶと同時に、悪魔は見えない力に弾き飛ばされ、壁に激しく叩き付けられた。そのまま、壁に背中をつけたまま、じりじりと身体が釣り上げられていく。
「人が悪魔を支配するなんて、どうすればいいのかと思っていたが……。なるほど。力づくて従わせればいいのか」
恐怖に怯える悪魔の右腕を、視線だけで、ぎりぎりと不自然な方向にねじ曲げる。そして、そのまま引っ張り上げて頭上で壁に磔にすると、どこかが折れたのか鈍い音が響いた。
「ひいぃぃぃぃ! や、やめてくれぇー!」
「もっと早く気付けば良かった。お前の姿は目の前にあっても、実体は俺の器の中だ。だから俺は、思い描くだけで、お前をどうとでもできる。例えば……」
ベリトの美貌が、拳で殴られたように無様にひしゃげた。その様子を冷ややかに見上げながら、デューがゆっくりと近づいていく。
「父上達の目的は何だ」
「そ、それは……」
悪魔が言いよどむと、右足のつま先が外向きにねじれ、下に強く引っ張られる。
「ぎゃ……」
「俺の言うことが聞けないのなら、お前の身体を八つ裂きにしてもいいんだぜ」
「うあぁぁ……。やめてください! 話す! 話しますから!」
「ふん。二枚舌のベリト。お前が嘘つきなのは分かっている」
悪魔の身体がめきめきと嫌な音を立てる。これまで散々、酷い目に遭わされてきた悪魔に、デューは容赦なかった。
「ひいぃぃぃ。う、嘘などつきませんから……」
「俺を欺こうとしたら、許さない!」
その言葉で、どさりと床に落とされた悪魔は、呻くばかりでしばらく動けなかった。
「さぁ、話してもらおうか」
威圧的な声に、悪魔はだらりと下がる右腕をさすりがなら、ようやく身を起こした。




