ロラ、君は女の子なのに
朝食後、デューと二人で薬の作業部屋に行くと、床に広げた敷物の上でドロテが作業をしていた。乾燥させた薬草の莢を二つに割って、中に入っている砂粒のような種を、小さなへらでかき出している。
「おお、お前たち、いいところへ来てくれた。手伝っておくれ」
老婆は作業の手を止め、しわしわの顔に笑みを浮かべて二人を手招きした。
彼女の横には、乾燥させた草の根の束や、数種類の木の実も準備されている。部屋の隅でぐつぐつと煮えている釜から、独特の臭いが立っている。
「夏風邪の薬を作るの?」
「そうじゃ。今年は流行りそうじゃから、早めに準備しておかんとな」
ロラが棚から道具を取り出し、二人は莢の山を囲むようにして床に座った。
「ほら、こうやるの。莢の欠片が入らないように気をつけてね」
ロラが一度やってみせると、デューは小さく頷いて、早速作業に取りかかった。
こんな単調で根気がいる仕事は、短気な兄は大の苦手だったが、ロラは嫌いではなかった。曾祖母がいつも話してくれる、大魔術師の武勇伝が楽しみだからだ。しかし、今日はデューと話すためにここに来た。
「ねえ、昨晩、兄さんと何かあった?」
年寄りの長い話が始まる前に、さりげなく話を切り出した。
「ん……。昨晩、ヴィオが泣いたとき、ロラがいなかったことを、彼が不思議に思ったらしい。そこに僕が行ったものだから……」
「うわぁ。また誤解されちゃった?」
「うん。君と逢い引きしていたんだろうって、さんざん問い詰められて……朝になった」
デューが作業を続けながら、あくびをかみ殺した。おそらく、昨晩はロラ以上に寝ていないだろう。こんな単純作業は拷問かもしれない。
「ごめんね。あたしが外に出なきゃよかったのよね。そうしたら、ヴィオも泣かなくてすんだのに……」
「でも僕は、あのとき君が来てくれて、嬉しかったよ」
え?
ロラは驚いて顔を上げたが、デューは俯いたまま、せっせと作業を続けている。
目を見開き、頬をほんのり染めたロラを、曾祖母だけが目を細めて見ていた。
「ヴィオがああやって泣くのは、いつものことだって、ノエルが言っていたけど?」
さっきの台詞は聞き間違いだったかと思うほど、デューが淡々と言葉を続ける。
「うん。あの子は、夜、一人では眠れないの。夜中にあたしがそばにいないと、お姉ちゃんが誰かに攫われたと、思っちゃうらしくて」
「攫われたって……?」
「実はあの子、あたしの本当の妹じゃないの」
「え? ……ああ、そうなのか。君とノエルは似ているけど、ヴィオとは全然似ていないって思っていたんだ。ロラのご両親とも似ていないし」
「そうね。あの子はこの家の誰とも、血のつながりはないもの……」
ヴィオレットがカントルーヴ家に引き取られたのは、一年半ほど前のことだった。それまで彼女は、彼女の姉と二人で、町の市場近くで暮らしていた。
三年前に両親を相次いで亡くした二人には身寄りがなく、当時十八歳だった姉が、市場で働きながら、年の離れた幼い妹の面倒を見ていた。
そして一年半前の晩秋。貧しい姉妹が、寒さを凌ぐために抱き合って眠っていると、二人の住む小さな一軒家に、数人の男が押し入った。そして、妹に刃物を突きつけて人質にし、姉を無理矢理攫っていったのだ。
幼い妹は、どれほど怖い思いをしたのだろう。どれほどの絶望を味わったのだろう。
「ヴィオのお姉さんは、すごく綺麗な優しい人だったわ。素敵な恋人ができて、もうすぐ結婚するはずだったのに……あんな」
ささやかな幸せを掴めるはずだった姉も、どれほど無念だっただろう。どれほど辛い思いで、かわいい妹と引き離されたのだろう。
すっかり作業が止まってしまったロラの手から、薬草の莢が滑り落ちた。細かな黒い種が床にぱらぱらと散らばる。
デューはロラのすぐ側ににじり寄ると、心配そうに顔をのぞき込んだ。
「ロラ……大丈夫?」
「うん……」
ロラはふうっと息をつくと、話を続けた。
ヴィオレットはその後、姉が働いていた果物店の老夫婦に引き取られた。しかし、姉を攫われたショックで、食事を全く取らず、夜はほどんど眠らずに泣き叫び、日に日に衰弱していった。途方に暮れた老夫婦が、ドロテのもとに相談に訪れたことで、哀れな少女はこの家に引き取られることになったのだ。
ロラはそれ以来、ヴィオレットの姉代わりをしている。
今ではすっかり元気を取り戻したように見えるヴィオレットだが、未だに、夜は一人で眠ることができない。あの日の衝撃的な経験は、幼い心に容易には消えない大きな傷を残したままなのだ。
「ヴィオのお姉さんは、戻って来なかったんだね」
「うん。あの子には話せないでいるんだけど、事件の十日後、二人の女性と一緒に、湖に捨てられているのが見つかったの。全員、白いドレス姿で、胸を刃物でひと突きにされて殺されていたわ」
「誰がそんなむごいことを……」
予想以上の凄惨な結末に、デューが唸った。
「彼女たちは、悪魔召還のための生け贄になったのよ」
「生け贄……?」
古くから伝えられる悪魔との契約は、自分の寿命や死後の魂を代価として成されていた。しかし、別の人間を生け贄とする手法が編み出されたことにより、若い女性が犠牲になる事件が頻繁に起きるようになった。
「若い娘が三人も必要じゃったところをみると、呼び出されたのは、おそらく上級の悪魔。わしらも手を尽くたのじゃが、何の手がかりも見つけられんかった」
「許せないわ。自分の欲望のために、他人を犠牲にするなんて」
ロラは自分の膝の上に置いた両手で、エプロンをぎゅっと握りしめた。
黒魔術師や悪魔を崇拝する人々は、発覚すれば異端審問にかけられ処刑される。しかし、見つからない限り、自分自身は何一つ犠牲を払うことなく、富や名誉を手にし、快楽の中にのうのうと暮らしているのだ。
「あたしは、世の中から悪魔信仰を失くしたい。黒魔術師を一掃したいの!」
「気持ちは分かるけど……。それは危険なことじゃないのかい?」
「大丈夫よ。この家に魔術師の術が代々受け継がれているのも、あたしのような能力者がこの家に生まれつくのも、きっとそのためなのよ」
デューの青く澄んだ瞳が不安に揺れ、ロラの膝の上に置かれていた両手を強く握った。
「だけど……。君が危険な目に遭うのは、嫌だよ。ロラ、君は女の子なのに」
彼の真剣な言葉に、ロラが目を丸くした。
ロラの魔術師としての能力は、今では曾祖母を超えて、一族の中で一番高い。強い悪霊や悪魔に対峙するのは、必然的にロラの役目となっていた。だから、危険に向き合うその身を案じてくれる人は多いが、それはかけがえのない家族として。あるいは、志を同じくする仲間として。
——君は女の子なのに。
こんな風に、女性として無条件に気遣われたことなど、あっただろうか。
「ち、ちょっと待って。え……あの……そんな。女の子だから……っていって、も……」
間近からじっと見つめてくる彼の顔は、思わず見とれるほどに綺麗で、両手をすっぽり包むように握る手は大きくて温かい。今まで知らなかった何かが、自分の中から引っ張り出され、白い頬を赤く染めていく。
やだ……。どうして、顔がほてってくるの?
「顔が赤いよ。熱があるんじゃ……」
デューの目にも、ロラの異常は分かったらしい。心配そうに眉をひそめた彼の顔がさらに近づき、一方の手がロラの頬に伸びてきた。
え? 待って! やめて。触らないで……。
そう思っているのに口に出せない。身体が硬直して動けない。彼から目がそらせない。
「ほれ。今年できたばかりのティヨルの花茶じゃ」
すぐ近くから聞こえたその声に、彼の手が止まり、視線が声の主に向いた。
ほっとしたロラも顔を向けると、いつの間にか席を立っていたドロテが、二つのカップを持って、自分たちをのぞき込んでいる。
「ば、ばあさま。あの、これは……」
焦って姿勢を正すと、言い訳のような言葉をしどろもどろに口にする。
ノエルだったら発狂しかねない光景のはずだが、老婆は楽しげな笑みを浮かべて、二人の前にぐいとカップを差し出した。
「まあまあ、とりあえず飲みなされ」
色あせた若葉と花が浮かんだ淡い金色のお茶から、ふわりと甘い香りが立ち上る。
「これを飲んで落ち着いたら、黒魔術師よりもまず、この薬草を一掃しておくれ。これじゃあ、いつまでたっても薬にならん」
デューは礼を言うと、カップを両手で受け取った。
「ああ、いい香りだ。ねえ、ロラ」
ロラはカップの中身を見つめたまま、顔も上げられないでいるというのに、彼の方は普段と全く変わらない。きっと、ふわりとした笑みを浮かべて、こちらを見ている。それを確認することはできそうにないが。
「う、うん」
ごまかすようにカップに口をつけると、幼い頃から親しんできた優しい香りが全身に染み渡っていき、少しずつ落ち着いてきた。
「お前さんたち。明日からしばらく、ここで調薬の手伝いをしておくれ。作りたい薬がたくさんあるからのぉ。ノエルには、わしからよぉく説明しておくから、心配はいらんよ」
曾祖母はそう言って、ロラに意味ありげに目配せした。




