終業式の朝
七月の終わり。うだるような朝の熱気の中、千歳は制服を前にしばらく立ち尽くしていた。
終業式の日には長袖のワイシャツ、ブレザー、クロスタイの“完全制服”が義務づけられている。真夏の終業式に完全制服着用という罰ゲームのような一日。
手に取った長袖の白いワイシャツは、洗濯とアイロンでパリッと仕上がっていて、襟はまるで段ボール紙のように固い。
最近は夏用の半袖シャツを着ていた。もちろん、それも第一ボタンを留めてクロスタイを巻くことが義務だったが、生地は薄く、袖口も開いていて暑さはまだマシだった。これはこれでダサいけど、まだ耐えられた。
(ああ……これ、こんなに暑いのに、ほんとに着なきゃいけないの……?)
ため息をひとつ吐いてシャツに腕を通す。
ぴったりしたサイズ。体にフィットするのはまだいいが、襟が顎の下2〜3cmほどまでを覆うほど高くて、そして固い。
左右のカフスが、腕を通したとたんにぱたぱたとぶら下がったままになり、千歳は慣れない手つきでボタンを探す。
(久しぶりすぎて、留めにく……)
細かいボタンホールにカフスボタンを通そうとするが、指が汗ばんでいて、なかなかうまくいかない。
シャツの袖がピンと張っているせいで動かしにくく、何度も手首をくねらせながら、ようやく留め終えたころには肩で息をしていた。
そして、最も気が重い瞬間──第一ボタンに指を添える。
喉元に手をやると、固い襟がしっかりと立っている。
小さなボタンを固いボタンホールの内側に押し込むには、角度と力加減が必要だった。
何度か指先で探るが、ボタンホールがなかなか口を開かず、生地に爪が引っかかる。
(やだ……これだけで時間かかるし……)
ようやく独特な音とともに第一ボタンが留まった瞬間──首の自由が奪われた。
ほんの一秒前まであった空気の通り道が、襟という“規律の壁”でふさがれる。
思わず指を首と襟の間に滑り込ませようとしたが、指先すら入らない。爪の先も、襟が跳ね返す。
(……ちょっと太ったのかな……?)
違う。この制服がそういう風に“仕立てられている”のだ。
首にジャストフィットではなく、“遊びを一切許さない”サイズ。常に誰かに見られる首元が、乱れないように。
次に取り出したのは、真っ赤なクロスタイ。
細長い布がY字に分かれ、その交差点は、まさに第一ボタンのを強調するようにデザインされている。
タイそのものは特に苦しいわけではない。柔らかい布地で、首にそっと巻かれるだけだ。
けれど──このタイは、確実に第一ボタンを目立たせるために存在していた。
第一ボタンまで留めたシャツの襟を立てる。シャツの固い襟が顎付近を刺激し、不快感を煽る。
クロスタイを首に巻くのは簡単で、首周りに纏わせ、交差した部分のボタンを固定するだけ。
そして立った襟を寝かせる作業を行う。襟を立てたり、寝かせたり、こういった面倒で窮屈な作業にも羞恥心を覚える。
鏡を見て襟元を整え始める。やはりクロスタイの赤い色は、白いシャツに対してあまりにも目立つ。
そしてタイの交差部分の真上が、まるで「ここがあなたの第一ボタンです」と言わんばかりに中心に座る。
(隠してほしいのに……逆に飾られてるみたい……)
タイの両端を軽く整えて、左右のバランスを確認。襟の角度も少しでも崩れないよう、丁寧に押さえつける。
鏡に映る自分の首元は、第一ボタン“そこにある”ことが誰の目にも明白だった。
最後に、真っ黒で重たいブレザーを羽織る。
濃い黒が、赤いクロスタイをさらに引き立たせる。夏の光にまったく馴染まない布地は、着た瞬間から背中にじっとりと汗が広がった。
それでも、制服の完成形に向かって、千歳は最後の仕上げを終える。
全体を鏡で確認した。第一ボタンは、タイの下に確かに存在し、喉元に“無言の圧”をかけ続けていた。
首をほんの少し動かすたび、襟が肌に当たり、その下にあるボタンが今も確かに首を拘束していることを実感させられる。
「……行ってきます」
呟いた声は、いつもより少しこもって聞こえた。
声帯のすぐ上を襟で覆われているのだから、それも当然だった。
こうして千歳は、蝉の鳴く朝の空気の中へ、首元の自由を失ったまま一歩を踏み出した。




