中身のはいっていない、お饅頭。
「何をなさっておいでですかと」
「うん? セナを迎えにきたのだが」
「いまさら、何なんです。エロ天帝」
エロ。
聞き間違いじゃ、ないんですかね。
使者でも料理人でもなく。
エロかよ。
天地神明、あらゆる神霊をすべるのが天帝だって。
そんなお方がとある民家で鍋を振り、エロ呼ばわりされてにこにこしてるなんて、どう考えてもニセモノじゃ?
雨が強くなってきた。
「セナ、きれいになったな」
頬が熱くなるんですけど。
お姉さん、エロってあなたが呼んだのに。
エロが好きなんですか。
もしかして、この方、本名がエロってこと。
エロ天帝さんは、うれしそうにまた笑った。
「おまえにそう呼ばれると、自らが何者か、まざまざと思い出すよ、セナや」
「ゆくなら、わたしのもとではなく、サト様のところへ。おばあさまは、病も篤いのです」
「サトはまだまだ長生きするよ」
「まことですか」
「まこともまこと。心配なのは、おまえだよ、セナ」
エロ天帝さん、むしあがった大きなお饅頭を、お姉さんに放り投げた。
キャッチ。
あつ。あつ!!
しかも、中身なにも入ってません。
ただのお饅頭。
「おまえの嘆きを聞いたのだ。だからこそ、こうして待っていた。約束で、わたしは王宮には行けないからね。おまえが出向いてくるのを待っていたというわけだ」
怪しい男がお姉さんの知り合いのエロ天帝さんという事実に、ほかのみなさんはポッカーンとしてますけど。
副隊長さんは、いぜんとして、警戒してますよね。
「さめないうちに、食べなさい」
怪しい男の作ったものなど食えるか、と言わんばかりに顔をしかめた副隊長さん。ほかの人たちは、おあずけを解かれるのをまつワンコみたいに、お姉さんを見てます。
視線が痛い。
「食え。この方の飯はうまいぞ」
「は!」
従者に選ばれたのは、けっこう若い人たちだ。やっぱり、ナンタラいう豆だけじゃ、足りませんよね。
「ほら、セナもお食べ。おまえのために作ったんだよ」
となりの椅子をひいて、エロ天帝さん、手招きしてる。
お姉さんは、おとなしく座ると、目の前に差し出されたネギをみつめた。
「ネギは、ちょっと」
お姉さん。好き嫌いはいけませんよっ。
空腹は最高の調味料。ネギの辛さもなんのそのですよ。
私、ネギ大好きなんだけど。
「ネギ嫌いは治らぬようだな」
「苦いので、ふだんは避けております」
部下たちが見てますけど。
えっ、ネギ食べらんないの、隊長。みたいな。
いいんですか。
「はい、あ~ん」
「しません」
男の人が箸をきれいに持つのって、いいよね。
長い指で、ネギとにんじんの細切りにしたのを、食べさせてくれるんだよ。食べようよ、お姉さん!
「おまえの内にいる子は、欲しくてたまらないようだがね」
そう。ください。
それが、食べたいんです。
甘酸っぱい肉の汁がからみついてるネギをください。
「おまえは、食わず嫌いが多すぎる。苦いというなら、食べたことがあるのだろうね?」
お姉さん、言葉に詰まった。
「いいえ。ですが、事実でしょう?」
え、お姉さん、ネギ食べたことないんですか?
ネギ。
ネギをゆでて、酢味噌であえたネギぬた。
すきやきの影の主役、肉を引き立てるネギのほんのりとした辛み。
私の大好きなおみそしるには、かかせないし。
納豆に刻んだネギをいれて混ぜてると、香りが立ってきて、すごくいい。
主役じゃないんだけど、欠かせない存在ですよ。
「あ~ん」
ねえ、エロ天帝さん。
ネギはたしかに美味ですけど。
食べたいですけど。
いやがる人に、むりやり食べさせるものでもないと思います。
ほら、部下の手前もありますし。
食べさせてもらうのもだいぶ恥ずかしいと思います。
あ、わかった!
はずかしがるお姉さんをいじめようってコンタンですか。
副隊長さんが、すっごく不機嫌な顔で見てますけど。
部下のみなさんも、箸を動かす手が止まっちゃってます。
「セナ。ネギは、ネギである」
金色の目で、じっとみつめられると、なんだかぼうっとする。
お姉さんは目をそらそうとしたけど、ほっぺたをつかまれ、真っ正面を向かされた。
エロ天帝さんの差し出すネギが、すぐ目の前にある。
「口にして、まずければ、それでよい。しかし、おまえは食べずに嫌う。万事がそうだ。自分でも、気づいているだろう? おまえに刻まれた好悪の感情が、よそ事のように感じられるときがあると。おまえは、一つ一つ確かめねばならぬのだ。ネギを食え。そうして、知りなさい」
ただの食わず嫌いが、壮大な話になってますけど。
「この世はすべて陰と陽でなりたつ。天門の理も、当然そこに含まれる。おまえの弱点は、他者を受け入れぬこと。一人の世界に閉じこもり、他者をつねにしめ出す」
「やめてくれ。わたしは」
「大妃がしかけた罠のひとつだ。開かれるべきおまえの門に鍵をかけ、その鍵を遠くに捨てた。遠く、遠くだ」
大妃さん、昔、お姉さんを側に置いてたことがあったって。そういってなかったっけ?
エロ天帝さんは、お姉さんの口の中に、ネギをポイと放り込んだ。
吐きそうになる。
お姉さん、落ち着いて。
大丈夫ですからね。
ほら、甘いでしょ。
よっく噛んでみてください。
おいしいじゃないですか。
香ばしくて、ちょっぴり辛くて、あまい。
苦いのだって、ほんの少しです。
ごくん、と飲み込むと、何かがこみ上げてきた。
涙。わ、泣くほどいやでしたか?
「おいしい」
よかった。
おいしい、でしょ。
もっと食べましょうよ。
ほら、お箸持って。ね。
「あ」
食べ盛りの男たちにとって、征服するにはあまりにたやすい山だった。
ネギの山。
もうありませんから! 残念っ。
泣きたい。
「一口でじゅうぶん。あとで、たんとごちそうしてやろう」
エロ天帝さんは、立ち上がった。
「さすれば、参ろう」
手を差し出す。
お姉さんは、箸を持ったまま、ぼうっとして見上げていた。
「隊長」
副隊長さん、心配そうにしてる。
「さあ、おいで」
「我らは、厦にゆかねばならぬのです」
「厦に、その胸元の書状を届けて、なんとする」
お姉さん、胸に手を当てた。
「王様をお守りし、大妃をこらしめまする」
「今のおまえに、がらんどうのおまえに、何ができる」
中身のはいっていない、お饅頭。
なんだろう、見てると胸が、苦しい。
エロ天帝さんは、両腕でお姉さんを包み込むように抱きしめた。
「白い糸は、門と鍵をつなぐ。今こそ、開かれるときだ」
お姉さんの腰に差した黒塗りの鞘から、エロ天帝さんは短刀を引き抜いた。
ほんの数秒、お姉さんをじっと見下ろした。
「頼んだ」
苦しく、切ない声だった。
左の胸に、くもりのない刀の切っ先が吸い込まれていく。
胸元にひろがる血。
お姉さんが絶命したのは、あっという間のことだった。




