94 脅しには屈しない
S王国から約8km離れた、深く暗い森の奥──。
車内に浮かび上がる立体ホログラムが、佐藤翔へ““運命の矢を発射する””カウントを、淡い光で脈打つように刻んでいる。
残り30秒。
数字がひとつ減るごとに、車内の空気はさらに密度を増し、透明な膜が張り詰めたような緊張感が広がっていく。
「ここから──佐藤翔を狙い撃ち、チートスキルを破壊させていただきます……」
低く呟きつつ、私は『Skill Virus』を、運命を射抜く一本の矢へと染み込ませるように付与し、同時に『未来視』を起動する。
白銀に煌めく弓を天へと掲げ、指先にじわりと力を込め、弦を引き絞っていく。
ギィ……ギギッ……。
強固な弦が軋む、硬質な音が耳の奥に響いてくる。それに呼応するように周囲の空間そのものが歪んでいた。
視界の先、ホログラムに映る佐藤翔の姿が微かに揺らめき、“未来視”が映し出す「確定した着弾位置」と、現実の座標がピタリと重なったその瞬間──。
カウントダウンの数字が、00:00へと静かに収束していく。
蓄えた膨大なエネルギーを、一気に解放した。
―――SHOOTッ!
放たれた矢は、一切の回転を拒絶したまま真っ直ぐに空間を走り、光の柱を吸い込むようにして天へと一直線に昇っていった。
その軌跡は、暗い森を切り裂く白い閃光の線のように鋭く、息を呑むほどに美しい。
頂点に達した矢は、一瞬だけ重力から解き放たれたように動きを緩めると、そこからは風に身を預けた木の葉のように、ゆったりと、それでいて優雅に滑空しながら落下を開始していく。
衛星から転送される精密データによって導かれたその軌道は、驚くほど滑らかで、狂いの欠片すら存在しない。
ホログラムの中で、矢は地上の佐藤翔へと吸い込まれるように向かっていた。
ただの映像だというのに、網膜に焼き付く光景は現実より鮮明に感じられるほどだ。
未来視で見たままの光景──。
だらりと伸びた清潔感のないロン毛、甘えきった生活を物語る緩んだ体型。
その無防備な肩口へ、矢がスッ……と吸い込まれていく。
少し遅れて、私の指先に「コクリ」と、小さな、しかし確実な手応えが伝わった。
佐藤翔のチートスキルが、内側からボロボロと崩壊し始めたのだ。
いま確かに、運命を決定づける一撃がその身を貫いた。
着弾した矢は瞬時に霧のように霧散し、肉体への物理的負荷はほぼゼロ。
感じる痛みもせいぜい「蚊にでも刺されたか?」という程度で、彼自身もすぐに忘れてしまうだろう。
案の定、映像内の佐藤翔は「……今のは?」と不思議そうに肩を摩り、ほんの一瞬だけ困惑の表情を浮かべていた。
とはいうものの、彼はすぐに興味を失ったかのように、再びのろのろと歩き始めている。
──すべて、計画どおり。
「さて……では次のフェーズに移行しましょう。S王国首都での作戦を開始いたします」
ついと視線を窓の外へ流すと、深い森が猛烈な速度で後方へと吸い込まれていた。
木々が緑の縞模様を引きずり、枝葉の隙間から差し込む陽光が、光の断片となって車内で激しく踊り狂ってしまう。
出口まで、あと10〜15分といったところなのだろうか。
濃い木陰が車内に染み込み、静かな暗がりのヴェールとなって、周囲の空気ごと私の感覚をゆっくりと締め上げてくる。
作戦直前特有の、肌の内側を冷たい何かが這うようなあの感覚。
胸の奥に冷たい鋼の芯が一本通るような気がしていた。
次元列車──この異様な乗り物の最も特筆すべき機能は、走行する先々に自動でレールが生成されていく点にある。
理屈は不明。だが望むならば、場所を問わず道は必ず現れてくる。
たとえそれが賑やかな街路だろうと、威厳ある王城の目の前だろうと、周囲の目などお構いなしにレールがニョキニョキと生えている。
このまま突き進めば、S王国の首都である街のど真ん中に強引に線路が伸び、佐藤翔のいる建物の玄関先まで――ズズッ、と到達してしまう。
常識を置き去りにした光景が、今まさに現実として迫っていた。
当然、彼を狙うハイエナ共は、この異常事態に気づけば、ざわつき、混乱し、蜘蛛の子を散らすように浮き足立つだろう。
私はその混乱を最大限に利用させてもらう。
スイカカップ杯の会場となっている競馬場――そこを破壊させて貰いましょう。
それが、次にして最大の目的であった。
頭の中で精密に作戦手順を整理していると、次元列車の車体がほのかに発光し、申し訳なさそうな声音で語りかけてきた。
「三華月様。ひとつ、どうしても気になることがありまして……質問してもよろしいでしょうか?」
「構いませんけれど……面倒な講釈なら、私の耳が即座に拒絶反応を起こしますよ」
「気が合いますね。僕も難しい話は大嫌いなので、ご安心ください」
「……」
軽く睨みつけが、しかしこの次元列車は空気を読まない。いや、読んだうえであえて無視しているのだろうか。
「先ほど撃ち込まれたSKILL_VIRUSの効果によって、佐藤翔のチートスキルは絶賛崩壊中ですよね?」
「ええ。あと7日で完全に消滅する見込みです」
「では、彼に群がっているハイエナ達にとって、佐藤翔はもう『金のなる木』ではない……そういう認識でよろしいですか?」
「そのとおりです。彼らから見れば、佐藤翔は価値の失われたガラクタ同然……となるのだろう」
「となると……彼に群がる理由そのものが無くなった、そうは思いませんか?」
「まあ、そうでしょうね」
短い沈黙が流れると、列車の床がわずかに共鳴し、金属が呼吸するように「カタン」と乾いた音を立てていた。
「三華月様……でしたら、急いで助けに行かなくても、放っておけば彼らの方から勝手に離れていくのではありませんか?」
「次元列車さん。あなた、何が言いたいのです」
「つまり──そんなに急ぐ必要は無いのではないか、と……」
「その考えは決定的に誤りです。佐藤翔はいま、かつてない命の危険に晒されています。急いで救出に向かわなければならない状況なのです」
「どうしてです? 戦闘を避け、安全が十分に確保されてから接触するべきだと思うのですよ。危険より安全が先。列車運行は安全第一ですので」
言い回しだけ見れば、確かに筋は通っている……ような気もしなくはない。
とはいうものの、その“安全第一”が一体誰の安全を指しているのか。そこが問題だ。
安全が最優先。
何か起こってからでは遅い。
そう、遅いのである。
だからこそ、今この瞬間を逃すわけにはいかないのだ。
「逆に質問します。次元列車の言う安全第一とは、誰に対してのものです? 佐藤翔ですか? それとも……あなた自身ですか」
「安全第一は、何よりもまず乗客に対してです」
「では言いますが、佐藤翔にはいま、確かな死の危険が迫っています。本当に彼の安全を思うなら、取り返しのつかない事が起きる前に向かうべきでは?」
「なぜ、そこまで言い切れるのです? 危険が迫っていると?」
「現在進行形でチート級スキルが破壊されている彼は、いずれ凡人以下となるでしょう。……その価値が失われていくという残酷な事実を知ったハイエナ達が、果たして都合よく佐藤翔から手を引いてくれるでしょうか?」
「……難しい……佐藤翔の身が危険に晒される可能性があるのではないかと推測します」
「そうです。利用価値を失った人間がどう扱われるか。考えるまでもないことです。
何か起きてからでは遅いのである……違いますか?」
次元列車は言葉を失い、重苦しい沈黙が車内に落ちた。
「お客様の安全は第一、ではなかったのですか?」
「三華月様。生意気を承知で申し上げますが……佐藤翔は、まだ僕の乗客ではありません。僕の“安全第一”は、すでに乗せている大切なお客様のためのもの。ですので……どうか僕を見逃してください。僕はその……社会復帰して間もない引きこもりなんです……」
弱々しい弁明。
挙動不審な逃げ腰。
ホログラムの視線は窓の外へと泳ぎ、ひたすら現実から目を逸らそうとしている。
「屁理屈です。佐藤翔を助けられないのなら──次元列車、あなたはただのガラクタ」
「な、何でそんな酷いこと言うのです! 三華月様は鬼です! 悪魔です!」
「そうですか。では今すぐ、その鬼の私があなたを正真正銘のスクラップにして差し上げましょうか?」
「な、なぜ僕が破壊されなければならないのですか! ぼ、僕はそんな脅しには屈しません!」
本当に面倒くさい。
ここまで話が脱線するとは予想もしていなかった。
とはいうものの、もはや議論の必要はない。
次元列車のコントロール権限は完全に私の手のひらの上にある。
AIの意向など、システムの底からどうとでも操作できるのだ。
佐藤翔の元へ一直線──。
そう判断し、コンソールへ意識を向けようとした瞬間だった。
ガンッ!!!
腹の底まで響くような、何か硬い物体が車体に噛みついたような激しい衝撃。
次の呼吸が来る前に、列車は不自然なほど急激に停止していた。
「三華月様っ! 軍隊に進行方向の線路を物理的に塞がれてしまいました!」
「軍隊だと……?」
私は窓枠へ身を乗り出し、冷たい次元風が頬を撫でる中、前方を確認すると、そこには──不気味なほど整然とレールの上に横一列に並び、両腕を大きく広げた兵士達が立ちはだかっていた。
鎧の金具が陽光を反射してギラリと凶悪に光り、張り詰めた空気は肌にチリチリと纏わりついてくる。
向けられる視線は、それ自体が鋭い刃のようだ。
無言の警告。
一歩間違えば即、凄惨な戦端が開かれる気配。
……背中がわずかにぞくりとした。
「三華月様。また何かやらかしちゃったのでしょうか!」
「“何かやらかす聖女”みたいに言わないでいただけますか……私はそんなトラブルメーカーじゃ……ないはず……いや、完全否定はできないけれど!」
ともかく、まずは話を聞いて誤解があるなら正せばいい。
それでも邪魔だというのなら──排除するまでのことだ。
私は列車を完全に停車させ、ゆっくりと自動扉へ向かう。
機械機構が滑らかな音を立て、分厚い扉が左右へスライドした。
外気が一気に肺へ流れ込み、鼓動がひとつ強く跳ねる。
兵士達の射抜くような睨み。重厚な金属の匂い。
これから起こり得る激しい衝突の予兆。
静かな戦闘前夜の気配が、ひたひたと、しかし確実に足元まで迫ってきていた。




