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帝国編 第十八話 空気の流れを

 ケルトとレイドは、館長に詰め寄っていた。


「どういうことだ!」

「お前、ロストが魔物だと知っていたんじゃないのか!? 魔物を匿うのは重罪だぞ!」


 館長は青ざめた顔で後ずさるばかりだった。額には脂汗が浮かび、口を開いても、うまく言葉が出てこない。


「ち、違う……! 私はただ、彼が歴史に詳しい人物だと……」


「ふざけるな。あんな化け物じみた魔力を放つやつを、歴史に詳しいだけで通せるかよ」


 レイドが吐き捨てるように言った、その時だった。


「その話は後にしていただきたい」


 低く、よく通る声が場に割って入る。


 振り向くと、白衣の上から濃紺の外套を羽織った男が、静かな足取りでこちらへ近づいてきていた。年の頃は四十代半ばほど。銀縁の眼鏡の奥の目は冷静で、周囲の混乱を前にしてもほとんど揺らいでいない。


「私は星見回廊研究所の所長、アスベルだ。事情は後ほど聞こう。だが今はそれどころではない」

 男――アスベルは、床に倒れ込んだリアへ視線を向ける。

「闘王リアを病院へ運ぶのが先だ。このままでは命に関わる」


 その一言で、場の空気が変わった。


 レイドは舌打ちしたが、リアの傷の深さを見れば反論はできなかった。全身に刻まれた傷、荒い呼吸、血に濡れた衣服。どれを取っても、一刻を争う状態だった。


「……ちっ。分かったよ」


「研究所の搬送用FLAを回してある。車両型だ。すぐに乗せろ」


 館の外には、黒鉄色の車体を持つ大型FLAが待機していた。通常のバイク型とは異なり、後部座席ではなく内部に人を乗せられる構造になっている。魔導機関の低い駆動音が夜気の中で唸っていた。


 ケルトとレイドは協力してリアを担ぎ上げる。巨体のはずの彼の身体が、今は妙に軽く感じられた。それがかえって不気味で、ケルトは唇を引き結ぶ。


「しっかりしてよ、リアさん……」


 返事はない。ただ、かすかな呼吸音だけが続いていた。


 アスベルは運転席へ乗り込み、短く言った。


「乗れ。話は道中で聞く」


 レイドとケルトは顔を見合わせると、そのままFLAへ飛び乗った。魔導駆動音が一段高まり、車体は勢いよく夜の街へ滑り出していく。赤い尾灯が博物館前の闇の中へ吸い込まれていった。


 一方その頃、カマルはサクヤたちとともに病院へ向かっていた。


 レイドとケルトが病院へ行った――その知らせを聞いたからだ。

 だが、それだけではない。


 右腕の痣が、じりじりと焼けるような熱を帯びていた。


 最初は気のせいかと思った。けれど歩くたび、その熱はむしろ強まっていく。皮膚の下で何かが脈打ち、呼応しているような、不気味な感覚だった。


 カマルは右腕を押さえる。


「……また、熱い」


「大丈夫なの?」とサクヤが不安そうに顔をのぞき込む。

「無理してない?」


「う、うん……大丈夫。ちょっと痣が熱くて」


「それ、やっぱり光の三極星と関係あるんじゃ……」


 サクヤの言葉に、カマルは曖昧に頷くしかなかった。

 関係がある。きっとそうなのだろう。

 では、何に反応しているのか。

 リアの傷か。ロストの魔力か。それとも、もっと別の何かか。


 答えの見えない不安を抱えたまま、それでもカマルは足を止めなかった。


 夜の街を駆ける。昼間の喧騒が嘘のように落ち着いた通りを、街灯の光が白く照らしていた。吐く息はわずかに熱を帯び、鼓動はいつもよりも速い。


 レイドたちは無事なのか。

 リアは助かるのか。

 そして、自分にできることはあるのか。


 その問いが、ずっと頭の中を巡っていた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 夜――。


 病院でひとまずの状況確認を終えた後、カマルとレイドはルークのもとを訪れていた。


 訓練場として使われているのは、ケルトが借りた探偵事務所用の部屋がある建物裏手の小さな中庭だった。土の地面が広がり、周囲を低い石壁と木々が囲んでいる。夜風が枝を揺らし、葉擦れの音がさやさやと耳に届く。


 月明かりは薄く、代わりに壁際へ灯された魔導灯が、淡い橙色の光で足元を照らしていた。


 レイドが自分から頼み込んだのだ。

 コガネから、ルークが武術を修めており、魔力を拳や武器に溜めて戦う術にも長けていると聞いたからだった。


 ルークは二人に木剣を差し出す。


「まずは、この木剣に魔力を込めてみようか」


「その、魔力の出し方がいまいち分かってないんですが……」


 カマルは頬をぽりぽりとかきながら、苦笑した。

 それを見たレイドが、横から木剣をひったくるように受け取る。


「お前は教えなくてもいいぜ。そのくらいなら俺が説明してやる」


「へえ。じゃあ聞こうかな」


 少し面白がるようにルークが腕を組む。


 レイドは木剣を肩に担ぎ、得意げに口を開いた。


「まず、この世に生きる人間……いや、知的生物には、だいたい例外なく魔力を生み出す体内器官みたいなもんがある。どこにあるかまでは知らねえけどな。そっから発生した魔力が全身に巡ってる、って考えりゃいい」


「うん、おおむねその通り」


「鼻につく言い方だな、お前」


「七十点」


「あと三十点は何だってんだよ……」


 レイドが露骨にため息をつく。ルークはその反応を気にも留めず、淡々と続けた。


「全員が魔力の存在を認識できるわけじゃない。たとえ感じ取れたとしても、それを日常生活に活かしたり、まして戦闘に転用するまでには修練が必要になる。レイド、君は警察学校時代に基礎くらいは習ったんじゃないか?」


「ああ。魔力を警棒に溜めながら、延々グラウンドを走らされたよ」


 嫌な記憶でもよみがえったのか、レイドは顔をしかめて冷や汗混じりに笑った。


「そういうこと。とはいえ、君たちはもう魔法が何たるか、そこまでは理解しているはずだ」


 ルークは木剣の切っ先をわずかに持ち上げながら説明する。


「魔力を身体の一部から放出し、魔術式を組み上げる。そして解号――火炎魔法や雷撃魔法といった、自分の魔力に適した詠唱を言葉として外へ出す。それが一般的な魔法の流れだ。

 今からやるのは、そのもっと手前。基礎の基礎だ。けれど、これがしっかりできれば、カマルとレイド、君たちの魔法の精度は確実に上がる」


「カマルはともかく、俺まで上がるってのがよく分からねえな」

 レイドは木剣をくるりと回した。

「俺はもともと警棒に魔力を込めて、魔力剣っていう打撃や斬撃を放てる武器を使ってる。基礎を極めたところで、何の役に立つってんだ?」


 ルークは一拍置いてから、静かに言った。


「光の三極星」


「あ?」


「ケルトから聞いたよ。レイド、君も目覚めたんだってな」


 レイドの眉がぴくりと動く。


「あの野郎……話したのか」


「レイド、君がカマルを心配して付き合ってくれているのは分かる。でも、それだけじゃない。君自身にも、ここで学ぶ意味があることを理解してほしい」


 レイドはしばらく黙り込んだ。

 やがて視線を逸らし、ぶっきらぼうに返す。


「……分ーったよ」


「よろしい」


 ルークはわずかに口元を緩めた。


「さて、レイドも納得してくれたところで始めようか。まずは、自分の魔力を認識することからだ」


 そう言って、ルークは夜空を見上げる。


「感覚としては、風や空気を感じることに近い。全身の肌が冷気に触れ、少し粟立つような、そんな感覚だ」


 カマルは言われた通り、目を閉じた。


 夜風が頬を撫でる。

 昼の熱を失った空気はひんやりとしていて、火照った身体に心地よかった。


 村にいた頃に感じた風とは違う。

 もっと乾いていて、どこか都会の匂いが混じっている。

 それでも、不思議と嫌ではなかった。


 ――いや、違う。


 カマルは小さく首を振った。

 風に当たって気持ちいい、で終わっては駄目だ。


 意識を切り替える。


 レイドとケルトは怪盗を捕まえるために奔走している。

 自分も手伝いたい。

 それに、彼らを守るためにも、自分はコロシアムへ出るのだ。


 そこでまともに戦えなければ、不完全な光の三極星を抱えたまま魔物と向き合うことになる。

 そんなのは、愚かだ。

 無謀だ。

 守りたいと言いながら、守られるだけの存在で終わってしまう。


 それだけは嫌だった。


 だから、力をつける。

 ここで、少しでも。


 カマルは心の奥に、小さな焔を灯すイメージを思い描いた。


 そして身体の外にある風を感じる。

 その風を、そっと自分の内側へ取り込むように意識する。

 焔が、それを燃料にして少しずつ大きくなっていく。


 心臓の鼓動が強くなった。

 どくん、どくんと鳴るたび、胸の奥に熱が集まっていく。


 やがてその熱は、流れるように右腕へ落ちていった。


 右手の先へ。

 掌へ。

 指先へ。


 カマルは目を開ける。


 右手の周囲に、逆巻く空気の渦のようなものが生まれていた。

 さらにその下には、右腕を覆うように淡い光のオーラがはっきりと見えている。


「……え」


 自分でも驚いて声が漏れる。


 ルークが、満足そうに頷いた。


「成功だ。君は今、魔法の基礎の入り口に立った。次はそれを実践で確かめよう」


「や、やった……!」


 思わず顔がほころぶ。

 そんなカマルへ、ルークは続けて告げた。


「実践では、レイド。君と戦ってもらう」


「え……レイドと?」


「そうだ」


 ルークは中庭の中央を指し示した。


「レイドとカマル、二人が同時に魔力を帯びた木剣、あるいは拳で打ち込みを行う。そこでどちらか一方が押し負けるなら、まだ魔力の練り込みが甘いということになる。その結果を見てから、次の段階――より深い魔法の鍛錬へ進むかを決める」


 ルークの視線が二人を順に射抜く。


「やってみてくれ」


 レイドは肩を鳴らしながら前に出た。


「ま、手加減はしてやるよ」


「そ、それはこっちの台詞かもよ?」


 カマルも木剣を握り直し、レイドの向かいへ立つ。

 握った柄は思ったよりも軽い。

 けれど、その先に自分の魔力がちゃんと宿っている感覚は、確かにあった。


 夜風が二人の間を吹き抜ける。


 魔導灯の明かりが、木剣の輪郭をぼんやり照らした。


 ルークは少し離れた位置に立ち、静かに口を開く。


「構えて」


 カマルは息を吸い、右手へ意識を集めた。

 胸の奥の焔が、再び熱を帯びる。


 レイドもまた、木剣に魔力を流し込む。

 刃のないはずの木剣から、圧のようなものがじわりと滲み出した。


「――始め!」


 その合図と同時に、二人は地を蹴った。


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