滑り台と岩石標本
最近。つまらないことを思い出す。
たとえば余が通っていた小学校には当時(35年前)の金で一億円の巨大な滑り台があった。
巨大といっても高さは5mあるかないかだが。たかが田舎の学校の遊具としては価格もサイズも破格であった。
だが。余が20年ほど前に行ったときは故障して既に使われていなかった。そのような高価で危険な遊具の整備に金が出る情勢ではなくなったからでもあろう。
余の知る限りその滑り台で死んだ者はいない。
統計学的にたかが十数年の実績を以て安全と言えるかは難しい問題ではある。
だが現在の余の主観としては巨大な滑り台で人は容易に死なぬ。
しかし他方。ブランコのようなもっと小さくて安価なために整備の行き届かぬ遊具で、あるいは教室と廊下の段差などでも死ぬときは死ぬ。
現在の考察はさておいても。当時の余は滑り台から落ちて死ぬとは全く思わなかった。遠い将来に死ぬことは知ってはいても、それはあまりにも抽象的な問題だった。
怖いのは蜂と、水泳の授業だった。
蜂には今でも油断はできない。
幼少の頃より余のアレルギー体質は改善はされたがボルタレンのような特定の薬が使えない身である。おそらく蜂に二回も刺されたら余は死ぬであろう。むしろ蜂を恐れなくなったことが無事に馴れたというべきかも知れない。
水泳の授業は溺死を恐れたわけでもない。ただ更衣が男女同じ教室であったことと男子が(バスタオルなどを巻かずに)潔く更衣できないのが恥とされていたことが問題だった。
現在は携帯で「なろう」の童話などを読む子も多いかも知れない。幼くても検索エンジンで色々な知識も得ているかも知れない。
だが当時の幼稚園児や小学生は野蛮人だった。
最近は規制がやかましいが昔の漫画にははいじめられっ子のズボンとブリーフが野蛮な級友たちに足もとまで下げられる場面も多かったが、逆に言えば、当時でさえブリーフだけ描いて他は描写を省略していたのだ。
余の体験は漫画ではなかったから省略はなかったが、ここでは描写を省略する。
ただ余が滑り台などを恐れなくなったのも、ひとつには(成人してから思い出せばそれほどのことでもないが)「死」にまさる屈辱と、子供心に感じる体験も多かったからだろうか。
だから数秒間の着替えごとき何でもないようだが、実際に水泳の前後の更衣のときは手がすくんだり動悸がはやくなったりした。
野蛮な遊びと違って水泳は時間割が確定していたから。前日は寝られなかったりして実際の更衣の前に心身を消耗していたからかも知れない。
話は変わるが。滑り台以外には岩石標本もあった。書店で売っているような机に置けるものではない。
たとえば花崗岩や蛇紋岩などの、数立方mの塊が校舎と運動場の間に数個並べられていた。滑り台といずれが高価であっただろうか。
幼少の余には価値がよく解らなかった。
単なる石ころが飾ってある程度にしか思えなかった。
今も価値が解るとは言えない。余は地学や鉱物、あるいは建築や庭園などに通じている訳ではないのだ。
ただ。岩石は人が造るわけではないから価額に関係なく貴重であること。
千年単位の時間に存在する岩石は余の生まれる前も、余の死後も存在することを知っている。
現在は部外者が小学校の敷地に容易に立ち入れないようになっているので滑り台も岩石標本もひさしく見ていない。
案外、標本の岩石の一部は壊れているかも知れぬし、滑り台などは錆びて朽ちたのかも知れない。
所詮、金属や石は死物。
野蛮で下品な遊びを強要されている時間こそが、滑り台からの眺めや岩石の冷たさに心を癒した時間より貴重であったかも知れないと余は思う。




