数学と魂
つまらないことを最近よく思い出す。。
余が幼稚園の頃折り紙を斜めに折ろうとしたことがある。
片面に色のついたの四角の折り紙が。両面に色のついた直角二等辺三角形の折り紙になるはずであった。
実際には折り紙の角が正確には折れず裏の白地が見えたりした。
考えて見れば折り紙の角から対角へが一番長い、故に折るための力が一番大きいのだから。
余程の技量がない限り。折れ目が折れやすい所(角を少しも外れた、力学的な折り合いのつく点)にできるのは当然。
だが幼稚園の頃の余は正方形と折り紙との違いは解らなかった。
相当の教育のある人でも数学的な点とリアルの分子との区別がつかず。平面上の点は直線上の点より多いと信じていたり、工夫すれば数直線上の点に番号をつけ得ると考えていたりする。
幼児にとっては数学と物理学との区別などは存在しない。
算数でも理科でも正しいことが正しい、誤りは誤り。
折り紙は正方形であることに何の疑いもない。
だからこそ野蛮な幼稚園時も折り紙をむやみに丸めたり破ったりはしない。
折り紙にも硬さや厚さのあることは知らない、しかし正方形が何かは魂の次元で知っている。
犯罪者でさえ刑務所では官品を尊重するとも聞くが幼稚園児たちも幼稚園からの支給品を経済的価値以上に尊重する。
なにか公的なものへの畏れも前世から引き継いだのだろうか。
話は変わるが。余は複素数の初等的な問題で少し手こずった。
図書館で借りた本に
絶対値が1である複素数の逆数はそれに共役な複素数であることを証明せよ
という問題がzと、zの上に棒を引いた記号(余の力量ではネットで容易に出力できない)を用いて簡潔かつ厳密に書かれていた。
zをa+bi、但しa,bはともに実数と置く。
逆数は1/(a+bi)、分母と分子にa-biを掛ける。
分子は余が求める解答のa-bi、分母がa^2+b^2。
これで解けている。
a+biの絶対値が1とは虚部と実部のそれぞれの平方の和が1ということ。
別の観点からは絶対的1の数は逆数も共役複素数も絶対的1である。
されば分子に共役複素数を得てその絶対的は1、分子に実数(iを消すために通分したのだ)を得たのならばそれは1であらざるを得ない。
だが。余は分子に共役複素数を足してbを消そうとした。
分母が二次だから分子は三次になる。これでは惨事と言わざるを得ない。
結局、他日に解くことにした。
外出のためにバスを待っているときに気づいた。学力の未熟のために融けなければやむを得ない、だが初等的な問題を、しかも解いていて解けたことに気づかぬとは余の頭脳の衰頽であるのか。
数学のような形而上の問題が頭脳の衰頽で解けなくなるとは。
魂はないのだろうか?




