そうか、頑張ったんだな
デューの生家であるコデルリエ公爵家は、カントルーヴ家から、馬車で四日かかる距離にあるのだという。
予定では、今日、到着するはず……。
かの地は、彼の悪魔の器を育て上げた場所だ。大天使ラファエルが「過酷な環境に生まれ育った」と推測したその場所に、彼はカントルーヴ家を守るために戻っていった。冷たい瞳の、黒髪の婚約者と一緒に。
ぱちん、ぱちんと音をさせながら、ロラはぼんやりと鋏を動かしている。
「……お姉ちゃん?」
隣で同じ作業をしていたヴィオレットが、心配そうに声をかけた。
しかし、ロラの耳にその声は入ってこなかった。自分が使う鋏の音を聞くとはなしに聞きながら、ぼんやりと考える。
結局、彼に同行したのは、飄々とした性格の祖父ジブリルと、快活な弟子のマテオ。
あたしも、一緒に行きたかった……。
そうは思っても、自分が長の立場でも、同じ人選をしただろう。
悪魔の呪いに捕われた恋人を救おうとしているジェレミーのために、いちばん強い魔術の使い手である自分を待機させ、強力な大天使のクロスを持つデューには、魔力の強さより、彼の不安を和らげることのできる人物をつける。
だから、ばあさまの考えは、正しい……。
「お姉ちゃんってば。そんなに切っちゃったら、ローズマリー枯れちゃうよ!」
「……え?」
ようやくヴィオレットの声に気付いて、手元を見た。
ぼんやり鋏だけを動かしていたため、切った枝がそのまま地面に散らばっている。何度も鋏を入れられたローズマリーの株は、無惨な姿になっていた。
「あ……あぁ、大丈夫よ。ちょっと切りすぎちゃったけど、ローズマリーって強いから、またどんどん枝が出てくるわ」
慌てて笑顔を作ってごまかしていると、坂道を上ってくる馬車の音が聞こえてきた。勢いの足りない老馬の足音と、派手に軋む車輪の音は客の馬車ではない。
「あ……、誰か帰ってきた! 兄さんかしら?」
エプロンを払って立ち上がると、轍の向こうに馬車の姿が見えた。御者台で馬を操っているのは兄のノエルだ。
「よぉ! ロラ。ヴィオ。元気だったか?」
ノエルは妹とヴィオレットの姿に気づくと、馬車を二人のすぐ前に止めた。そして、荷台に乗っていたアンヌに「先に行ってくれ」と声をかけ、馬車を降りた。
「ローズモンド様の方は、もういいの?」
「やれることは、やった。ジョゼを使用人として潜り込ませてきたから、何かあれば連絡してくるだろう。おやじたちの方は?」
「まだ、何も連絡はないわ」
「そうか」
ノエルは話しながら、きょろきょろと辺りを見回した。ロラの近くに必ず一緒にいた、背の高い銀髪男の姿が見当たらないことを不思議に思う。
「お? あいつは、いないのか?」
事情を知らない兄がなにげなく口にしたその言葉に、ロラは胸をえぐられた。
「あ……」
いないと言われ、そうであることを強く実感する。
デューはもう、ここにはいない。
「お、おい。どうした?」
胸を押さえて俯き、身体を小刻みに震わせている妹に、ノエルがぎょっとした。焦って身を屈め顔をのぞき込もうとしたが、それより先に、ロラが兄の胸に飛び込んだ。
「おわっ?」
ノエルが反射的に、妹の背中に両腕を回して抱きとめた。
固くごつごつした胸板と、丸太のような腕。幼い頃から、何があっても自分の味方になってくれた、優しく頼もしい存在。
「おい、ロラ。どうした。何があった」
兄にもう一度聞かれたが、答えることなどできなかった。
デューと別れた朝にも、その後にも、決して流すことのなかった涙が、勝手に溢れてくる。歯を食いしばってこらえようとしても嗚咽が漏れる。
妹の涙の理由が分からず、ノエルがうろたえていると、ヴィオレットがやっと聞こえるような小さな声で話し始めた。
「あのね。デューが帰っちゃったの」
「は? 帰ったって、どこへ?」
「えーとねぇ。どこか遠くのお城……?」
「城ぉ? ……いや、その話は後でいい」
ヴィオレットの説明に硬直した妹を腕に感じ取り、ノエルはこの場で事情を聞くことをやめた。
「お姉ちゃん。寂しかったんだよね。辛かったんだよね。ずーっと我慢してたんだよね」
ヴィオレットはいつもロラに言われている言葉を口にして、ノエルの腕の中で泣きじゃくる背中に、小さな手を伸ばした。「いい子ね」と囁きながら、ゆっくり背中をさする。
「そうか。頑張ったんだな、ロラ」
ノエルは片腕で妹をさらに抱きしめ、もう片方の手で、自分と同じ色の髪をわしわしとかき混ぜる。
少々荒っぽい大きな手と、優しい小さな手が、ロラの涙を誘い心を癒していく。心の中に抱え込んでいた重く固い塊が溶け、温かな思いに満たされる。
あの人の周りにも、こんなふうに支えてくれる人がいるといい……。
だけどそれは、望みが薄い気がしていた。




