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第二十五話:殺意

無紋有沙の隠れ家がある敷地へとやって来た僕達は、車から降り、足元の悪い砂利道を歩いてそこへ向かっていた。


「スンスン…なぁマッド、なんか焦げ臭くねぇか?」


「どうせソフィの奴が、またチキンでも丸焦げにしてんだろ」


マッドとカルビンが僕達の前を歩きながら、相変わらず緊張感のない無駄口を叩き合っている。


「悪かったわね、料理が下手くそで」


冷ややかな声とともに、行く手の暗闇の中から、銃を構えた一人の女性軍人が足音もなく姿を現した。


「よぉソフィ! どうした、そんな物騒なモン握っちまって。そんな鉄クズより、俺のイカしたブツでも握ってくれた方が、お互いハッピーになれると思うぜ?」


「……セクハラ発言の現行犯で軍法会議に訴えられてみる? さっさと来なさい、ヤニカスども」


ソフィと呼ばれた女軍人は、心底うざそうに溜め息を吐くと、首を振って奥で微かに光る明かりの方へと僕たちを誘導し始めた。

隠れ家を完全に遮蔽しているのは、見渡す限り広大に広がるステレンボッシュのワイン農園。

この辺りは街灯の類が本当に一切ないため、手元の懐中電灯を消せば、一瞬にして世界が完全な暗黒に包まれてしまう。


「さぁ、みんな中に入る時は気を引き締めなさい。お嬢様は今、お怒りだからね」


ソフィに連れられて少し歩いた先に見えてきたのは、闇の中にぽつんと佇む巨大な豪邸だった。

だが、その威厳ある隠れ家の内部からは、現在進行形で凄まじい怒号と、何かが激しく衝突するような轟音が響き渡っている。

…おい、まさかもう襲撃でも受けているんじゃないだろうな。


「あー…中で一体何が起きてるんだ?」


「私にもさっぱり。どうやらジャパンから届いた何かの報せが原因らしいわよ」


不穏な空気を察し、僕たちは足音を殺して隠れ家のガラス窓から中を覗き込んだ。

すると、そこに居たのは、今回の護衛ターゲットである無紋有沙の姿だった。


「だから、一刻も早く日本に帰国しないといけないって言ってるじゃありませんか!なんで止めるんですの!?」


「落ち着けってお嬢。まだジェームスたちが戻ってきてねぇだろ。それに時間はもう夜だ。飛ぶにしても、せめて明日になってからだ」


「なんでよ!」


「今言ったろ理由!」


リビングの中で、有沙と現地の待機クルーが激しく揉め合っている。

窓の外から一列に並んでその修羅場を凝視する、不審な漆黒のコート集団。


「早く……」


低く唸るような声を漏らし、無紋有沙がその眼光を獰猛なまでに鋭く尖らせる。

そして、血が滲むほどに拳を強く握りしめながら、憎悪を押し殺すようにつぶやいた。


「早く…冷様を殺した、あの飯島肇とかいうクズを……私の手で八つ裂きにして殺さないといけませんのに…!!!」


――その声を。

その、明確な殺意の乗った名前を聞いた瞬間、窓の外の空気が凍りついた。


「「「「…………」」」」


全員の動きが、完全に硬直する。


「……なぁ。今、アイツ思いっきりハジメの名前を言ってなかったか?」


冷や汗を流しながら、轟が恐る恐る僕の顔を覗き込んできた。


「………」


僕は何も言わず、無言のまま、能力(織成)を発動した。

手元に一枚の茶色い紙袋を定義・生成し、指先で器用に二つの覗き穴を開けると、それを無音で頭からすっぽりと被った。



「ケイちゃーーーん!!」


防犯ロックが解除され、隠れ家に入り込んだ拝み屋と傭兵チーム。

先ほどまで鬼の形相で暴れていたはずの護衛対象――無紋有沙は、慧の姿を見るなり、まるで甘える飼い猫のように一瞬で表情を輝かせて飛びついた。


「お久しぶりですね、有沙ちゃん」


「有沙でいいですわ! レンも久しぶりですわね! ……って、なんかちょっと老けました?」


「そりゃ俺だって老けるわ。つっても、これでもまだ27歳なんだがな」


嘘だろ…30に見えるぞ。


「嘘でしょ……? 最低でも30に見えますわよ……」


「嘘だろ…? 俺、そんなに老けてるか……?」


有沙の容赦ない一撃に傷ついた轟は、窓ガラスに映る自分の顔を必死に確認しながら、すがるような目で僕たちを見てくる。

すると、その視線の動きで僕たちの存在にようやく気づいたのか、無紋有沙は一転して口をへの字に尖らせ、不機嫌そうな睨みをきかせてきた。


「で、誰なんですのコイツらは!」


あぁ、面倒なことになったな……。


「儂、魁! 阿久津魁じゃ! よろしくのぉアリサ? じゃっけか!」


「フン! なかなか見所がありますわね! 私の子分にしてあげてもよろしくてよ!」


スタートから主従関係を築こうとするんじゃない、このお嬢様は。


「で…そっちのノッポはなんですの?」


鋭いヘイトの矢印が、一気に僕へと向けられた。

コイツの不審者を見定めるような鋭利な視線が、ほぼ僕一人に突き刺さっている。

それもそのはずだ。

僕は割と身長がある方な上に、全身が黒をベースにした威圧感のあるトレンチコート姿。そして極めつけは、顔を完全に覆い隠しているこの『紙袋』である。どう客観的に見ても、不審者極まりない。


「と……徳得海…」


僕は咄嗟に、以前魁に教え込んでおいた偽名を口に出した。

その突飛な偽名を聞いた瞬間、慧と轟は「あ、察し……」という表情で口を噤んでくれたが、肝心の魁は一切の状況を理解していない。

だが、この窮地において、僕が飯島肇だとバレないための最大の鍵を握っているのは、他ならぬこの魁なのだ。魁は僕の本名を知らず、僕のことを本当に『徳得海』だと思い込んでいる。

これは最高に利用できる。


「カイ……? なんですのそれ、二人とも『カイ』じゃ名前が呼びにくいですわ! よし、決めましたわ。アナタが『カイ一号』、その紙袋が『カイ二号』よ! よろしくて!」


「わーい! 儂、一号!」


「……好きにしろ」


僕は喉の骨を鳴らして声を低く変え、なるべく正体が露見しないよう、最短で会話を終わらせようと身を引いた。


「そもそも、なんでアナタ、そんなふざけた紙袋なんて被ってるですの? 何か疚しいことでも隠してるんじゃないでしょうね!?」


「ッ……!」


僕はビクリと一瞬、身体を硬直させる。

くそ、なんて誤魔化す……?

そうだ、これしかない――。


「えっと…僕は、自分の顔が物凄く不細工なので……。人様に見せると、吐き気を催させてしまうと思って、配慮しているんだ……」


「え? そうかのぉ? カイの顔、別に普通じゃと思うけど。まぁ、ちょっと目つきは死んどるがの!」


黙れ魁。

今だけは、その口を閉じておいてくれ。


「ほら、本人が普通って言ってるじゃない! 本当の理由は何ですの!?」


「ま、まぁまぁ、有沙ちゃん。顔の造形なんて今はどうでもいいじゃないか。重要なのは、この後のスケジュールだよ。さ、立ち話もなんだから、座って座って」


「ちょっと、背中を押さないでくださいまし!」


見かねた轟が強引に会話の主導権を奪い、無紋有沙を奥のソファへと誘導する。

さすがは轟だ。

僕は最初からお前が一番頼りになる男だと信じていた。

いや本当に。


「じゃあ、これからどうする? 予定通りここで一晩明かすか? それとも、少し現地で遊んでいくかい?」


ソファの対面に深く腰掛けた轟が、努めて気さくに問いかける。

だが、無紋有沙の返答は一瞬だった。


「予定変更ですの。今すぐに日本へ飛びますわ」


「おいおい、冗談だろ? 外はもう真っ暗だし、フライトの遅延もあって全員が泥のように疲れてるんだ。移動は明日の朝に――」


「じゃあ、私一人で行きますわ! アナタたちが寝静まった後に、このリュックを持って一人で抜け出して、勝手に飛んでやりますわ!」


ソファの裏からパンパンに膨らんだリュックサックを引っ張り出してきた有沙は、そのまま今すぐにでも家を飛び出さんばかりの勢いで立ち上がる。


「なんでそんなに急いでおるんじゃ? 焦ってもいいことは一つもないぞ? 急がば回れって、儂の爺ちゃんもよく言っとった」


魁が不思議そうに首を傾げて問いかける。

その素直な問いに対し、無紋有沙は一瞬だけ足を止め、固く閉ざした唇を震わせた。


「……行かなくちゃいけないんですの。私がまだ小さくて無力だった頃、あの方…冷様は優しく手を差し伸べて助けてくださった…しかし冷様はあいつに…飯島肇に殺されたんですの。私が日本を離れている、この間に……! だから、私がケジメをつけなくてはなりませんの…」


有沙は、世界中の何よりも冷酷な『殺意』を瞳に宿し、言い放った。


「私が…この手で、あの人殺しの飯島肇を絶対に殺してやりますわ……!」


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