4-3.お好み焼き屋さん2
―3―
鉄板も十分温まったことだし、和隆はお好み焼きの具材が入ったボールを手に取った。お好み焼き作りを開始する。
それを見て遥が言った。
「私がやろうか?」
「ん、出来るの?」
「関西育ちやからねー。タコ焼きとかお好み焼きを作らせたら、ちょっとしたものですよ」
彼女は自信ありげに胸を張っていた。
「じゃあお願いしようかな」
和隆はボールを手渡した。
遥は素早い手付きでボールの中の具材をかき混ぜ、タネを作った。
熱した鉄板の上に薄く油を敷き、静かにタネを流し込む。ヘラを巧みに操り、生地を綺麗なまん丸に広げた。じゅーっという耳心地の良い音が小さく響く。
「お好み焼きはな、引っくり返すタイミングが一番大事やねん」
彼女は両手にヘラを握り、この道一筋三十年の職人さんのような真剣な眼差しで鉄板の上を見詰めていた。
遥の長い髪が前に垂れた。
彼女はそれを邪魔そうにかき上げ、耳の後ろに引っ掛けた。背中の方に髪を流す。
テーブルに肘をついてその様子を観察しながら、和隆は何気ない口調で遥に尋ねた。
「春川ってさー、髪長すぎじゃないか?」
遥は目を寄り目にしつつ、上目遣いに自分の前髪を見上げた。
「……そうかな?」
「そうだよ」
彼女はとても艶やかで綺麗なストレートの黒髪をしていたが、髪型がちょっとアレだった。
背の肩甲骨辺りまである長い髪は伸ばしっぱなしで毛先がバラバラだし、前髪も目元が隠れそうになるほど長かった。髪の量も多いし、見方を変えたらちょっとした貞子である。
まるで髪の毛で顔を覆い隠そうとしているみたいだった。後一ヶ月もすると、完全な前髪っ娘、目隠れっ娘になるかもしれない。
「髪切らないの?」
「うーん……」
尋ねかけると、彼女は渋い声を出して難しい表情を作った。
何か、今の髪型にこだわりでもあるのだろうか?
「バッサリ切らないにしても、毛先を軽く切り揃えるとか。リボンやゴムで縛るとか」
「私には、どうせ似合わないよ」
彼女は曖昧な表情を浮かべていた。謙遜するように首を振る。
「そんなことないって」
和隆は腰を持ち上げ、遥の後ろに回り込んだ。
「ちょいと失礼」
もし髪型を変えるとしたらどんなのが似合うだろうと、勝手に彼女の頭を弄り始めた。
長い髪を一つにまとめて、後ろで縛ってポニーテールにしてみた。
次いで、可愛らしくツインテールにしてみる。
あるいはカチューシャ等で前髪を持ち上げて、おでこを出させてもいいかもしれない。
和隆は遥の前髪をかき上げ、おでこを露出させた。隠れがちな彼女の顔を露わにさせる。
烏の濡れ羽色をした彼女の髪は、触るとシャンプーのCMのようにサラサラとしていて手触りが良かった。
「いっそ思い切ってショートカットとかどうよ? 春川は短くしても、似合うんじゃないか? うん……ショートでもいける気がする」
遥は小首を傾げながら尋ね返した。
「そう、かな?」
「うん。つーか、単に俺がショートカット好きなだけなんだけどな」
昔から、なんとなくショートカットの女の子が好きだった。活発的というか、快活な感じがして。
とにかく、どんな髪型にしても彼女には似合うだろうと思われた。なにしろベースがいい。
「いっそ切っちまえよ。邪魔くさくないか? 量も多いし」
「というか……いつまで触ってるつもりなんよ?」
好き勝手に遥の頭をいじくって、「パイナップルヘアー」などと遊んでいると、彼女はくすぐったそうに身をよじった。
「止めてぇや」
若干頬を染めながら、照れくさそうに両手で頭を押さえた。髪の毛をおでこに撫でつけ、顔を隠す。
「ごめんごめん」
和隆は笑いながら自分の席に戻った。
「私は別に、このままでいいよ」
「美容院で毛先だけでも切り揃えてもらえばいいのに」
それをするだけでも、大分見た目も変わるはずだ。
「……あんまり遊んでると、お好み焼きが焦げてしまうよ」
遥は会話を切り上げるように言い、鉄板を見下ろした。
鉄板の上では、お好み焼きの生地の周囲が狐色に焼け始めていた。
☆
「そろそろかな……」
遥は呟き、シャキーンと両手にヘラを構えた。真剣な瞳をしてお好み焼きを睨みつける。その様は、なんだかこれから一勝負行う女賭博師のようでもあった。
和隆は遥に尋ねた。
「大丈夫か? 一人で引っくり返せる?」
お好み焼きは結構な大きさに広がっていた。女の子が一人で引っくり返すのはかなり難易度が高そうである。
「まあ見てて」
遥は両手に持ったヘラをお好み焼きの下に潜り込ませ、精神を集中させるようにふぅーと息を吐き出した。
次の瞬間、「やぁっ!」と裂帛の気合いと共に、手首を返した。
くるんと見事にお好み焼きがひっくり返る。
「おおぉ」
和隆は素直に感嘆し、パチパチと拍手をした。
「どんなもんよ?」
彼女は少し自慢げに胸を逸らしていた。
「うん、すごいすごい」
和隆は裏面も良く焼けるようにとお好み焼きを上から押し付けようとしたのだが、それを見た遥が、不正でも見つけたかのように「あっ!」と鋭い声を上げた。ちょっと待ったと止められる。
「なんだ、どうした?」
「駄目だよ、そんなことしたら。空気が逃げて、フワフワ感がなくなってしまうよ」
「ん、そうなの?」
「色々とコツやタブーがあるんよ。庶民的で簡単そうに見えても、これでなかなか、奥が深いんだよ? お好み焼き作りは」
まるで考古学でも語るような顔をして説法された。
さすが粉もの文化圏から来た人だ。色々とこだわりがあるらしい。
「ははぁ、勉強になります」
「食に命懸けてるからね、あっちの人は」
「お好み焼き一枚焼くのにも命懸けかよ。すげぇな、おい」
「お好み焼きを上から押し付けようものなら、その人自身が熱せられた鉄板の上に押さえつけられることになります」
「怖ぇよ、どんな拷問だよ」
自分が下手に手を出すより、彼女に一任した方がよさそうだ。和隆は大人しくヘラを置いて完成を待った。
その後、遥お手製のお好み焼きが完成した。
「マヨネーズってかける?」
「うん、頼んだ」
遥は両面焼き上がったお好み焼きにソース、マヨネーズをかけ、その上に青のりやカツオ節やらをふんだんに振りかけた。さらに、オマケしてもらった卵でプリプリの半熟目玉焼きを作り、お好み焼きの上にそっと乗せる。
「はい、出来ましたー」
「おお、美味そう!」
このままメニューの写真として使えるんじゃないかというほど、彼女の作ったお好み焼きは見栄えもよく美味しそうだった。生地の上でカツオ節がゆらゆらと踊り、立ちのぼる湯気が食欲をそそる。思わず腹の虫がぐーと鳴った。
「食べやすいように先にカットしてしまうね」
遥はヘラを使って、お好み焼きを格子状に細かく分け始めた。
それを見て、和隆は首を傾げた。
「あれ、そういう風に切るんだ?」
「え? 他にどうやって切るっていうん?」
「ピザとかケーキを切るみたいに、こう、放射状に……」
身振り手振りを加えつつそう説明すると、彼女は信じられないという風に目を見張っていた。
「嘘ぉ~!?」
「いや、嘘ぉ~って言われても困るんだけど」
自分の周りではそういう人間が多かった。
「関西だと、大抵格子状に切るよ。サイの目状っていうか」
「そうなんだ?」
またも意外な所で地域差が出た。
「端の方から食べていけば、厚くなって火が通りにくい真ん中の部分も最後においしく食べられるし、それに……」
遥はお好み焼きの焼き方や切り方についてとつとつと語り始めた。本当にお好み焼きが好きらしい。
「お好み焼きはおかずですよ? お好み焼きと一緒にごはんを食べるねんから」
「それこそ嘘だろ?」
軽くドン引きした。なんという炭水化物祭り。
☆
それはともかく、実際に食べてみることにした。
二人揃っていただきますと手を合わせる。
遥はヘラを食事用の小さな物に持ち替えた。カットした一切れをヘラですくい取って、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。
そしておもむろに、お好み焼きの乗ったヘラを和隆の方に差し出してきた。
「はいどうぞ」
「ん、何が?」
「たぶんうまく出来たと思うんやけど、味を確かめてみて?」
彼女はとても純粋で無邪気な表情をしていた。あどけない顔をして、和隆に味見を要求してくる。
和隆は半ば呆気に取られたような表情をして、遥のことを見詰め返した。
「……マジか?」
これは俗に言う、お口あ~んというやつではないだろうか?
男子の憧れ、お口あ~ん。
しかも手料理。
……いや、正確には店の料理だけど。
和隆は無意味にしゃちほこばってしまった。
(こいつ、狙ってやってるのか……?)
一瞬からかわれているのだろうかとも思ったが、天然っぽかった。彼女は不思議そうな顔をして、戸惑っている和隆のことを見詰めている。
「ん? どうかしたん?」
「い、いや……」
和隆は首を振った。
まあ、彼女が直接食べさせてくれるというなら、自分はただその恩恵を賜るのみである。
「あーん……」
若干の気恥しさを感じつつ、和隆は大きく口を開けてテーブルから身を乗り出した。
が、その時。
ふと視線を感じて、和隆は横手を見た。
和隆らのテーブルの側に、店主のおじいちゃんがしゃがみこんでいた。
テーブルの端から目から上だけを覗かせて、じーっとこちらの様子を観察していた。和隆らのことをガン見している。
「いやぁ、いいですなぁ~。青い春ですなぁ~」
おじいちゃんはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
「うおぃっ!?」
和隆は驚いて、反射的に乗り出していた体を引っ込めた。
半ばどもりながら尋ねかける。
「な、なんだよじいちゃん!? なんでそんな所にいるんだよ!?」
「ここはじいちゃんの店だぞ? どこにいようと、じいちゃんの勝手じゃないか」
老人はなんら悪びれた様子もなく、むしろ開き直ったような口調で言った。ニヤニヤとにやけた顔をして、「やるじゃねえか、おい」と和隆のことを見詰めてくる。
「いいねぇ、鉄板も溶けるほどのアツアツっぷりだねぇ」
「テーブルのすぐ側で客のやり取りをガン見してんじゃねえよ!」
「いやぁ、若いっていいねぇ~。じいちゃんも若い頃は、死んだばあさんと……」
「だから人の話を聞けっての!」
こっちの話を無視して、おじいちゃんは勝手にしみじみと思い出に浸り始めた。
遥も遥で、「あ、おじいちゃんも一緒に食べますか?」などと言って、のん気な顔をしておじいちゃんにお好み焼きを差し出していた。
「やらんでいい!」
餌付けを阻止する。
ここにはボケしかいないのか。
「なんだよ、冷たい奴め」
おじいちゃんは小さな子供のようにブーブーと唇を尖らせていた。
「うるせぇ、いちいち出てくんな」
しっしっと手を振って店主のおじいちゃんを追い払う和隆。
「ったく、油断も隙もないんだから……」
やはり遥を連れてくる店を間違えた気がする。和隆はハァと深いため息を吐き出した。
おじいちゃんが離れていくのを確認した後、改めて実食である。
「はい、あ~ん」
相変わらず、遥はお好み焼きをお口あ~んと差し出していた。
こいつは計画犯じゃないだろうなと少し疑いたくなった。俺を悶え殺すつもりか。
和隆は照れて赤くなりながら、身を乗り出して遥の差し出すお好み焼きを頬張った。
「あーん……」
「どうかな?」
遥が小首を傾げて尋ねてくる。
「うん……うまい」
彼女の作ったお好み焼きは、掛け値なしにうまかった。
「なんだこれ、滅茶苦茶うまいぞ?」
和隆は不思議そうな顔をして鉄板の上のお好み焼きを見下ろした。
この店の味は熟知しているが、果たして、この店のお好み焼きはこんなにも美味だっただろうか?
オーバーリアクションで驚いている和隆を見て、遥は「そんなに?」と言って、嬉しそうに微笑んでいた。
「俺が作った時と全然味が違うなぁ。やけに生地がフワフワもちもちしている。具材は同じはずなのになぁ……」
店で出された物を元に作ったのだから、隠し味も何もないはずだ。焼く人間が変わるだけで、こうも味が変わってくるものなのか?
それとも、彼女が作ったものだから……彼女が食べさせてくれたものだから、こんなにも美味しく感じるのだろうか?
大切なのは何を食べるかではなく、誰と食べるか、という話。
和隆は大仰に頷いた。
「うん、すげーうまい。さすが本場仕込みは違うな。店を出せるぞ」
「いやぁ、それほどでも」
べた褒めすると、遥は頭をかきかき照れていた。