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ブラックな聖女『終わっことは仕方がないという言葉を考えた者は天才ですね』  作者: ヨシムラ


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86 温泉教の教徒

大通りを抜けた先、昼と夜の境界が曖昧になる歓楽街へと足を踏み入れていた。

そんな街の奥に、今回の目的地はあった。

S王国から来たという「温泉を造るためにやってきた者」が滞在している高級ホテル。

温泉。よりにもよって、また温泉だ。


男の名は黒河膳。

異世界からの召喚者であり、なおかつ何らかのスキルを保有している疑いが極めて濃い人物であった。


教会が掴んだ情報によれば、帝国のとある貴族が、黒河膳への融資を決定したという。

だが──どう考えてもおかしい。

成功の兆しが一切見えない事業へ、己の資産を投じるような貴族など、この帝国には存在しない。

少なくとも、私の知る限りでは、だ。


とはいうものの、だ。

そうなると浮かび上がる推測は、ひとつしかない。


黒河膳は催眠系、あるいは人心掌握系のスキルを用い、帝国の者から金を引き出そうとしているのではないか。

もしそれが事実なら──これは単なる経済問題では済まない。

神託案件に発展する可能性すらある。


……これは、少しばかり美味しい話しに発展するかもしれない。うむ、グレートとは言い難い私の胸が、どくりと高鳴った。

落ち着け、私。ふぅ……深呼吸。


それにしても不可解である。

なぜ召喚者と呼ばれる者たちは、揃いも揃って温泉を造りたがるのか。

異世界には温泉の神でも祀られているのだろうか。

あるいは温泉教という謎の宗教が存在しているのか。

理解不能。謎の極みである。


⸻————


黒河膳が滞在しているホテルは、帝国でも指折りの広大な敷地を誇る老舗名門だった。

かつては工場として使われていた建物だというが、とはいうものの、その面影は一片たりとも残されていない。


全面改装を経て生まれ変わった館内は、ただ広いだけではない。

隅々まで磨き抜かれ、清潔で、静謐な品格に満ちていた。

一歩足を踏み入れただけで、自然と背筋が伸びる。そんな空気だ。


玄関ホールへ踏み込んだ瞬間、視界が巨大な吹き抜けに呑み込まれてしまう。

天井高くから滝のように降り注ぐ柔らかな光。

繊細な装飾が施された壁面がそれを受け止め、反射し、煌めきが空間全体へ溶け込んでいく。


職員たちは足音すら立てずに行き交い、その所作は一糸乱れぬものだった。

無駄な動きはなく、視線も表情も完璧に制御されている。

この空間に存在するすべてが、「ここは一流だ」と無言で語りかけてくる。


フロントで黒河膳への面会を申し出ると、即座に丁寧な対応が返ってきた。

案内されるまま、規則正しく並ぶ三人掛けソファのひとつに腰を下ろすと、ふかっ……。

体が沈み込み、包み込まれるような感触が背中から腰へ、じんわりと伝わってくる。

これは……悪くない。心まで溶けそうになる。


呼び出しを頼んでから、5分くらいだろうか、コツ、コツ、とノックのような靴音が近づき、スタッフに先導されて姿を現した人物がやってきた。


でっぷりとした体格の男。

その隣には、獣人の少女がひとり付き添っていた。


長く伸びた髪。バンダナ。

ラフ、という言葉すら生温いほど無頓着な服装。

その姿を目にした瞬間、私の直感が静かに告げる。


──あれが、黒河膳……なのか。


立ち上がり、背筋を正し、穏やかな微笑を浮かべて挨拶を。

そう思った、その刹那。


男の口から、爆裂するような声が放たれた。


「美少女聖女が、ついに来たぁぁぁ!」


ドン、と空気が震える。

ホテル中に響き渡る爆音ボイス。

……ええ、初対面である。間違いなく。


修羅場を潜った者に特有の鋭さなど、欠片も感じられない。

ふやけた顔。たるみきった腹。

少し動くだけで、たぷたぷと揺れる肉。

全身から滲み出る、どうしようもないユルさ。


この男が、貴族を騙して金を引き出す?

危険度は……スライム以下ではないのか。


隣に立つ獣人の少女は、どうやらボディーガードらしい。とはいうものの、牙を剥く気配は皆無で、困惑気味に男を見上げているだけだった。


その彼女へ向き直り、黒河膳は胸を張り、堂々と言い放つ。


「聖女殿は高潔でお優しい人だ。拙者に危害を加えるような人ではない。警戒を解きなさい」


……見た目だけで判断してくれて、本当にありがとうございます。

私の最大の武器である第一印象を、ここまで素直に信じてくれるとは。


獣人の少女は、素直に可愛い。

そして黒河膳は、どうやら外見で性格を決めつけるタイプらしい。

ここまで警戒心ゼロだと、情報など引き出し放題ではなかろうか。


……ちょろい。

実に、ちょろい。


再びソファへ腰を下ろし、軽く挨拶を交わしながら話を切り出すと、黒河膳は満面の笑みを浮かべ、嬉々として口を開いてきた。


曰く──帝都に同時に召喚された親友、佐藤翔の特命を受け、温泉を造りに来たのだという。


内乱も陰謀もない。

拍子抜けするほど普通の目的だった。


にもかかわらず、黒河膳は妙にねっとりした視線でこちらを見つめ、じり、じり、と前のめりに距離を詰めてくる。


「聖女殿。拙者へ会いに来てくださった要件を伺いましょう」


「ありがとうございます。温泉づくりの噂を耳にしまして……興味が湧き、参りました」


────さて。

この男、底が浅いのか、それとも見えない深みがあるのか。

それを見極めるのは、これからである。


もちろん、温泉など欠片も興味はない。

清廉そうな外見とは裏腹に、目的のためなら平然と嘘をつく。

それが、私だ。


私の軽いハッタリに、黒河膳は顔を輝かせてくると、勢いよく身を乗り出し、気づけば手まで握られてしまった。

その手は汗ばんでいて──ぷにぷにしているのだが……

そして勢いのまま…


「聖女殿。拙者のパーティに入ってござらぬか!」


目は完全に血走っている。

隣の獣人少女の視線は氷のように冷たく、「うわ……」という感情が言外に滲んでいた。


当然、加入など論外である。

答えは後まわしだ。

先に、確認すべきことがある。


「パーティーの話をする前に…。温泉事業について、少し伺ってもよろしいでしょうか」


「はい。拙者で答えられることなら、何でも聞いてくだされ」


「ありがとうございます。温泉を造るにあたり──帝国貴族から融資を受けられると聞きました。それは……信用できる貴族なのですか」


「ご安心くだされ。現在、帝国で最も名家と謳われる三条家当主、華月殿と直接話を進めているのでござるよ」


……なるほど。

そうか。


──私の名前を騙る何者かと、融資の話をしていた、ということか。


黒河膳は詐欺師ではない。

少なくとも、現時点では。

立場としては“騙す側”ではなく、“騙される側”。

つまり──被害者側だった、というわけだったのか。

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