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車イス少女  作者: 君鳥
第四章 お好み焼き屋さん
18/23

4-2.お好み焼き屋さん


  -2-


 補習として出された課題をすべて片付けた和隆と遥は、職員室に寄ってから学校を出た。

 西の空には大きな夕日が雲の切れ間に覗いており、世界を茜色に染めていた。車イスの少女と、その後ろを押して歩く和隆の影が長く地面に伸びている。

 校門を出た所で和隆が言った。

「頭を使ったせいでお腹すいたなー。何か食べたい」

 ちらりと腕時計に目を落とす。このまま家に直帰しても、晩ごはんまでまだ少し時間があった。

「俺は寄り道していくんだけど、よかったら春川も付き合わないか? 何か食って行こうぜ」

「何かって?」

「んー、お好み焼きとか?」

 少し行った所に、学校帰りの学生たちがよく利用するお好み焼き屋さんがあるのだ。



「でも買い食いも寄り道もあかんよ。校則で禁止されてるし」

 彼女は真面目な委員長のようなことを言っていた。

「それに、私たち先生に怒られたばっかりやん」

「お前は真面目だなー。この真面目星人め。もっと人生をエンジョイしようぜ」

 和隆は甘言を弄して遥を悪の道へと誘いこんだ。

「大丈夫だよ。そこは先生たちの手が届かない治外法権だから」

「治外法権?」

「店主のじいちゃんが怖くて近寄れないんだ」

 遥は小首を傾げながら質問してきた。

「怖い人がやってるお店なの?」

「まあ、ある意味な。だから見咎められても無問題」

「ふーん……?」

「つーわけで食いに行こうぜ」

 和隆は車イスのグリップを握り、さっさと押して歩き出した。彼女の家とは違う方向に車イスを進ませる。



 車イスの上で、遥が言った。

「あの、私はまだ行くとは言ってないんですけど?」

「いいじゃん。一人で食べてもつまらないよ。お前も付き合え」

 半ば強引に彼女を誘う。

「……もぉ、しょうがないなぁ」

 口では「もぉ、しょうがないなぁ」などと文句を言う割に、彼女は何だか嬉しそうな顔をしていた。今にも鼻歌でも歌い出しそうな感じで、くしゃりと笑う。

「そこのお店って美味しいの?」

「うん、うまいうまい」


  ☆


 二人は『からくさ』という名のお好み焼き屋さんの前にやって来た。レトロな外観をした、こじんまりとした小さなお店である。お店の前には簾が斜めに張られてあり、グリーンカーテンとして植物のツルが巻きついていた。

 和隆は引き戸を開けてのれんをくぐった。

「こんちはー」

 お店の中は制服姿の学生や若者たちで賑わっていた。熱せられた鉄板の熱気と、お好み焼きの焼けるいい匂いが鼻孔をくすぐる。

「いらっさーい」

 エプロン姿の、頭の白いおじいちゃんが二人を出迎えた。

 車イスの遥をちらりと見下ろし、おじいちゃんは何気ない口調で遥に尋ねた。

「今は座敷の方しか空いてないんだが、大丈夫かね?」

「あ、はい」

 遥が頷く。

「そうかね。じゃあそちらにどうぞー」



 奥に案内され、和隆は車イスを座敷の所に横付けした。

「自分でいけるか?」

「ん、大丈夫」

 遥は座敷に手をつき、よいしょと体を持ち上げて、自力で座敷の方に移った。

 座敷の縁に腰かけて靴を脱ぎ、ずりずりと下半身を引きずって、鉄板付きのテーブルの前へと移動する。

 側に立って遥のことを見守っていた和隆は、ふと、何者かの視線を感じた。

(なんだ……?)

 何気なく店内を見回す。

 遥が席に着くまでの間、一瞬、ボリュームを捻ったように店内がすっと静かになり、店中の視線がこちらに集中していたような気がした。



 遥は座布団の上にお姉さん座りに座っていた。膝掛けをかけ直し、ブランケットで下半身を覆い隠す。

 和隆も靴を脱いで座敷に上がり、テーブルを挟んだ反対側に腰を下ろした。

 メニューを広げて尋ねかける。

「何食べたい?」

 関西風の物から焼きそばが入った広島風の物まで、メニューは豊富だった。トッピングも自由自在。もんじゃ焼きもメニューに載っている。

「家に夕飯もあるし、そんなに多くはいらないんやけど……」

「じゃあでかいの一つ頼んで二人で分けるか?」



 遥は何年も前から使われている古びた手書きのメニュー表を見ながら言った。

「ずいぶんと、値段が安いんやね?」

 お好み焼きの値段は、どれも子供のお小遣い程度の価格だった。これで採算が取れるのかよ、と心配になるほど値段が安い。

 店の常連である和隆が説明した。

「あのじいちゃんのスタイルなんだよ。学生さんからそんなに金を取れるかーって言って、開店以来ほとんど値段を上げてないらしい」

 このお店は、高齢のおじいちゃんが一人で経営していた。

 学生相手の小さなお店だし、今では儲けなんてほとんどないだろう。むしろ毎月赤字かもしれない。

 それなのに、このお店は何十年も前からこの場所で店を開き続けていた。お腹をすかせた学生さんたちのために。同じ味、同じ値段で。

 話し合いの結果、二人は豚やらエビやらがふんだんに入ったノーマルタイプのお好み焼きを注文した。

 


 遥は物珍しげに店の中をキョロキョロと見回して観察した。

 学生たちの楽しげな声が、狭い店内に響き渡っている。

 店は店主のおじいちゃんと同じで、いい感じに古ぼけていた。築数十年のレトロな建物。

 店の壁には、ポラロイドカメラで撮られた子供たちの写真が所せましと貼り付けられてあった。店にやって来た子供たち、学生たちが撮影して残していったものだ。中には何十年も前に撮られただろう古い写真もあった。すっかり日に焼けて、セピア色に変色している。

 まるでこの店の歴史を物語るように、あらゆる年代の子供たちの姿が、そこには収められてあった。美味しそうにお好み焼きを頬張っている姿が映っている。

 店の奥の方では、小学生くらいの少女が三人、顔を突き合わせて「もういいかな?」「まだじゃないですか?」「お腹すいた―」などと、ああでもないこうでもないと騒ぎながら、お好み焼き作りに悪戦苦闘していた。この店は基本セルフである。

 店内はとても和やかで温かく、アットホームな雰囲気に包まれていた。



 遥が感想を言った。

「いい感じのお店やね。初めて来たのに、なんだか懐かしい感じがする」

「ただ古ぼけてるだけ、って見方もあるけどな」

「学校の近くに、こんな所があったんだ……」

 遥は感慨深げに、物思いにふけるような静かな口調で言葉を続けた。

「赤坂くんと知り合っていなければ、私は……こんな所にこんな素敵なお好み焼き屋さんがあるなんて、知りもしなかったんやろうね。ずっと、家と学校を往復するだけの毎日を過ごしてたと思う……」

「よければもっと色々、紹介するよ」

 和隆はずっとこの町で暮らしてきた。この町のことは自分の庭のように知っている。

 そして彼女にも、この町を好きになってもらいたかった。

「うん……ありがとう」

 彼女は少し照れくさそうに笑い、こくりと小さく頷いた。


  ☆


 しばらくして、店主のおじいちゃんがお好み焼きの具材とヘラを持ってやって来た。

 頼んでもいないのに、なぜか生卵を二つ、小皿に乗せてテーブルに置かれた。

 和隆はおじいちゃんの顔を見上げた。

「あれ? 卵なんて頼んでないよ?」

「これはじいちゃんからのサービス」

「サービス?」

「お嬢ちゃんは、この店に来るのは初めてだよね? これからもご贔屓にね」

 そう言って、おじいちゃんは茶目っ気たっぷりに、遥に向けてぱちりとウインクをした。愛嬌のあるシワの多い顔に、さらに深いシワが出来る。



 おじいちゃんは座敷の縁によっこらせと腰掛けた。

 和隆の顔を見詰めながら、何やらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて、親しげに話しかけてくる。

「お前さんが女の子同伴でうちに来るなんて珍しいなぁ。いや、初めてのことか? 明日は雪が降るかもしれんなぁ、おい」

「うるさいなぁ。ほっとけよ」

 和隆はバツが悪くなって邪険に振る舞った。視線を逸らしてコップの水を飲む。



 おじいちゃんは遥の方に向き直り、彼女と話し始めた。

「お嬢ちゃん、お名前は?」

「春川遥です。はじめまして」

 遥は礼儀正しくぺこりと頭を下げた。

 おじいちゃんは目尻を下げて、うんうんと嬉しそうに頷いていた。

「うんうん、ちゃんと挨拶の出来るいい子だねぇ。大和撫子だねぇ」

 可愛らしい孫娘でも愛でるように、好々爺の表情を作る。

「喋りに方言があるね。 関西の人かい?」

「はい。この春こっちに引っ越してきて……」

「こっちの生活にはもう慣れた?」

「ええ、まあ。赤坂くんも、フォローしてくれてるし」

「そうかいそうかい。……で、君は和坊のコレなのかい?」

 コレなのかい? と言いながら、おじいちゃんはピッと右手の『小指』を立てた。

 何の前振りもなく、ナチュラルに下世話な話を振ってきた。

「ぶっ……!」

 あまりにもストレートな物言いに、和隆は思わず飲んでいた水を吹き出しかけた。



「二人はどこまでいったね? Aかね、Bかね。それともCかね?」

 おじいちゃんは「誰にも秘密にしとくから」という風に、人目を忍ぶように口元に手を当ててこそこそと話しかけてきた。

「ほれほれ、じいちゃんにちょろっと話してみ」

 遥は突然の質問に仰天し、頬を朱に染めながらブンブンと両手を振った。

「ええっ!? あ、あの、私たちはそういうんじゃ……!」

 和隆も声を荒げて叫んだ。

「どこまでもいったも何も、どこにもいっとらんわ!」

 いきなり何を言い出すんだ、このじじぃは。 

「なんだ、まだやっとらんのか。つまらん」

 おじいちゃんは心底つまらない、というような表情をしていた。ブーブーと唇を尖らせる。



「おい、いきなり何てことを言うんだ、じじぃ。ついに頭がバグったか」

 和隆はじろりと店主の老人をねめつけた。

 おじいちゃんはこっちの話を無視して、一人感慨深げにうんうんと頷いていた。

「Aもまだとはいえ、あの小さかった和坊にもついに彼女が出来たか……。こいつはめでてぇ!」

「いや、人の話を聞けよ」

「ついにお前さんにも春が来たわけだな。春川だけに」

「やかましいわ」

「お前にはもったいないべっぴんさんじゃないか。うん、可愛い可愛い。……まあ、うちの死んだばあさんには負けるけど」

「うるせぇ、さらっと嫁自慢してんじゃねぇよ」

「せっかくだ。記念に赤飯でも炊いてやろうか?」

「炊かんでいい! お好み焼き屋で何を売り出すつもりだ!」



 おじいちゃんはニヒルな笑みを浮かべながら、和隆の肩をポンと叩いた。

「鉄板の上で焦がすのは『お好み焼き』だけにしときな。『恋』を焦がしちゃあ、いけないぜ」

「いや、なに『俺うまいこと言った』みたいな顔してんだよ! 全然うまくないから! 何もかかってないから!」

「誰の頭がバグったって? まだボケとらんわ」

「遅せーよ、ツッコミ入れるの遅せーよ! 何個前のセリフだよ!?」

 二人は本物の祖父と孫もかくやという激しさでやり取りをしていた。遠慮なしの言葉の応酬を繰り広げる。

 和隆は必死になって言い返したのだが、老人は飄々とした顔で、こちらのセリフを右から左に受け流していた。何を言っても馬耳東風という感じで、ニヤニヤと笑っている。



「もうお好み焼きの材料は受け取ったんだから、あんたは用済みだよ。さっさと引っ込め」

 和隆はうるさいハエでも追い払うかのようにしっしっと手を振った。

「なんだよ、邪険にするなよ。じいちゃんと和坊の仲じゃないか」

「どんな仲だよ」

 鬱陶しげな顔をして眉間に深いシワを刻む和隆。

「それに、いつまでも人のこと和坊って呼んで子供扱いすんなよなー。こっちはもう、十八歳の大人なんだから」

 ため息を吐きつつ文句を言うと、彼は自慢げに胸を張って答えた。

「それがどうした。こっちは八十一歳の老人だぞ」

 目尻に深いシワを作り、ニッと不敵に微笑する。



 ざっくばらんにやり取りをする二人の顔をキョロキョロと交互に見比べ、呆気に取られたような顔をして、遥が口を挟んできた。

「二人はずいぶんと……仲良しさんやね?」

「まあ、小学生の時からこの店に入り浸ってたからな。すっかり顔なじみだよ」

「こいつの事なら毛が生える前から知っとるよ」

 おじいちゃんは和隆の頭をポンポンと叩きながら気安く言った。

「遥ちゃん。こいつに泣かされるようなことがあればじいちゃんに言いなさい。じいちゃんがこいつを泣かせてやろう」

 カッカッカと水戸黄門のように明るく笑う。

 もうこの老人には勝てる気がしなかった。



 このおじいちゃんは和隆が子供の頃からおじいちゃんで、ずっとこの場所でお好み焼き屋を経営していた。

 もう八十を過ぎているというのに、腰も曲がらず元気である。自分たちが老人になった時も、この人は相変わらずここでお好み焼きを焼いているんじゃないだろうかと思われた。

 この町で育った者の大半はおじいちゃんの店でお好み焼きを食べたことがあり、その大半がおじいちゃんの子供、孫のようなものだった。

 うちの学校の教師たちもそうだ。

「寄り道や買い食いは禁止されていると言ってるだろう!」

 そう言って見回りの先生が店に乗り込み、生徒たちを摘発しようとした事があったのだが、その時、おじいちゃんはその先生に真っ向からこう切り返していた。

「おうおう、中学の頃までおねしょをしていた坊主がずいぶんと偉くなったじゃねえな」

「お、親父さん……!?」

 四十を過ぎたベテランの教師も、おじいちゃんの前ではたじたじになっていた。

 子供の頃のあんな事やこんな事、色んな弱みや秘密を知られているので強くは言えない、頭が上がらないのだ。

「悪さをするでなし、いいじゃねぇか。仲間同士集まって、学校帰りに道草を食う代わりにお好み焼きを食って何が悪い」

「いや、しかし……」

「まあせっかく久しぶりに来たんだ。お前さんも何か食ってけ」

 最終的にその先生は、おじいちゃんに丸めこまれて、生徒たちと一緒の机でお好み焼きを食べて、一緒に帰っていった。

 おじいちゃんの前では、みんなが小さな子供に戻ってしまう。

 それ故に、このお好み焼き屋は教師も手を出せぬ学生たちのオアシス、治外法権なのだった。



「すみませーん!」

 向こうでお好み焼きを焼いていた小学生の三人組が、「おじいちゃん助けてー!」という風にヘルプを呼んだ。鉄板から黒い煙が立ち上っている。

「ほらほら、お呼びですよおじいちゃん」

 和隆はこれ幸いと、おじいちゃんを急かして追い払いにかかった。パンパンと手を打ち鳴らす。

 おじいちゃんは少女らを見て、好々爺の表情で目を細めた。

「あらあら、仕方がないな。今行くよー! ……じゃあ和坊、遥ちゃん、ゆっくりしていきなさい」

「はい、ありがとうございます」

「言われなくても居座ってやるぜ」

 和隆は憎まれ口を叩き、いーっと唸って老人の背中を見送った。


  ☆


「やっと行ったか、あのじじぃめ……」

 和隆は疲れたようにふぅとため息をついた。

「……なんか色々とごめんな、春川」

 遥の顔色を窺いながら謝った。いきなりAだのBだの言い出した時はどうしようかと思った。

「連れてくる店を間違えたな」

「ううん、そんなことないよ」

 彼女は愉快そうに微笑みながら、ふるふると首を振った。

 向こうで小学生にお好み焼きの上手な焼き方を教えている老人の背中を見詰める。

「優しそう、楽しそうなおじいちゃんやったね」

「楽しすぎてたまに困るぜ」

 人懐っこいというか、砕けた性格というか。あの人は初対面の人間でもお構いなしに、同年代の友達のようなノリで話しかけてくるのだ。

 しかし、なぜかそれが嫌ではなかった。どうしても憎めない。

 この店はひどく居心地が良かった。なんだか自分の家に帰って来たような気にさせられるのだ。

 おじいちゃんにさんざんっぱらからかわれて「もう二度と来るか、こんな店ー!」と思っていても、なぜかまた、自然と足を運んでしまう不思議な空間。時々おじいちゃんの顔を見たくなる。



 遥はおじいちゃんの背中を見詰めながら、感謝するような口調で言った。

「いい人やったね。私の足のことも……全然何も言わなかったし」

「ああ、そういえば……そうだな」

 おじいちゃんは一切遥の足、車イスのことには触れなかった。普通のお客さんと接するように、自然な感じで遥に話しかけていた。

「うん、やっぱりこのお店を紹介してもらってよかったよ」

 遥は新しいお気に入りを見つけたように、にこりと朗らかに微笑んだ。


  ☆


「……ありがとうね」

 話をしていると、唐突に遥にお礼を言われた。

「ん、何が?」

 和隆は首をひねって尋ね返した。

「私は今まで……この体になって以来、出不精な人間になってた。自分は足が不自由だからって、面倒くさいって言って、あんまり外を出歩こうとはせず、家に籠りがちになってた」

 遥は唐突に、そんな事をしゃべりだした。

 突然どうしたんだろうと思いながら、和隆は彼女の顔を見詰めた。

「……そうなんだ?」

 彼女は車イス生活者だ。

 町には色々と障害も多いだろうし、外出が億劫になるのも無理ないだろう。

「ここに引っ越してくるまでは、ずっと家と学校の間を往復するような……家と学校の間を往復するだけの毎日を送っていた。同じ道を行ったり来たりするだけの、平坦な日々。変わらない毎日」

 遥は自虐的な口調で語り、座敷の側に置かれた自分の車イスをちらりと見詰めた。

「赤坂くんと出会っていなければ、私の世界はもっと小さく、閉じたものになっていたやろうね」



 何だかアンニュイな表情をしてネガティブな事を言い出した遥のことを心配し、和隆は不安げな顔をして尋ねかけた。眉をひそめる。

「おい、いきなりどうした? 大丈夫か?」

「ん、大丈夫ですよ」

 遥は和隆の不安を中和するように、うんと頷いて明るい表情を作った。

 すっと背筋を伸ばして、姿勢を正す。

「私はずっと一人だった。一人で車イスを漕いできた。だけど赤坂くんは……そんな私の車イスを押して、色んな所に連れて行ってくれた。連れ出してくれた。君と出会ってから……私の世界には起伏が生まれ、奥行きが出来た」

 まるで祈りを捧げるような瞳をして、まっすぐに見詰められた。

「君と出会って、私の世界はずいぶんと広がったよ」

 そして彼女は、ひまわりみたいに、にこりと優しく微笑んだ。

「だから……ありがとう。私をそこから連れ出してくれて」



「そんなこと……俺は別に……」

 和隆は照れくさそうに鼻の頭をこすった。

 彼女と出会ってから、淡々と過ぎて行くだけだった和隆の日常に変化が訪れた。

 世界に色が付いた気がしていた。

 今まで勉強にも部活動にも打ち込めずにのらりくらりと生きてきたが、やっと自分の体の使い道が分かった気がした。

「それはこっちのセリフだよ」

 彼女の笑顔は、今の自分にはひどく眩しかった。

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